2015年デリー州議会選挙

リーを去って2年が過ぎ去ろうとしているが、デリーのことがなかなか頭から離れないものだ。ネット上ではリアルタイムにニュースが見られるし、タイムス・オブ・インディア紙のデリー版を講読していることもあって、3日遅れでデリーの情報が紙媒体で入って来る。情報だけはデリー在住の人々にそれほど遅れを取っていないと自負している。しかし、物理的にデリーに身を置いていないことのハンディは大きく、デリーが今正に感じている熱気や興奮、デリーの息吹のようなものは久しく感じられていない。

 僕がデリーに住んでいた11年7ヶ月の間にもデリーは大きな変化を経験したが、僕がデリーを去ってからの2年間には、それ以上の変化があったように感じられる。何しろこの短い間に州議会選挙が2回も行われたのである。さらに、その2度の州議会選挙の合間に下院総選挙が1回行われている。そして、選挙ごとにデリーの政治状況は目まぐるしく変わった。それが隔世の感を感じさせている。

 

  この2年間、台風の目となっていたのは、アルヴィンド・ケージュリーワール率いる庶民党(AAP)であった。AAPは、2011年にデリーを席巻した、社会活動家アンナー・ハザーレーによる汚職撲滅運動の結果、誕生した政党である。1 国民会議派(INC)やインド人民党(BJP)をはじめとした既存政党を痛烈に批判し、汚職撲滅を党是とし、宗教やカーストに基づく票田政治から脱却した新しいタイプの政党を目指した。

 2012年11月26日に旗揚げされた新党にとって、2013年12月のデリー州議会選挙はデビュー戦であった。当時与党だったINCも、政権交代を目指したBJPも、AAPを泡沫政党扱いしていた。ところが、定員70議席の州議会においてAAPは28議席を獲得する大躍進を見せた。さらに、党首ケージュリーワールは、デリー州首相を3期に渡って務めたINCの大物政治家シーラー・ディークシトとニューデリー選挙区で直接対決をして大勝。第一党BJPの過半数獲得を阻止し、デリーは「ハング」2 と呼ばれる状態になった。友党と合わせて32議席を保有するBJPが議席数不足を理由に政権樹立を拒んだため、AAPは、かろうじて8議席を獲得したINCからの閣外協力を受けて政権を成立させた。ケージュリーワールは州首相に就任した。

  ところが、ケージュリーワール州首相は就任から49日後にあっさり辞任してしまう。この49日間、デリーからは奇妙なニュースが相次いで飛び込んで来た。州首相自身がダルナー(dharna)と呼ばれる座り込みの抗議活動を行ったり、州政府大臣が深夜に自ら、売春容疑のアフリカ人女性の家を急襲したり、1月26日の共和国記念日パレードが政争の題材となったり・・・。今まで聞いたこともないようなアナーキー状態であった。挙げ句の果てに、最優先していたデリー・ロークパール法案3 の提出が却下されたことで、ケージュリーワール州首相は辞任してしまう。その後、AAPに代わって政権担当を表明する政党が現れなかったため、デリーは大統領直轄となり、再度の州議会選挙が待たれる状態となっていた。

 ケージュリーワールの辞任から2-3ヶ月後に下院総選挙が行われた。このときケージュリーワールは、BJPから首相候補として出馬したナレーンドラ・モーディーとヴァーラーナスィー選挙区で直接対決に挑んだ。だが、このときにはケージュリーワールは「バゴーラー(逃亡者)」のレッテルを貼られており、彼に対する世間の目は厳しかった。また、彼はAAPの人気を過信していた。AAPは下院選挙で全国に350人以上の候補者を擁立したが、AAPの人気はデリーとその周辺部に限定されており、まだ全国政党になるには組織力も地盤も足りなかった。また、ケージュリーワールがデリーの外で選挙を戦ったために、足下であるデリーの選挙戦が疎かになり、7つあるデリーの下院議席は全てBJPに持って行かれた。結局、AAPはパンジャーブ州の4議席をかろうじて得たのみで、ケージュリーワール自身もモーディーに惨めな敗北を喫する。BJPの獲得議席数は定数545中282という歴史的圧勝で、近年では珍しく単独で過半数を達成した。ナレーンドラ・モーディーは第18代インド首相に就任した。

 2014年の下院総選挙におけるBJPの大勝は、数々の汚職事件を起こしたINCに対する幻滅と、グジャラート州に高い経済成長率をもたらしたモーディーの個人人気を主な要因としている。その後もBJPはINCの失政とモーディー・ウェーヴに乗って各地の州議会選挙で次々と勝利または躍進する。ハリヤーナー州、マハーラーシュトラ州、ジャールカンド州、ジャンムー&カシュミール州・・・。一方のINCは敗北に次ぐ敗北で、インドで最も歴史ある政党の威光は消え去った。

