マサラ上映

が初めて見たインド映画は1998年に日本で劇場一般公開された「ムトゥ 踊るマハラジャ」であった。1995年公開のタミル語映画で、原題は「Muthu」。タミル語映画界のスーパースター、ラジニーカーント主演で、当時「インドの小室哲哉」と呼ばれていたARレヘマーンが音楽監督を務めている(今となっては小室哲哉の方が恥じ入るような呼び名だ)。この映画は日本で大ヒットとなり、その後の日本におけるインド映画のイメージを決定づけた。

Muthu

 この「ムトゥ 踊るマハラジャ」を観たのが渋谷の有名映画館シネマライズだった。当時から映画は大好きで、1週間に必ず1本は映画を観ていた。ハリウッド映画はもちろんのこと、いわゆる単館系の映画もよく観ていたが、インド映画には興味がなかった。「ムトゥ 踊るマハラジャ」を観たのは単なる偶然で、シネマライズの前を通り掛かったところ、エキゾチックなポスターに目が留まり、駄作かもしれないけど一度観てみるか、と思い立ったのだった。そのちょっとした気まぐれが人生を全く変えてしまった。

 

 今まで観て来た数々の映画は吹っ飛び、これこそが映画だと感じた。最初はどう反応したらいいのか分からず、ただただスクリーンに釘付けになっていた。まだ公開から日が浅く、観客も口コミベースで来ている感じだったので、僕と似たようなものだった。しかし、次第に周囲の観客がこらえ切れなくなってポツポツと笑ったり拍手したりし出すと、これは反応していいのだ、と楽になり、僕もストレートに感情を表すことができるようになった。そして映画が終わったと思ったらまだインターミッションで、そこからさらに物語が続いたのである。あらゆる点で驚きの連続だった。やっと映画が終わると、全ての観客が一種異様な興奮状態にあるのが見て取れた。同じ場、同じ感情を共有することで、奇妙な連帯感が生まれていた。やっと真の映画を体験することが出来たと感じた。

 その直後の春、僕はインドへ向かっていた。

 このように、「ムトゥ 踊るマハラジャ」は自分の人生の方向性を決めた映画であり、それを上映してくれたシネマライズは恩人のような映画館だ。それ以前もシネマライズで上映される映画はよく観ていたが、「ムトゥ 踊るマハラジャ」の価値は僕にとってプライスレスとなった。2001年にインドに住み始めてからシネマライズを訪れることはなくなったが、この度久しぶりにシネマライズに足を踏み入れることになった。現在公開中のヒンディー語映画「Student of the Year」(2012年、邦題は「スチューデント・オブ・ザ・イヤー 狙え!No.1!!」)を観るためである。この日、シネマライズでは最後の「マサラ上映回」となっていた。

Student of the Year

 マサラ上映とは「唄っても踊っても何でもOK!」という、今までの日本の映画館の常識を覆す上映スタイルである。歴史を紐解いてみると、ラジニーカーント主演のタミル語映画「Enthiran」(2010年)が「ロボット」の邦題と共に日本で一般公開された2012年から始まったようで、「Om Shanti Om」(2007年、日本公開は2013年、邦題は「恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム」)や「3 Idiots」(2009年、日本公開は2013年、邦題は「きっと、うまくいく」)などに受け継がれ、パワーアップして行った経緯がある。

 近年、日本では、シネコンの増加に伴って、昔ながらの映画館が次々に閉館して行く中、映画館としての新たな在り方が模索されているようで、上映方法にも工夫が見られるようになったようだ。例えば、吉祥寺バウスシアターが発祥の爆音上映は音楽ライブ用の音響セットを使った大音量の上映であり、2004年から続いている。バウスシアターにおける、参加型映画の元祖「ロッキー・ホラー・ショー」(1975年)の定期上映は伝説となっている。爆音上映を売りとした爆音映画祭自体はバウスシアターの閉館に伴って今年で終了となるようだが、爆音上映のスタイルは全国に波及しており、僕の住む豊橋の地元映画祭でも行われている。今年、「アナと雪の女王」(2013年)が大ヒットしたが、主題歌を観客が一緒に歌うシング・アロング企画も盛り上がった。このように、静かに座って映画を観るだけの映画館からの脱却を図る動きがあちこちから沸き起こっており、それにマサラ上映もうまく乗っかることができて、マスコミでも度々取り上げられるようになった。

