JNU国賊問題1

がおよそ10年間在籍していたジャワーハルラール・ネルー大学(JNU)が大変なことになっている。JNUの学生たちが国賊(deshdrohi)扱いされ、学生自治会(JNUSU)の会長が逮捕され、そればかりでなく、「容姿がJNU生に見える」というだけでリンチに遭うという異常事態がデリーで続いている。どうしてこんなことになったのか、まとめてみた。

 まず、JNUについて簡単に説明しておく。JNUはデリー南部に位置する国立の総合大学院大学であり、文系(Arts Stream)ではインドNo.1の教育機関として誉れ高い。もっとも、インドでは理系(Science Stream)が学歴ヒエラルキーの上部に明確な形で君臨しており、その次に商業系(Commerce Stream)、最後に文系となっている。よって、インド最高の頭脳はインド工科大学(IIT)や全インド医科大学(AIIMS)といった理系専門大学へと進学するのが普通だ。とは言え、JNUへの入学が決して易しい訳ではなく、国中から優秀な学生が集まって来る。JNUは国から予算、設備、人員配置などの面において優遇もされているようで、例えば他の大学ではおよそ25人の学生を1人の教授が教えている計算になるのに対し、JNUでは学生15人につき1人の教授という恵まれた環境となっている。JNUは伝統的に左翼系の学生団体や教授が勢力を持っており、学生政治運動が活発である。キャンパスを歩くと、カール・マルクスやチェ・ゲバラの壁画が見られ、学生たちが好んで使う合い言葉は「インカラーブ・ズィンダーバード(革命万歳)」である。「レッド・キャンパス」の異名は伊達ではない。帝国主義への反対、資本主義の打破、民主主義の遵守、被搾取層の社会的地位向上などの気風が根強く、学生の政治参加度や敏感さはインド随一だ。秋頃に行われる学生自治会役員選挙は、春のホーリー祭と並んで、JNUの風物詩となっている。

 JNUで活動する学生団体は複数あるが、その多くは左翼系政党の傘下にある。団体名を日本語に訳すと同じになってしまうものがいくつかあるので、略称でのみ紹介する。まず、AISAは最左翼政党インド共産党マルクス・レーニン主義派(CPI-ML)の下部組織で、JNUでは安定的な勢力を保っている。現在、JNUSUの副会長と書記長のポストを占めている。AISFはインド共産党(CPI)に属しており、JNUSUの現会長カナイヤー・クマール(Kanhaiya Kumar)を輩出している。SFIはインド共産党マルクス主義派(CPM)の傘下にあり、かつては権勢を誇っていたが、今はJNUSUのポストをひとつも獲得していない。DSFはSFIから分離した団体であり、DSUは極左政党インド共産党毛沢東主義派(CPI-Moist)のフロントとされる。以上がイデオロギー的には左である。それに加えて国民会議派の下部組織であるNSUIが中道左派に位置づけられる。一方、右に位置づけられるのが、インド人民党(BJP)傘下の学生団体であるABVPだ。現在、JNUSUの副書記のポストをABVPが握っている。

 

 さて、今回のJNUの問題は、昨年からの全国的な情勢の中で捉える必要があるだろう。2014年の下院選挙でBJPが大勝し、グジャラート州の発展に敏腕を振るって来た政治家ナレーンドラ・モーディーが首相になって以来、インド経済は持ち直し、GDPの成長率も中国を抜くまで勢いづいた。しかし、その一方で、マイノリティー――特に全人口の一割強を占めるイスラーム教徒――に対する圧力が強まっている。BJPはヒンドゥトヴァ(ヒンドゥー教至上主義)を掲げる政党であり、多数派であるヒンドゥー教徒――特に上位カースト――の宗教感情を刺激し利用することでまとまった票を集める戦略を採って来ている。よって、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の宗教対立を煽る傾向にある一方、留保制度など、下位カーストやアウトカーストの層を優遇する政策には消極的だ。BJP政権が樹立して1年が経った辺りから、「Intolerance(不寛容さ)」という言葉が新聞やニュースでよく聞かれるようになった。社会全体にマイノリティーに対する不寛容さが蔓延しているというのだ。

 実際に、不寛容さの拡大を示す象徴的な事件がいくつか起こった。例えばウッタル・プラデーシュ州では、1人のイスラーム教徒が「牛肉を食べた」とされ、その根も葉もない噂を信じたヒンドゥー教徒の集団から暴行を受けて死亡するという事件が起きた。カルナータカ州では、同州の支配層である高位ヒンドゥー教徒の一派、リンガーヤト派の「正史」や偶像崇拝に異議を唱えた中世文学研究者MMカルブルギが暗殺される事件が起こった。映画スターのアーミル・カーンが、インドに不寛容さが蔓延していることを取り上げ、妻と「インドから出る」ことを相談した旨のツイートをしたところ、大炎上し、彼はインドの観光キャンペーン「Incredible India」のアンバサダーを外された。これら一連の事件の結果、インドが、多数派や権力者にもの申すような発言や行動をした者を寄ってたかって貶めるような、窮屈な社会となったように感じる者が増えて来た。