 2014年の下院総選挙後に行われた一連の州議会選挙の中で、デリー州議会選挙の文脈から重要なのは、2014年10月に行われたハリヤーナー州議会選挙である。定数90のこの選挙においてBJPは47議席を獲得して単独過半数を達成する大勝利を収めたのだが、この選挙をAAPは戦わなかった。デリーに隣接するハリヤーナー州では、AAPが一定の支持を集めていたが、それにもかかわらず擁立を回避した。下院総選挙大敗北のショックから党はまだ回復しておらず、選挙のリソースをデリーに集中させるための判断だったと思われる。

 2015年2月のデリー州議会選挙は、このようなタイミングの中で行われた。下院総選挙から半年以上の月日が経っていたが、この間に行われた各州議会選挙ではBJPが議席を大幅に伸ばしており、デリーもこの勢いに乗って手中に収められるとの計算がBJPにはあった。AAPは党の立て直しが掛かるこの選挙に全力で臨んで来た。2013年は打倒INCが第一の目標だったが、今回の敵はBJPだ。

 各報道機関により投票前に数回に渡って実施された予備調査では、当初拮抗かBJPやや優勢の報道の方が多かったのだが、投票日が近付くにつれてAAPが第一党になるとの調査結果が出るようになった。2月7日の投票日に行われた出口調査ではAAPが過半数獲得との予報が複数の機関から出され、驚いたものだが、2月10日の開票日にはさらに驚愕の結果が待っていた。定数70の内、AAPが67議席を獲得。一時は過半数獲得を確実視していたBJPはわずか3議席に留まり、生き残りを賭けて選挙に挑んだINCに至っては1議席も得られなかった。小選挙区制を採っているインドでは、一党が選挙で一方的な勝利を収めるのは必ずしも稀な出来事ではないのだが、デリーでは初めてのことだ。

 この選挙結果を受けて、様々な分析がなされている。モーディー政権の終わりの始まりとする見方もある。果たしてどうだろうか。

■投票率と得票率

 デリーの有権者数は1300万人以上。投票率は67.03%で、この数値はデリー州議会選挙では過去最高である。有権者の関心が非常に高かったことがうかがわれる。また、インドの選挙は小選挙区制を採っているため、「風」が吹く選挙では一気に議席が動くことが多い。投票率の高さは「風」の強さも示している。史上最高の得票率を記録した今回の選挙は、同時に今までにないほど強風の吹き荒れる選挙となった。

 今回、BJPは大敗を喫した訳だが、得票率を見ると、BJPの支持基盤が揺らいだということではないと分かる。BJPの2015年デリー州議会選での得票率は32.2%だが、この数字は2013年デリー州議会選挙の得票率33.1%から微減しただけだ。ただし、2014年の下院総選挙でBJPはデリーで46.4%の得票率を得ているため、そのときに比べたら14%減った。これらの数字からは、デリーの有権者の3割前後がBJPの強固な支持者であり、一貫してBJPに投票し続けていることが推測される。今までは彼らの支持だけである程度選挙に勝てたのだが、今回はそうならなかっただけだ。また、下院総選挙では15%ほどの浮動票がモーディー・ウェーヴなどの影響でBJPに一時的に流れたと考えていいだろう。

 一方、INCは2013年以来、得票率を失い続けている。2013年は24.6%、2014年は15.1%、そして2015年は9.7%である。2年間でINCはデリーで有権者の支持を15%も失った。そして今までINCの支持者だった層が流れた先がAAPである。国民会議派からAAPに流れたコミュニティーは主にイスラーム教徒やスラム居住者だと分析されている。また、INC崩壊の裏で、ダリト(不可触民)を票田とする大衆社会党(BSP)も大きなダメージを受けている。BSPは2008年のデリー州議会選で14.1%の得票率を記録し、2議席を獲得したのだが、2013年にはBSPの得票率は5.4%まで下がり、2015年には1.4%まで下がっている。2013年にBSPを支持したダリトの4%もAAPに流れたと思われる。

 INCと反比例してAAPの得票率は上昇を続けている。2013年は29.5%、2014年は32.9%、2015年は54.3%。2014年の下院総選挙でAAPはデリーで1議席も取れなかったが、実は得票率は2013年の州議会選挙時よりも増えていた。2013年から計算すると25%も得票率が上がっているが、今回はINCから逃げた15%とBSPから逃げた4%が確実にAAPに加算されており、これがAAP大勝の原動力になったと考えていいだろう。

 よって、得票率だけを見れば、敗者はむしろINCで、INCの敗北に乗じてAAPが勝利を収めた形だ。BJPのみを敗者とするのは誤りである。デリーでは長らくINCとBJPの二大政党制が続いていたが、その一角が派手に崩れて均衡が破れた。2013年の時点ではまだINCの地盤が持ちこたえ、逃げた票がAAPに流れたが、まだAAPに過半数を取らせるほどの量ではなかった。しかし、2015年ではINCの支持基盤が完全崩壊し、AAPがさらなる受け皿となって、同党に大勝をもたらしたのだと言える。BJPはINCをインドの政治舞台から抹消することを目標に掲げていた。それは他州では比較的容易に実現したが、最近新たに三つ巴の戦いとなったデリーでは、皮肉にも、シーソーゲームの相手だったINCの弱体化はBJPの利益を意味せず、むしろ新興のAAPを勢力拡大させる結果となった。

