偶然の装丁家

たり前のことを書くようだが、子供の頃は、新聞やテレビなど、世間で話題になっている人は大体年上だ。野口英世やエジソンなど、「世界偉人伝」みたいなものを親や教師から読まされることもあると思うが、当然既に死んだ人ばかりであり、年上とかそういうレベルではない。何が言いたいかと言うと、子供心に「すごい人だな」と思う人がいたとしても、それが同年齢だとか年下だとか言う可能性は限りなくゼロに近い。

 高校生くらいになるとだんだん様子が違って来る。気付くと高校野球に出場している選手たちは同世代になるし、年下の売れっ子アイドルもちらほら出て来るようになる。ただ、それでも年下の人間を尊敬することはまだあまりないのではないかと思う。

 矢萩多聞君は、僕の人生の中で、初めて年下で尊敬できると思った人物であった。僕よりも2歳若い多聞君は、インド関係者にはIndo.toの管理人として一定の知名度を誇っているであろうし、最近では出版業界周辺で装丁家としてすこぶる名が通るようになっていると聞く。今年、彼は「偶然の装丁家」(晶文社)という自叙伝的な本を出した。

 

 実は彼と初めて出会ったのは、彼が第一作「インド・まるごと多聞典」(春風社)を出した頃であった。僕がインドに留学し、最初に日本に帰国した2002年5月頃に、多聞君は銀座の画廊で個展をしていた。Indo.toを通じて彼のことを知っていたので、個展を見に行ってみた。そうしたら画廊にいた彼と話すことができ、流れで、直売されていた「インド・まるごと多聞典」を買うことになったのだった。今、改めて書棚からこの本を取り出し、表紙をめくってみると、彼のカンナダ語による直筆のサインが目に入って来た。それ以来交流が生まれ、Indo.toで連載をしたり、東京やバンガロールで会ったりした。一緒にARレヘマーンのライブを観に行ったこともあったし、僕の結婚式にも来てくれた。

 多聞君を尊敬する理由はいろいろあるのだが、一番単純な理由は、年下であるにも関わらず僕よりも先にインドに足を踏み入れ、しかも僕よりも長くインドに住んでいたからである。彼は9歳の頃にネパールを旅行したのを皮切りに、12歳の頃から毎年のようにインドを旅行するようになり、15歳の頃から日本とインドに半年ずつ住む生活を送っていた。現在は日本に定住しているが、まだバンガロールに家を持っているようだ。彼と初めて会ったとき、僕はインド在住歴せいぜい1年だったが、彼は既に7年ほどインドに住んでいた。なんと羨ましい人生か。

 インド好きの外国人に共通する心情かどうか分からないのだが、僕は自分が目にする前のインドを目撃し、僕よりも長くインドに住んでいる外国人は無条件で「先輩」と感じてしまう。僕の考えでは、インドに関わり出した途端に「インド経験値」みたいなものが加算され始める。これはインドとの付き合いで自然と増えて行く。インドが気になり出したらとりあえず入会特典としていくらか経験値が与えられ、インドについて調べたり勉強したりすることで微増して行く。インドを旅行することで結構貯まる。特に初めてのインド旅行ではメーターが振り切れるほどの経験値が得られるだろう。それでも、それは住むことで得られる経験値の比ではない。インドを旅するのと住むのとでは大違いなのである。

 インドを理解しようと思ったらまずは現地に「家」を持つことが重要である。家を持つことで周囲のコミュニティーとの接点が生まれ、大方の場合、そのコミュニティーの中に入れてもらえる(無理矢理入れさせられることも多い)。そしてそれがインドを観察し理解するための重要な視座となる。当然、十人十色の視座が出来上がるが、それをお互い披露し合い、新たなインドの魅力を発見するのが、インド好き外国人同士の楽しみである。この視座は、放浪する旅人ではなかなか得られない。旅行中でも特定の場所に長期滞在することで擬似的な視座は得られるが、観光地はまた偏りが激しいので、普通の場所に家を持つことが好ましい。そして住む期間は長ければ長いほど良い。最低でも丸々1年インドで過ごし、12ヶ月のひとつひとつを体験しなければ何も始まらない。一度は酷暑期も(できれば冷房のない部屋で)キチンと耐えなければならない。