 しかしながら、JNUの事件により直接的につながって行ったのは、ハイダラーバード中央大学(HCU)におけるダリト(不可触民)学生自殺事件である。

 同大学の博士コースに在籍していたローヒト・ヴェームラー(Rohith Vemula)は、アンベードカル学生協会(ASA)のメンバーで、BJPの学生団体であるABVPと対立していた。昨年8月に、ボンベイ連続爆破事件(1993年)の容疑者の一人、ヤークーブ・メーモン(Yakub Memon)の死刑を巡ってABVPと衝突があり、これを理由に彼は大学から奨学金を止められ、寮を追い出された。ローヒトは今年1月17日に、それを苦に、もしくはそれに抗議をするため、自殺をした。遺書には、「直接のアイデンティティ(immediate identity)」に関する苦悩が綴られていた。これは、ダリトに対する差別がアカデミックの世界でも根強いことを示す事件として受け止められ1 、インド全国に抗議運動を巻き起こした。

 JNUの事件が起こったのは2月9日である。この日の午後5時に、サーバルマティー・ホステル前のダーバー(食堂)で文化イベントが催された。その題名は「郵便局のない国(The Country without a Post Office)」で、詩の朗読会とされていた。JNU当局も問題ないと見てイベントの許可を出した。ところが当日、イベントのポスターが貼られてみると、そこには全く別の主旨の言葉が並んでいた。特に目を引いたのが「アフザル・グル(Afzal Guru)とマクブール・バット(Maqbool Bhat)の司法的殺人に反対して」という文言であった。

 ここでアフザル・グルとマクブール・バットについて説明せねばなるまい。両者ともカシュミール人であり、印パ両国からのカシュミール独立のために戦う武装勢力ジャンムー・カシュミール解放戦線(JKLF)の一員である。アフザル・グルは、2001年の国会議事堂襲撃事件の首謀者の一人とされており、逮捕後に死刑判決を受け、2013年2月9日に死刑が執行された。また、マクブール・バットは、JKLFの創設者の一人であり、インドで警察を襲撃した罪により死刑判決を受け、脱走してパーキスターンに逃げ込むものの、そこでもお尋ね者となり、インドに帰還して逮捕され、1984年2月11日に絞首刑となった。どちらもインド当局から見れば完全なるテロリストではあるが、どちらのケースについても、彼らを死刑にすることを前提に事が進められ、警察の捜査や裁判の手続きなどに問題があったとされている。

 2016年2月9日にJNUで行われたイベントは、これら2人の「司法的殺人」に抗議してのものだった。この日はちょうどアフザル・グルの命日であり、また、マクブール・バットの命日も近かった。さらに、直前にハイダラーバードで起こったローヒト・ヴェームラー自殺事件の発端もヤークーブ・メーモンの死刑を巡る衝突にあり、それも関係していると考えられる。ちなみに、ここで名前が挙がっているアフザル・グル、マクブール・バット、ヤークーブ・メーモンは、3人ともイスラーム教徒である。

 ABVPからの苦情を受け、JNU当局はサーバルマティー・ホステルでのイベント開催許可を取り消した。しかし、イベントは強行された。そこで何が起こったかについては、いくつかの証言があってはっきりしない。だが、ニュース局Zee Newsが放送したビデオによると、そこで「インドを破滅させよう」「パーキスターン万歳」「カシュミールに自由を」などのスローガンが連呼されたと言う。それらの反国家的スローガンに対してABVPのグループは「カシュミールは我々のものだ」などと、愛国的スローガンで応酬したとされている。

 この出来事が映像と共にインド中に報道された。BJPの政治家たちがJNUを批判し、野党がそれに反発したことで、JNUは政争の場となり、JNUの名前はしばらくヘッドラインから離れなくなった。JNUを批判する者はJNUを反国家的教育機関と批判し、JNUの学生を国賊と呼んだ。一方、JNUを擁護する者は、言論の自由と大学の自治が危険にさらされていると警鐘を鳴らし、近年インドに蔓延する不寛容さの新たな一例だとして、与党を糾弾した。渦中の人となったのが、JNUSUの会長、カナイヤー・クマールであった。なぜなら、Zee Newsが、カナイヤーが反国家的なスローガンを連呼する様子を捉えたビデオを放映したからである。また、SNS上では、カナイヤーが、分断されたインドの地図の前で演説しているとされる写真が出回った。まるでカナイヤー自身がカシュミール分離派であるかのようだった。