■州首相候補

 近年のインドの選挙では、各党とも「党の顔」を立てて選挙戦を戦うことが多くなっている。必ずしも明確に首相候補もしくは州首相候補と掲げる訳ではないが、選挙に勝利した暁には、「党の顔」が首相もしくは州首相に就任することが多い。今回のデリー州議会選挙では、AAPが順当に党首のアルヴィンド・ケージュリーワールを州首相候補として前面に押し出す一方、BJPは土壇場でキラン・ベーディーを州首相候補として擁立した。

 ベーディーは元々女性初の警察官僚(IPS)として知られていた。キャリアの中でインド各地に勤めているが、デリーでも警視総監(DGP)などとして長く勤務しており、デリー市民にはお馴染みの顔だ。デリー警察の交通部を統括していたときには、インディラー・ガーンディー首相(当時)の自動車をレッカー移動させたことで、「クレーン・ベーディー」の異名を持つようになった。警察官現役時代から敢然と不正に対して立ち向かって来た「鉄の女」であった。2007年に志願退職して社会活動に従事していたが、2011年の汚職撲滅運動ではケージュリーワールと共にチーム・アンナーの一員となり、アンナー・ハザーレーを支えた。ただし、ケージュリーワールがAAPを旗揚げして以降は彼と距離を置いていた。

 彼女をBJP陣営に引き込んだのは、モーディー首相の参謀として知られるアミト・シャー党首の「マスター・ストローク」であり、これでBJPの勝利は確実なものになったと見る向きもあった。何しろケージュリーワールと似た実績を持つ女性をケージュリーワールにぶつけて来たのだ。デリー州議会選挙公示後に、ベーディーのBJP入党が突然発表され、間髪入れずに彼女を州首相候補として擁立することが決定された。

 しかし、これが党内に不協和音を生む。下院総選挙後のBJPは、各州議会選挙で州首相候補を立てずに選挙を戦って来た。誰がトップに立つか分からない状態の下、シャーが立てた戦略に従って、モーディー・ウェーヴに乗りながら、党が一致団結して選挙に臨んで来た。しかし、デリー州議会選挙では、外部から州首相候補が投下された。しかもついさっき党員になったばかりの人物である。デリーのBJP党員は15年間に渡るINCの支配を受けており、今回やっと与党になれるチャンスだと息巻いていた。今までの努力が報われる瞬間だった。そこへ、外部から突然州首相候補が放り込まれたのである。おいしいところを部外者に持って行かれる!これがデリーのBJP政治家や党員の反感を買った。

 確かにBJPデリー支部では、党の顔となって戦うべき人材を欠いていた。2013年の州議会選挙ではハルシュ・ヴァルダンがデリー支部を率いていたが、彼はその後の下院総選挙で立候補して当選しており、現在では中央政府の科学技術大臣を務めている。ハルシュ・ヴァルダンがそのまま下院議員を続けることになったため、別のリーダーを擁立しなければならなかったが、ケージュリーワールのカリスマ性に匹敵するような政治家がいなかった。キラン・ベーディーはその不足を補う人材としては、これ以上ない資質を持っていた。

 デリーの有権者の間では、キラン・ベーディーが州首相になることで、女性の安全問題が改善されるという期待もあった。集票に一定の効果はあったと思われる。ただ、彼女には敵も多く、例えばデリーの弁護士協会とは犬猿の仲のようだ。また、不法に滞在するスラム居住者にとって、元警察官というベーディーのイメージは、法の慈悲なき執行、つまり自分たちの不利益を想起させたかもしれない。下層の人々ほど警察官に対していいイメージを持っていない。よって、彼女を州首相に擁立することで逃げて行った票もかなりあると思われる。投票前に行われた「誰に州首相になって欲しいか」というアンケートでは、常にケージュリーワールが半数近くの支持を集めてトップだった。デリーの有権者は、ケージュリーワールを州首相に望んでいた。

 インドの州議会選挙では、中央で政権を担っている政党に浮動票が集まる傾向にあると言われている。中央と同じ政党が州でも与党となることで、中央と自然な連携ができ、州の発展にとってプラスになるとの考え方が根強いからだ。「モーディー」と「ベーディー」は音も似ている。モーディー=ベーディー政権樹立により、デリーは中央と二人三脚のよりスムーズな発展ができると期待できたはずだ。僕がデリーに住んでいた時期の大部分は、中央政府と州政府の両方をINCが握っており、両者の間で対立らしきものを感じたことはなかった。この点に関しては平穏な時代だった。その体験があるため、デリー市民はBJPを選ぶのではないかと予想していた。