 僕は、日本で映画を観ていた頃は、静かに映画を観るタイプであったし、周囲にも無意識の内にそれを求める人間だったと記憶している。だが、インドの映画館で10年以上に渡って映画を観て来たので、映画館に対する考え方は180度変わってしまった。映画館はうるさくなくてはつまらないと今では真剣に思っている。この間、映像技術や記憶媒体は進化し、家庭で迫力のある映像を楽しめるようになった。次第に映画館のアドバンテージが減って来る中、映画館が観客に提供できる独自のものは何かを考えなくてはならない時期に来ていると言えるだろう。図書館のように静かな鑑賞環境は、何も映画館でなくても手に入る。ならば何があるのか?それは、大勢の観客と一緒に物語を共有し、感情をシンクロさせるということであろう。そのためには反応が必要だし、観客は多ければ多いほど反応は増幅され、ハプニングを生む。デリーに住んでいた頃、僕はわざわざ満席になりそうな回を選んで映画を観ていた。満員御礼の映画館で映画を楽しむことほど贅沢なことはないと知ってしまったからである。携帯電話が鳴ろうが、赤ちゃんが泣こうが、それも映画体験の内で、味となる。そしてたとえ作品自体がつまらなくても、後から映画好きの友人たちと「あの映画つまらなかったなぁ」「あそこをああすればもっと良くなったのになぁ」と勝手なことを言い合うのが楽しい。そこまでが映画という体験であると感じる。

 日本を出たことがない人には、映画館の在るべき姿というのはもしかしたらなかなか想像できないものなのかもしれない。だが、マサラ上映はもしかしたら日本人に映画館の本当の魅力を伝導する役割を果たすことができるかもしれない。勘違いしてはいけないのは、インド本国にマサラ上映のようなシステムは存在しないということだ。映画と一緒に歌ったり、ヒーローの登場シーンに口笛を鳴らしたり拍手をしたりすることは普通にあるが、踊るのはさすがにあまり見たことがない(それでも皆無ではない)。インドの映画館はセキュリティーが厳しいので、クラッカーを鳴らしたり楽器を鳴らしたりすることは断じて許されていない。しかし、エッセンスはかなり近付いているように感じる。

 おそらくマサラ上映に来る人は友達と来ることが多いのではないかと思うが、そこがまずインドの映画鑑賞スタイルに近付いている。日本では映画好きになればなるほど一人で映画館で映画を観ることに抵抗を感じなくなる傾向があるように思うが、インドでは一人で映画館で映画を観るというのは相当変なことである。チケットを買うときに窓口の人から「なぜ一人なのか?」と聞かれることがあるほどだ。映画はコミュニケーション・ツールの一種であり、家族や友人など複数で楽しむものだと考えられている。映画文化を醸成するために最も大事な点はここにある。隣に友人がいれば気が大きくなるし、映画に素直に反応するのも楽になる。

 映画に合わせて一緒に歌うというのは、日本では目新しいことなのかもしれないが、インドではごく普通のことだ。インドでは、映画が公開される前に映画で使われる音楽のCDやカセットが発売され、ラジオやテレビなどで頻繁に流れる。日本でもプロモーションの一環で派手に広告が出されることがあるが、インド映画音楽の洗脳力はその比ではない。おかげで、映画が公開される頃には皆、何となく主題歌のサビぐらいは口ずさめるようになっている。特にヒット曲については、歌詞の隅々まで暗記していることも稀ではない。そういう状態で映画館に臨み、大音量で聞き慣れた歌が流れて来れば、歌わない方がおかしいのである。