 事件から3日後の2月13日、カナイヤー会長は逮捕される。警察がキャンパス内で公務を行うには副総長(Vice Chancellor)からの許可が要るのだが、このとき副総長は許可を出していた。容疑は煽動罪(sedition)。これはインド刑法第124条Aに規定されており、「法によって成立した政府に対して憎悪、軽蔑、不満を煽る、または煽ろうとする」ことを禁じている。ところが、どうやら実のところ、カナイヤーは反国家的スローガンを一言も発していなかったようだ。カナイヤーが反国家的スローガンを連呼するビデオや写真は偽造されたものだということがすぐに明らかになった。彼は、2月9日の事件があった後、ヒンディー語で「我々はインドの国民だ」と題せられる演説を行っているが、そこでは全く反国家的な発言をしていない。むしろ愛国と憂国の熱情溢れる名演説だ。カナイヤー逮捕に踏み切ったのは、警察の勇み足だったと言わざるを得ない。だが、警察は間違いを認めず、カナイヤーを首謀者として拘留し続けた。

 JNUSU会長の逮捕は、インド全土の大学に抗議運動を巻き起こした。さらに、カナイヤーが裁判所で弁護士の集団から暴行を受けるという事件も起こる。しかも二度に渡って(2月15日と17日)である。当然、暴行を行ったのはBJPの息のかかった弁護士であろうが、裁判所の敷地内で、法律のエキスパートであるはずの弁護士が学生に暴行を繰り返すのは、いくらインドでも信じられない出来事だ。もちろん、警察もいたのだが、手出しをしようとはしなかったと言う。このとき、カナイヤーだけでなく、その場にいたJNUの学生や教授なども暴行を受け、さらに、JNUっぽい格好をしていたジャーナリストたちすらもとばっちりを受ける形で被害を受けたと言う。ちなみに、デリーの警察は中央政府の管轄にあり、BJPの手中にある。これらの事件は、学生たちの抗議運動にさらに火を注いだ。ただ、ABVPに属する学生たちは、カナイヤーを擁護する運動に対する抗議を行っている。

 論点は、表現の自由の範囲だ。アフザル・グルやマクブール・バットのような、国家がテロリストとして断罪し、処刑した人物を擁護するような発言までも、表現の自由は保証するか、ということだ。しかも、国から補助金を受けている国立大学の敷地内で、インドという国体自体に対する反感を煽るようなスローガンを掲げることが許されるか、ということだ。そして、根本的には、たとえ表現の自由を逸脱したとしても、意見や思想の相違を力で押さえつけるようなことがあっていいのか、ということである。

 だが、本当に議論されなければならないのは、カナイヤーが誤認逮捕された可能性である。実際にイベントを主催し、反国家的スローガンを揚げたのは、ウマル・カーリドをはじめとしたDSU所属の学生たちだったとされている。また、イベントにはJNUの学生ではない、部外者が多数入り込んでいたとの話もある。もし、このイベントやスローガンに問題があるなら、まずはウマル・カリードらを逮捕するべきであった。ウマル・カリードはしばらく行方をくらましていたが、2月22日、JNUキャンパスに突然姿を現し、やはり熱のこもった演説を行ったようである。その矛先はもちろん政治家や警察にも向けられているが、もっとも糾弾の対象としていたのは、彼についてあることないこと報道するメディアである。一方、警察は、副総長からの許可がなくてキャンパスに入れず、ウマル・カリードを逮捕できずにいる。

 この事件は現在進行形で進んでおり、今後さらにエスカレートするかもしれない。JNUは元々、インドの学生政治運動の先頭に位置する教育研究機関であるが、今回は学生政治の範疇を大きく越えて、国の政治を左右する事件にもなり得る。思い起こせば2012年、デリー集団暴行事件――いわゆるニルバヤー事件――が起きたとき、真っ先に抗議の声を上げ、運動を起こしたのは、JNUの学生たちだった。なぜなら被害者の女性が犯人たちの乗るバスに乗り込んだのは、JNUの目と鼻の先にあるバス停だったからだ。この事件は州政府の政権交代に少なからず影響を与えたと言える。今回は中央政府が相手である。今後も展開を見守って行きたい。

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  1. 名門教育機関における学生の自殺の内、8割はダリト、残りの2割は部族とムスリムで、多数派学生の自殺は皆無だったとの報告もある []

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