 逆に言えば、肩書きや地位はあまり関係ない。もちろん、そういうものがあればそれだけ高い地位のインド人と会うチャンスも増えるのだが、それによって得られるものとインド経験値は少し違う。インドをどれだけ肌で感じ、血肉にできているかを問題にしている。そして、相手のインド経験値は初対面で大体分かってしまう。それはあたかも、剣道の達人が対戦相手と向かい合って構えた途端に勝敗を悟るのと似ている。デリー在住時代には様々な日本人・外国人と出会ったが、今思えば僕は人を肩書きや年齢ではなくインド経験値で判断していた。だから、地位や年齢が上の人に対して先輩面して結構失礼な態度を取ったこともあったかもしれない。しかしながら、インドに限ってはそれがまかり通るのも幾分致し方ないところがある。それだけ奥の深い国であり、じっくり時間を掛けて付き合っていかなければならない、そしてそれだけの価値のある国なのである。

 多聞君は、インド経験値で僕の上を行く存在であった。よって、僕は常に彼のことを先輩だと考えて来た。

 「偶然の装丁家」の第2章が主に彼のインドとの関わりについて書かれた部分である。この本は、読む人の関心によって、重点的に読む章が異なって来ると思うのだが、僕にとってはこの第2章が一番重要な章であった。

 インドでただ「生活」をしていただけ・・・。この章の大部分はそれの説明に費やされていたと言える。町の地図を作ったり、インド映画にはまったり、病気になったりと、一応いくつかの出来事が書かれているが、基本的にはただ暮らしていただけだと書かれている。

 インドに住んだことのない日本人には、あまり実感を持って理解されないところなのではないかと思う。だが、僕にはよく分かった。インドにおいて、留学生として、多聞君よりは目的を持って住んでいたと言える僕にとっても、また、首都デリーに住み、多聞君の住んでいたプッタパルティやバンガロールに比べて遙かに都会に住んでいた僕にとっても、正に第一には「生活」だった。

 こう書くと、インドでは日々の生活が苦しく辛いから、まずは「生活」をどうにかしなければいけない、と受け取る人もいるだろうが、全く逆だ。「生活」そのものが起伏に富んでいて楽しいので、「生活」だけで飽きないのである。

 列車の移動で喩えてみると分かりやすいかもしれない。日本において、新幹線で東京から大阪に移動するとする。もし初めて新幹線を使うなら、それは緊張感溢れる思い出深い旅になるかもしれないが、慣れてしまうと何の変哲もない単なる「移動」となる。到着時間まで、何かの作業をしたり読書をしたり居眠りしたりして、基本的には時間が過ぎるのを待つ時間となる。だが、インドにおいて列車で移動すると、何かしら出会いがあり、何かしら事件があり、そういうことがなくても何かしら心に残るものがあり、移動そのものが旅の1ページとなることが多い。これはいくら旅慣れてもそう変わらない。インドでは移動が移動ではない。

 これが毎日の生活にも当てはまるのである。お祭りであれ、テロであれ、近所のちょっとした事件であれ、病気であれ、停電、断水、タマネギの値上がりであれ、何か起こる。たとえ何も起こらなくても、家に閉じこもっていない限り感情が刺激を受けない日はないので、やはり何か内的な変化がある。内的な変化があることで、外部とのつながりを常に感じていられる。いや、家に閉じこもっていても、息を吸い、食べ物を摂取する限り、変化は免れない。単に1日が過ぎ去ったという感覚ではない。1日と共に自分も前に進んだような気分になる。

 ただ、僕は基本的に何もせずに1日を過ごすのが嫌いな人間なので、必ず何かしようと努力していた。インド留学時代に精力的に更新していたウェブサイトこれでインディアは、そういう努力の賜物であり、毎週ヒンディー語映画を観る原動力も、インド中を旅行する気概も、元を辿って行けばそこに行き着く。多聞君も、何もしていないとは言いながらも、絵を描いたり詩を書いたり、本を読んだり思考したりしていたそうなので、やはり何かしていたのだと思う。