 だが、デリーは中央政府のお膝元であるためか、中央とのパイプ云々にこだわる必要性が低く、有権者の投票行動も異なるようだ。もしくは、INCの時代に汚職が横行した原因を、中央政府と州政府の癒着にあると考えたのかもしれない。デリーの有権者は、モーディー首相の傀儡ではなく、デリーの利害のみを代表する「物言う州首相」を求めた。もうモーディーがいるので、2人目のモーディーは要らないという訳だ。マンモーハン・スィン前首相がソニア・ガーンディー党首の言いなりだった記憶もまだ鮮明だった。

 2014年の下院総選挙でインドの有権者がBJPよりもむしろモーディーに投票したように、2015年のデリー州議会選挙では、デリーの有権者はどの選挙区にいようともケージュリーワールに投票したと言える。結果、中央と州で個人人気の首脳が並び立つこととなった。デリーに2つの権力中枢ができたのである。

■中間層とヘイトスピーチ

 2014年の下院総選挙でAAPが大敗した理由のひとつに、中間層の票離れが指摘されている。2013年のデリー州議会選挙では、他の州に比べて人口の多くを占める中間層がAAPを支持したために大きな躍進があったのだが、その後の49日間の政権でAAPは中間層よりもむしろ低所得者やスラム居住者を優遇する政策を次々に実行した。おそらく、2014年の下院総選挙を視野に入れて、INCの支持基盤を徹底的に切り崩そうという戦略だったと思われる。まず、それが中間層を不安にさせた。また、前述の通り、ケージュリーワールは州首相にふさわしくない行動を頻繁に取った。その中のいくつかは下流層の支持につながったのだが、中間層はもっと事を冷静に受け止める傾向にある。いくら抗議運動で身を立てたと言っても、州首相になったら州首相らしい行動が求められるという考え方だ。とどめとなったのが州首相辞任である。無責任な形で州首相の地位を投げ出したことで、中間層の多くはAAPを見放し、下院総選挙ではBJPに投票した。この中間層の一定数が2015年の州議会選挙ではAAPに戻って来たと考えられている。

 これにはAAP側の努力とBJP側の失敗の二側面があるだろう。

 AAPは、2014年の下院総選挙敗北後、徹底的に敗因を検証し、有権者の声を真摯に受け止めた。ケージュリーワールは、選挙運動中に何度も州首相を途中で辞任したことを有権者に謝り、次こそは5年の任期を最後まで務めると約束した。それを明確に表明するため、AAPのスローガンは「Paanch Saal Kejriwal(ケージュリーワールに5年を)」になった。また、ボランティアを町中に派遣し、市民の声を丁寧に吸い上げる努力もした。AAPは今一度原点に立ち返って基盤の立て直しを着々と進めていた。

 一方、2014年の下院総選挙でBJPが勝利した前後から、インドではコミュナルな事件が相次いでいた。よくニュースに上がったキーワードが「ガル・ワープスィー(帰宅)」と「ラブ・ジハード(愛の聖戦)」である。「ガル・ワープスィー」は、イスラーム教徒やキリスト教徒をヒンドゥー教徒に改宗させる運動である。元々ヒンドゥー教徒だった人々が、歴史のある時点で別の宗教に改宗してしまったという考え方から、「ガル・ワープスィー(帰宅)」という表現になる。「ラブ・ジハード」とは、イスラーム教徒の若者がヒンドゥー教徒の人口を減らしイスラーム教徒の人口を増やすために、ヒンドゥー教徒の女性をかどわかし結婚しているとするものだ。イスラーム教では基本的にイスラーム教徒との結婚しか認めていないため、この場合、ヒンドゥー教徒がイスラーム教に改宗することになる。生まれた子供ももちろんイスラーム教徒となる。それを防ごうという動きが活発化している。どちらもヒンドゥー教徒の人口を維持・拡大するための運動である。民主主義国においては、各コミュニティーの人口が選挙を左右する重要な要素となる。保守的なヒンドゥー教徒の間では、インドでイスラーム教徒の人口が急増していることへの懸念があり、ヒンドゥー教徒を増やし他教徒を減らす必要があるという危険な思想が蔓延している。当然、これらの動きは宗教対立を生む。

 また、モーディー政権の閣僚の中からも、イスラーム教徒に対するヘイト・スピーチや時代錯誤的発言が続いた。例えば「ラームザーデー・ハラームザーデー」事件なるものがあった。ニランジャン・ジョーティーという女性の大臣が選挙運動中に「ラームザーデーに投票を、ハラームザーデーには投票するな」と述べた。「ラームザーデー」とは「ラームの子孫」という意味で、つまりはヒンドゥー教至上主義政党のBJPを示す。一方の「ハラームザーデー」とは元々は「不義密通の子」という意味の言葉で、「馬鹿」「阿呆」などと考えればいい。つまり、他の政党のことだ。言葉遊びではあるのだが、信仰上のセンチメントを刺激する際どい発音で、世間の人々はジョークとは受け取らなかった。また、BJPの政治家が、「ヒンドゥー教徒の女性は最低4人子供を産むべきだ」と発言したこともあった。