 踊りについては少し慎重に物を言わなければならない。まず、正直に言って、僕はインドの映画館で踊ったことはない。また、11年以上に渡ってデリーの映画館に通ったが、観客が踊り出したような場面に居合わせたのは数回だけだ。そして踊り出す人がいたとしても、大体の場合スタッフが制止するので、自由に踊り続けられる訳ではない。ダンスシーンというのはプロモーションとして事前にテレビなどで放映されていることが多く、既に見ているし、ストーリー進行がないことが多いので、ダンスシーンになると立ち上がってトイレに行ったりポップコーンを買いに行ったりする人もいる。デリーの映画館ではこうだが、もしかしたら地方の映画館は状況が違うかもしれない。

 今回の「スチューデント・オブ・ザ・イヤー」はマサラ上映のパワーアップ版、マサラ・ディスコということで、踊りにさらに力が注がれていた。上映前にまず「前説」があり、観客全員が立たせられて踊りの練習をさせられる。振り付け指導をしてくれたのは、日本人ベリーダンサーのNourahさんとその門下生の方々で、ベリーダンスのセクシーな衣装を身に付けて、舞台の上で踊りを指導してくれた。そして上映中、ダンスシーンになると、熱心な観客は本当に立ち上がって踊っていた。自分で踊ってみるとスクリーン上の登場人物たちが笑顔で踊っている踊りの振り付けが意外に難しいことが分かって驚くのだが、下手は下手なりに踊ると映画の楽しさは倍増する。それに、「なぜインド映画には歌と踊りが入るのか?」という古典的な問いへの答えも見つかる。僕もこの問いの答えに苦労していたのだが、「自分で歌って踊ってみれば分かります」と答えればいいことに気付いた。

Masala Disco

 クラッカーを鳴らすというのは日本のオリジナルだと言っていいだろう。そういえばインドでクラッカーはあまり身近な品物ではなかった。町中で日常的に手に入るものではないし、手に入ったとしても品質にばらつきがあるので、紐を引っ張っても不発ということも多かった気がする。今回は映画館の入り口で1人につき2つのクラッカーが無料で配布され、もっと欲しい人のために有料でクラッカーつかみ取りが行われていた。自分の気持ちが高ぶったときに鳴らすべし、と指示されたが、既に何度も観ている人は鳴らしどころをわきまえていて、絶妙のタイミングでクラッカーを鳴らし、観客の笑いを誘っていた。この辺りも、クラッカーを介してではないが、インドの映画館でよく見た光景だった。観客の誰かが映画の台詞などに反応して何かを叫び、それにまた別の観客が呼応して何かを叫ぶなど、真っ暗闇の中、全く見ず知らずの観客同士で交流が生まれることがよくあった。そしてそれがまたその他の観客の笑いを誘うのである。映画は何度観ても一緒という訳ではなく、その時、その場にたまたま居合わせた観客が独自の体験を作り出すものなのである。

Masala Disco

 今回、噂に聞いていたマサラ上映を初めて体験したが、僕は想像以上に楽しむことができた。インドの映画館がこれそのままという訳ではないが、インドの映画館に近い満足感を味わうことができた。特にクラッカーはいい着眼点だった。ただ、使用していたのは音だけのクラッカーではなく、紙吹雪やらテープやらが飛び出て来るクラッカーだったので、後片付けが大変そうだった。前の方に座っていたので、クラッカーから飛び出た様々な物体を頭から浴びることになり、家に帰った後も衣服の奥から紙切れなどが出て来た。

 現在のところ、日本で一般公開されるインド映画の全てでマサラ上映が行われている訳ではないし、マサラ上映が行われるにしても、1週間に1回など、限定して行われている状態である。そのくらいのペースがちょうどいいかもしれないが、もう少し増やしてももしかしたら客入りを望めるかもしれない。結構これは今後も盛り上がって行くのではないかと思うので、一度は体験してみるべきである。映画館に対する固定観念が崩れ去ることだろう。

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マサラ上映」への1件のフィードバック

  1. 2014年6月25日付け朝日新聞などの記事によると、マサラ上映の歴史は「ロボット」日本公開時よりももっと古いようで、映画館を使ったものなら2001年の大阪まで、自主上映を含めればさらに数年前まで遡るようだ。

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