 もちろん、それでも何もなく過ぎて行く日はたくさんあった。しかしながら、インドで過ごした期間、1日たりとも無駄に過ごしたという感覚はない。多聞君は「あの静かな一日は、なんと濃密な時間だっただろう」(P70)と書いているが、これはインドで比較的自由な時間を謳歌した人に共通した感情であろう。インドはカラフルな国であるが、生活にも色が付いているような感じだ。もしくは、生活は無味無臭ではなく、1日を暮らすことで何かしらの後味や残り香が残る、と書けばより実感に近いだろうか。体中の汗腺が刺激され、心の琴線が波打ち続け、自分が生きている実感が得られるのである。他の国で長いこと暮らした場合にも、果たしてこういう感覚は得られるのだろうか?興味がある。

 不思議な感覚だが、インドでは生きているだけで宇宙とつながっているような気分になれる。多聞君は「暮らすことがヨーガ」と達観したフレーズを作り出した。一時期「生かされている」という言葉が流行ったが、それよりも一歩進んだ言葉だと思う。インドに長年住まなければ発想できない言葉のセンスだ。もちろん、日本でも暮らすことは変わらずヨーガなのだが、それに気付くためには日本人はインドの力を借りる必要があるように思われる。

 後の「生きられるところまで生きよう」でも、多聞君は、若くして死んだ同居人Uさんのことを生前よりもよく思うようになったことや、彼の遺骨が家の壁になったり牛糞と共に草を育てたりしていることの観察を通して、肉体の一時性と精神の不滅性というインド哲学の至上命題を体感している。これもインドに長く住むと自然と理解されて来ることだ。インドでは日本よりも死が身近であるからであろうか。日本とは違い、インドは命の安い国であり、「命はかけがえのないもの」として押し付けられないところがあるからであろうか。生と死について自分の頭で考えることが許される。そうすると、死が人生の終着点ではなく通過点のひとつであるような感覚が得られる。だからと言って、人を殺していいとか、誰かが死んでも悲しくないとか、そういうことではないのだが、なぜか生について死について一歩引いて考える機会が増えるのがインド生活である。

 酷暑期から雨季への劇的な移り変わりも、「ずっと雨を待っていた」という節において見事な筆致で描写されている。インドでの留学生活が長くなって来ると、前述のインド経験値のせいであろうか、僕も偉そうに新米留学生に助言をする立場になって行ったのだが、僕がこだわって必ず助言していたのは、ちゃんと酷暑期から雨季への変遷期を経験すべし、ということだった。そのためには1年の留学ではなく、2年以上必要となる。なぜならインドの大学は7-8月から始まり4-5月に終わるので、1年のみの留学だと酷暑期から雨季への転換期である6-7月を体験せずにインドを去ることになってしまうからである。この時期に日本に帰省する留学生も多いのだが、酷暑期が終わる前にインドに戻り、一度は雨季の到来をインド人と共に祝うべき、というのが僕の持論だ。それほど、この瞬間はインドを理解する上で重要なのである。

 わざわざ雨季到来の場面に紙面を割いたのも、多聞君がこの頃のインドの劇的な変化の様子を重視しているからであろう。それだけでも、彼がインドを血肉にしていることが分かる。酷暑期から雨季に移り変わる部分だけ引用させてもらおう。特に酷暑期の描写において、大袈裟な表現をしていると思う人もいるだろうが、これは何の誇張もない現実の光景であり、僕もデリーで毎年概ね体験していたことである。

 ・・・わが家にはエアコンがなく、暑さからは逃れられない。朝、山向こうから陽が昇り、一筋の光が差しこむと同時に熱気が迫ってくる。窓の大きい、風通しのよい部屋が好まれるのは日本の話。窓をしっかり閉め、分厚い布で日光を遮断しないと熱は防げない。
 天井で回る扇風機は、もはやドライヤーみたいな温風しか送らない。布を水にジャブジャブ浸して頭からかぶる。濡れた布を通り抜けた空気は気化熱で涼しくなるが、それも30分としないうちに乾いてしまう。
 汗はすぐ塩になり、首すじがザラザラする。塩っ辛いものを無性に食べたくなるが、火を使った料理はつらい。台所に立ちたくない。水道管は熱され、蛇口をひねっても温水しか出ない。野菜を洗うと、勝手に温野菜になってしまう。
 日中、通りを歩く人はほとんどいない。みんな暗い室内で息をひそめているのだ。