 2014年10月には、デリーのトリロークプリーで、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の衝突があり、70名ほどが負傷した。デリーでは長いことコミュナル暴動は起こっていなかったのだが、BJPが政権に就いた途端にこのような事件が起きた。モーディー首相にとってコミュナル暴動は古傷だ。グジャラート州首相時代の2012年にグジャラート暴動が起きたが、それを扇動した疑いを持たれており、2014年の下院総選挙でも焦点のひとつになった。首相就任後はひとまず彼の罪や過失を問う風潮は弱まったが、この事件はグジャラート暴動の記憶を呼び覚ました。

 昨年12月からは、デリーの各地で教会が荒らされる事件が相次いだ。もしかしたらBJPとは直接関係ないかもしれないが、今までデリーで見られなかったような事件であり、トリロークプリーのコミュナル暴動と合わせて、何かデリーで異常なことが起こっているという印象を市民に与えたことは確かである。

 以上のように社会の雰囲気がきな臭くなって来ており、特に中間層が敏感に反応した。これ以上モーディー首相やBJPを勝たせすぎると、多数派による一方的な支配が強化され、社会不安が広がる怖れが出て来たため、モーディーのストッパーとしての役割をケージュリーワールに任せたのが、今回のデリー州議会選挙で中間層がAAPに流れた理由のひとつだったのではないかと思われる。

■オバマ効果とマフラー効果

 インドは毎年1月26日の共和国記念日に近隣国や友好国の元首を主賓としてデリーに呼んでいる。昨年は日本の安倍晋三総理大臣だったが、今年はアメリカ合衆国のバラク・オバマ大統領が主賓となった。民生原子力協力の分野で重要な進展があり、中国に対する牽制の効果もあった。しかしながら、このオバマ大統領の訪印がデリー州議会選挙にマイナスの影響を与えたのではないかとの見方が出ている。

 モーディー首相とオバマ大統領は個人的な親交を結んでおり、今回の訪印でも両首脳の蜜月が演出されたが、その一方でオバマ大統領は一般のインド人向け演説で、宗教的不寛容がインドに拡大していることへの警鐘を鳴らした。これはヒンドゥー教過激派の「ガル・ワープスィー」や「反ラブ・ジハード」などの活動に対する遠回しの非難であり、つまりはBJPを糾弾していると捉えられた。野党は好んでオバマ大統領のこの演説をBJPに対する批判の材料とした。

 また、モーディー首相がオバマ大統領との会見で着ていた「モーディー・ブランド」のスーツも話題になった。英国製の特注品で、値段は100万ルピーと噂されている。紺の生地に「Narendra Modi」という名前を象ったピンストライプがデザインされている。モーディー首相はファッション・センスの良さでも知られているのだが、このスーツだけは趣味が悪かったし、政治的に減点となったことは否めない。

 そもそもモーディー首相は、自分のカーストの低さや、かつてチャーイワーラー(チャーイ屋)だった出自など、庶民性を有効に活用して2014年の下院総選挙を戦った。下層の人々は、モーディー首相に自分を重ね合わせ、彼に票を投じた。彼の勝利は庶民の勝利だと捉えられた。また、モーディー首相はインドの工業を発展させるため、「メイク・イン・インディア」というスローガンを掲げていた。ところが、首相就任後から7ヶ月ほど経った彼が着ていたスーツからは、そのどちらの要素も抜けておちていた。100万ルピーのスーツなど、金持ちでもそう買わないだろうし、外国企業に「インドで作れ」と呼び掛けながら英国製のスーツを着るのは矛盾に他ならなかった。これも野党の格好の攻撃材料となった。

 さらに、共和国記念日パレードでは、ロシア製の兵器がオバマ大統領に披露された。インドは旧ソビエト連邦やロシアと長らく友好関係にあり、兵器の供与も受けている。共和国記念日パレードは愛国心発揚のための軍事パレードであり、そこで兵士と共にインドが保有する自慢の兵器の数々が陳列されるのは例年のことなのだが、さすがに米国大統領にロシア製戦車の砲塔を向けるのは配慮が足りなかった。この出来事は早速ジョークのネタになったが、モーディー首相の外交センスについてシリアスに捉えた人も中にはいたようだ。

 2015年のデリー州議会選挙の投票日は、オバマの訪印からおよそ10日後であった。共和国記念日パレードは首都のデリーで行われる。モーディー首相としては、オバマ大統領を主賓として迎えることで、世界の中にインドが燦然と輝く姿を国民の目に焼き付け、愛国心を刺激されたデリーの有権者の票を上積みしたい考えだったのだろうが、以上のようなことから、逆効果となってしまったようだ。少なくともプラスに働かなかったことだけは確実である。