 ・・・(中略)・・・

 朝食のスイカをたいらげたあと、残った皮を近所の子牛に届ける。いつもはぼくの姿を見ただけで喜ぶ牛も、暑さでぐったり。スイカを鼻先にぶら下げてもほしがらない。急いで家に戻り、バケツに水を汲んでくる。乾いた頭にかけてやると、牛はようやく正気を取り戻し、グビグビ鼻をならしてスイカをほおばる。
 川はとうに干上がってしまった。もう何週間も水たまりすら見かけない。熱風が地表を撫で、土埃ばかりが舞っている。生き物たちはじっと雨を待つ。こうなると人間も牛もほしいものはあまりかわらないのかもしれない。

 ある昼下がり、うとうとしていると、湿った風が鼻先を通り抜けた。あわてて窓をあける。むこうの山にぶ厚い雨雲がかかっているのが見える。
 窓の格子にへばりついて、雨雲を呼ぶ。風の匂いがいつもと違う。胸が高鳴る。きっと今日こそ雨が降る。
 何十分か後、地を揺さぶるような雷鳴とともに雲がやってきた。ポツリポツリと雨粒が赤土に足跡をつけてゆく。木々は風にしなって笑っているようだ。
「雨だ!」
 だれかの叫ぶ声がする。たまらず、外に飛びだすと、喜びのあまり歌い踊っている人たちがいる。濡れるのもかまわず、素足のまま通りを駆ける。
「ガナ・シャーマ!」
 慈愛深きクリシュナ神の別名が叫ばれる。空はくぐもった群青色で覆いつくされている。まさにクリシュナの肌の色だ。
 どしゃぶりのなか、子牛はからだいっぱい揺れている。スイカの実をあげたときだって、こんなには喜ばない。いつもは乾いている鼻も湿って黒く光っている。ぼくも夢中で牛と踊る。
 どこに隠れていたのか、通りには蛙が、ぴょこぴょこ跳ねている。
 乾期のおわりは、雨期のはじまり。雨が降りだすと、次第に山には緑が戻る。花々が咲き、果物が実り、祭りがはじまる。雨の訪れとともに町に活気が満ちてゆく。
 あの激しい乾きを知らなければ、この雨のありがたみを感じることはなかっただろう。(P64-67)

 「その場にアジャストする」という節もインドならではだ。ただし、インド英語ではadjustは「アドジャスト」と読む。ヒンディー語でもっといい言葉がある。「ジュガール」である。インドの強みと弱みの両方を象徴する言葉であるが、ここではその強みの部分に光が当てられている。特に籐家具オーダーメイドの場面は分かりやすい。インドの家の床は平らではないので、家具の足を調節してガタガタしないようにするのである。日本では「?」な行為だが、インド生活では万事がこの調子だ。だからインドでは家具は基本的にオーダーメードである。職人が家まで通って来て、部屋の寸法に合わせて作ってくれる。衣服でも同じことだ。考えてみれば人間の体もS・M・Lなどで綺麗に分類できるはずがなく、服の方を体に合わせて調整するのが自然だ。しかし、日本のレディーメード文化に慣れてしまうと、インドのオーダーメード文化が贅沢かつ面倒なものに見えてしまう。こういう違った視点が得られるのもインド生活の利点である。

 インド関係の章を読んで、よくここまで文章にしたな、というのが率直な感想だ。世にインド本は多いが、ここまでインドの深みまで潜り込んでエッセンスを汲み取り、言葉にできている本は稀である。未だに、ちょっとインドを旅行しただけの人間がしょうもない体験談を無責任に書き殴った本がちょくちょく出版されているが、それらとは次元の違う本である。逆に、ここまで文章にする必要はなかったかもしれない、とも思う。彼が書いたことの多くは、志ある人がインドとじっくり向き合って自分で感じ取るべきことであり、これからインドに住もうとしている人にこのような分かりやすい解答を与えてはいけないと感じる。

 矢萩多聞君の人生はポスト・インド時代も続いており、「偶然の装丁家」の文章もさらに続く。だが、彼の芸術家としての側面、装丁家の仕事、3.11後のことなど、僕がここで取り立てて書く必要はないだろう。僕にとって、矢萩多聞君の「偶然の装丁家」は、幼少時からインドと深く付き合って来た1人の日本人による優れたインド解説書である。そしてそれだけでとても価値のある本になっている。

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