 100万ルピーのスーツとは対照的に、ケージュリーワールはマフラーをファッション・シンボルとした。元々2013年のデリー州議会選挙のときも、インド人庶民が冬場によくするように、マフラーを顔に巻いたケージュリーワールのファッションは大いに話題になったものだ。季節は前回も冬、今回も冬であったため、そのイメージを踏襲したに過ぎないのだが、モーディーが100万ルピーのスーツを着たことで、ケージュリーワールのマフラーがより明確に庶民性の象徴となった。AAPのボランティアたちは、ケージュリーワールに「マフラーマン」のニックネームを付け、積極的に選挙に活用した。オバマ訪印時のモーディーの失点を、さらに拡大させる効果があったと考えられる。

■個人攻撃と傲慢さ

 インドの有権者の成熟を思わせる傾向がここ数年の間に見られる。それは、個人攻撃を行った政治家や政党が敗北するという傾向である。2014年の下院総選挙では、特にINCがナレーンドラ・モーディー候補を執拗に個人攻撃し、敗北した。モーディーを攻撃すればするほど、モーディーが選挙の争点となって行き、有権者は自分の選挙区の候補者にではなく、モーディーを首相にするためにBJP候補者に票を投じた。当時のアルヴィンド・ケージュリーワールにしても、モーディーを目の敵にしており、彼はわざわざモーディーの選挙区から立候補することを選んだ。おそらく2013年のデリー州議会選挙で前州首相のシーラー・ディークシトを破ったことで図に乗ったのであろう。結果、BJPは大勝し、INCは大敗を喫し、ケージュリーワールは落選した。

 今回、BJPは下院選時のINCと同じ過ちを犯した。ケージュリーワールの個人攻撃に終始したのである。特に、49日間で政権を投げ出した無責任さを強調し、彼のことを執拗に「バゴーラー(逃亡者)」と呼んだ。ケージュリーワールのかつての同志、キラン・ベーディーを州首相候補に担ぎ出したのもケージュリーワール潰しに他ならなかった。その結果、選挙の争点はケージュリーワールが州首相になるかならないかになってしまった。ケージュリーワールに州首相になって欲しい有権者はAAPに投票するという流れができてしまった。そして、デリーの約半数の有権者は州首相がケージュリーワールにふさわしいと考えていた。

 他方、ケージュリーワールは驚くほど自制していた。ライバルとなって突如出現したキラン・ベーディーに対しても、一言もネガティブな発言をしなかった。終始ベーディーに対する親愛と尊敬の念を表明し続けた。彼は2014年の下院総選挙まで、INCやBJPのネガティブ・キャンペーンに明け暮れていたのだが、それとは明らかに対照的だった。理不尽な攻撃に対してはちゃんと反論や反応をしていたが、常に謙虚に選挙戦を戦った。この大人の態度が、中間層を中心に信頼と支持を集めたのではないかと思う。

 開票が行われ、AAPの大勝が鮮明になると、ケージュリーワールはBJPとINCの敗因を「傲慢さ」と表現した。10年間与党を務めたINCは汚職にまみれて私腹を肥やし、7ヶ月政権を担ったモーディー首相は自己のルーツを見失った。モーディー政権は裕福な実業家向けの政策を採っているという見方も広がっていた。しかも、国会で論議を尽くすのではなく、大統領令(ordinance)という抜け道を使って、外資や富裕層に有利な制度を次々に制定した。例えば、土地接収法の緩和や保険業界の外資出資比率引き上げなどである。モーディー首相としては、下院総選挙の時に約束した「発展」を急ぎたかったのだろうが、下流層にはモーディー首相が傲慢になったと映ったようで、モーディー政権に対する失望が広がった。確かに「傲慢さ」が選挙の勝敗を分けたと言える。ケージュリーワールとAAPは、有権者のそんな「失望票」の受け皿となったのである。

■マニフェスト

 AAPのマニフェストは極度にポピュリスト的かつ社会主義的である。例えば電気代を半額にする、毎月20リットルの水を無料で提供する、高品質の医薬品を安価に提供する、公共の場でWiFiを無料で利用できるようにする、などだ。前回の州議会選挙でもほぼ同じマニフェストを掲げており、その内のいくつかは実行に移された。

 今回、有権者の多くがAAPに票を投じた大きな理由は、同党のマニフェストにあるだろう。特に経済的に弱い立場にいる有権者にとって、水や電気の値下げ・無料化は魅力的に映る。また、Wifi無料化はスマートフォンを愛用する若者を魅了する。しかも、AAPは前回、49日間という短命政権の中で実際にこれらの政策のいくつかを実行に移しているため、有権者から信用されやすかった。

 また、AAPの理念である汚職撲滅は、汚職の一番の被害者となっている庶民の琴線に触れた。汚職撲滅運動が最も盛り上がったのは2011年で、それ以降は多少下火になったが、それでも有権者の間には、誰かに汚職を止めてもらいたいという願望が根強いのだと思う。AAPが政権に就いていたとき、警察が弱者から言いがかりを付けて金を巻き上げることがなくなり、AAPが政権を投げ出してからまたそれが復活したという報告もある。汚職撲滅はAAPにしか出来ないという信頼を勝ち得たことも大きかっただろう。当然、今回のマニフェストでも汚職撲滅は最優先事項である。

 ただし、AAPは49日間で政権を投げ出したために、そのときはポピュリスト的政策に対して財政的な後処理をしなくて済んだ。今度は5年間政権を担うと言う。もし、AAPが掲げる政策を全て実施するとなると、年間何千億ルピーもの予算が上乗せで必要となる試算である。現在のデリーの予算総額は3,670億ルピーだ。AAPはモットーとして「大きな浪費をせずに大きな変化を」を掲げているが、このマニフェストを実現するためには支出を増やさざるを得ず、支出を増やすためには、いくら無駄を削減したとしても、増税は免れない。増税は庶民の生活を圧迫する。一体どうするのか。今後、AAPは財源を確保しながら、大風呂敷を広げた約束を着実に実行して行くことが求められている。決して簡単ではない。

■総括

 結局のところ、今回のAAPの勝因は、デリー市民がアルヴィンド・ケージュリーワールを州首相に選んだということに尽きるだろう。もちろん、ナレーンドラ・モーディー首相、アミト・シャー党首、そしてBJPの失敗や見通しの甘さもあったが、それが選挙結果に決定的な影響を与えたとは言えない。デリー市民は2013年のときからケージュリーワールにチャンスを与えたがっていた。2014年の下院総選挙でも、全国的にAAPはほぼ全滅状態だったにもかかわらず、デリーでは得票率を伸ばしており、ケージュリーワールやAAPの人気が落ちたという訳ではなかった。2014年の時点でのインド国民の総体的な願望は、「モーディーを首相に」であった。首相にふさわしい人物は、グジャラート州首相として実績を積んで来たモーディー以外にいないという、しごく全うな評価だった。AAPはケージュリーワールを、INCはラーフル・ガーンディーを頭に据えていたが、どちらも政治的経験は浅く、いきなり首相を任せられる状態ではなかった。

 モーディーの首相就任が達成された今、デリー市民は次の目標をケージュリーワールの州首相就任に設定した。ケージュリーワールには政治家としての経験を州首相としてしばらく積んで欲しいという期待もあっただろうし、汚職撲滅や貧困層の救済に全力で取り組んで欲しいという切実な願いもあっただろう。モーディー首相の右派的スタンスを抑制し、バランスを取るためにも、左派的なケージュリーワールは最適な人材であった。確かに彼が49日で州首相を投げ出したことに有権者は怒っていたが、それは逆に言えばケージュリーワールに州首相を続けて欲しかったということである。2013-14年のデリー州議会においてAAPが過半数の議席を持っておらず、自由に政策を実行できなかったことは、デリー市民なら誰でも理解している。それを踏まえて、彼は有権者に丁寧に謝罪し、今度は5年間州首相を続けると約束した。それが有権者の支持再獲得に大きく貢献したのである。

 よって、今回のデリー州議会選でAAPの勝利は半ば決まっていたことかもしれない。問題はどれだけ勝つかで、その部分でBJPのいくつかの失敗が響いただろうし、INCの完全崩壊も大きく影響したと思われる。その結果、67/70という一方的なAAPの勝利となったのだ。

□【おまけ1】デリー完全州化問題

 AAPが独占的な議席数を獲得してデリー州政府の与党となったことで、今後の興味深い焦点のひとつにデリーの完全州化が浮上して来ている。

 しばしばデリーは州(State)なのか連邦直轄地(Union Territory)ということが話題になる。首都であるデリーは、州でありながら連邦直轄地的要素も持ち、連邦直轄地でありながら州の要素も持つという、宙ぶらりんの状態になっている、というのが現状である。選挙によって選出された州議会議員(MLA)が州のトップとして選ぶ州首相(Chief Minister)と、中央政府から任命される総督代理(Lieutenant Governor)が両立している。普通、州なら前者、連邦直轄地なら後者が行政のトップとなるが、デリーは州と連邦直轄地の中間にあるため、トップが並立する特殊な状態にある。これを完全に州化、つまり総督代理の職を廃止して、機構をシンプルにしようという動きがデリー完全州化問題である。

 デリーを不完全な州だと考えると、他の州に比べてデリーの州政府が持っていないものが大きく分けて2つある。それは、土地と治安に関する権力である。デリーの土地に関する決定権は、中央政府都市開発省の下のデリー開発公社(DDA)が握っている一方で、デリー警察は中央政府内務省が管轄している。さらに、国会はデリー州議会選挙で可決された法案を無効にする権力も有している。今の状態では、デリーは中央政府に従属するしかなく、発展の障害となっている。これを解決するために、デリーを完全に州とする必要性が議論されているのである。

 興味深いことに、INCもBJPもAAPもデリーの完全州化に賛成の立場である。それなのになかなか実現しないのは、中央政府が土地や警察の実権を地方政府に譲り渡したくないからであろう。国防上の理由もあるし、極度に実益のある事項だからという理由もある。今回、BJPはデリーの完全州化をマニフェストから外した。それは、選挙前からデリー州政府がAAPの手に落ちる可能性があると予想されていたからだと考えられる。もしデリーの土地や警察に関する権利をAAPに握られると、中央政府は非常に動きにくくなってしまう。おそらく、BJP政権が中央にあり、AAP政権がデリーにある限り、デリーの完全州化は実現しないだろう。

 ちなみに、さらに複雑なことに、デリーには州政府とは別にMunicipal Corporation of Delhi(MCD)と呼ばれる都市自治体も存在する。一般に「デリー市局」と訳されている。デリー市局の長は市長(Mayor)と呼ばれ、選挙によって選出された市議会議員(Councillor)が選ぶ。デリー市局は、公衆衛生、道路整備、インフラなどを管轄している。ただ、デリーには市局の支配の及ばない地域もある。大統領官邸周辺のいわゆるラチェンス・デリーと呼ばれる地域は、中央政府によって任命される議長を長とするニューデリー市局(NDMC)の管轄であるし、南西部の軍駐屯地は、国防省の下のデリー・カントンメント委員会(Delhi Cantonment Board)の領域だ。さらに、2012年にはデリー市局が三分割され、それぞれ北市局、南市局、東市局となった。現在、デリー市局は3局ともBJPによって握られている。よって、デリーの現在の政治状況は、中央がBJP、州がAAP、市がBJPというサンドイッチ構造となっている。

□【おまけ2】AAPの不安要素

 AAPは大勝したものの、今回の選挙運動中に失態がなかった訳ではない。例えば、選挙運動中にウッタム・ナガルの倉庫から大量の酒類が押収される事件があった。「世界最大の民主主義国」と言うと聞こえがいいが、インドの選挙では、酒や現金が有権者に振る舞われることが日常茶飯事である。票を不正に買い取ろうとしているのだ。よって、選挙中は酒類や現金の動きが厳しくチェックされる。その倉庫に保管されていた酒類も、選挙用だったと考えられる。倉庫の所有者は、ウッタム・ナガル選挙区から選出されたAAPのナレーシュ・バルヤーンの親戚だとされており、現在取り調べを受けている。今回、67人もの議員がAAPから議会に送り込まれた訳だが、中には党是に反する汚職政治家が紛れ込んでいる可能性がある。ケージュリーワールは身内の汚職に対しても「ゼロ・トレランス」の姿勢を貫くことを表明しているが、果たしてどれだけのAAP議員が議員に値する人材であろうか。

 ケージュリーワール自身の発言に失点がなかった訳でもない。彼は選挙運動中に、「BJPやINCから賄賂を受け取って、AAPに投票しろ」と、根拠もなく他党を批判すると同時に、まるで贈収賄を正当化するような発言を何度かし、選挙管理委員会から注意を受けている。今回、彼は驚くほど自制していたが、やはり彼の本性はネガティブ政治であり、本当は野党が似合っている。今回、デリー州首相に就任したものの、デリー完全州化や水問題などを巡って中央政府や周辺の州政府と闘争に突入する可能性があり、そのときには彼の抗議者としての本性が発揮されることだろう。

 AAPにとって一番深刻なスキャンダルだったのは、寄付金を巡る資金洗浄疑惑である。AAPはまだ設立から2年ほどの若い政党なのだが、既に離脱者などを中心として抵抗勢力も生まれており、その中にAAPボランティア行動組織(AVAM)と呼ばれるAAPボランティアを脱退した人々による組織がある。AVAMはAAP現執行部を目の敵にしており、AAPの勢力をそぐことに、BJPやINC以上に躍起になっている。AAPの内情を知る者たちの組織であるために、AAPにとっても厄介な存在だ。AAPは支持者からの寄付金を活動費としているのだが、デリー州議会選挙公示後、AVAMは、AAPへの寄付金が資金洗浄に使われていると暴露した。彼らは証拠として、2000万ルピーの金が実体のない複数の会社からAAPの口座に振り込まれていることを示した。早速BJPはこれを材料にしてAAPを糾弾したのだが、うやむやで終わってしまった。BJPが期待したほど選挙結果には影響を及ぼさなかったようだ。しかし、汚職撲滅を掲げる政党の最大の弱点は汚職スキャンダルであることには変わりなく、もしAAPが本当に内部から腐敗しており、これ以上の汚職が明るみに出て来るのなら、党は存在意義を失い、政権は短命に終わらざるを得ないだろう。

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  1. アンナー・ハザーレー自身は政治を毛嫌いしており、AAPとは距離を置いている。 []
  2. ハング:定数の過半数の議席を持つ政党または連立党が存在しないこと。 []
  3. ロークパール:いわゆるオンブズマン制度。 []

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