モーディー首相のティーチャーズ・デー講演

レーンドラ・モーディー首相は演説力の高さで知られた政治家だが、最近までグジャラート州の州首相だったこともあり、今まで彼の演説を見たり聞いたりすることはなかった。だが、首相に就任してからは国民に向けて演説をする機会が増えた。先日5日間の日程で来日し、京都と東京を訪問する中で、安倍晋三首相や天皇陛下を始め、多くの日本人と交流し、様々な場所で演説を行ったが、僕はそれらの都市に住んでいないこともあって彼に接する機会を得られなかった。しかしながら、モーディー首相はテクノロジーを積極的に活用する政治家でもある。彼のTwitterは頻繁にツイートがあるし、彼の演説はすぐにYouTubeにアップロードされる。今年8月15日の独立記念日スピーチもアップロードされていたので、視聴させてもらった。前任のマンモーハン・スィン首相とは正反対の、力強く人間味のあるスピーチだった。ヒンディー語で演説してくれたことも嬉しかった。彼はヒンディー語の母語話者ではないのだが、彼の演説はヒンディー語の一学習者としても非常に参考になる。こういう首相が登場してくれると、ヒンディー語を学んだ甲斐があったというものだ。

 ところで、9月5日は僕の娘の誕生日であったが、インドではティーチャーズ・デーでもあった。第2代大統領サルヴァパッリ・ラーダークリシュナンの誕生日が由来となっている。「3 Idiots」(2009年)でチャトゥルが爆笑スピーチを行ったのもティーチャーズ・デーだった。この日、学校などでは、学生が先生に感謝するため、映画で描写されたような行事が行われる。

 この日、モーディー首相が全国の子供たちに向けて講演と質疑応答を行うことになった。これについては、ティーチャーズ・デーの政治利用とか、強制するのはいかがなものかとか、批判の声も聞かれたのだが、YouTube上にアップロードされた動画を見る限り、モーディー首相の人柄や考え方がよく表れていて、インドにとって非常にいいイベントになったのではないかと感じた。ティーチャーズ・デーに子供たちとこのようなインタラクションをしたのは初代首相ジャワーハルラール・ネルー以来だと言う。

 ティーチャーズ・デーということで、彼は、インドの教師についての話から話し始めた。彼は、インドにおいて教師の地位が低いこと、国の優れた才能が教師になりたがらないことなどに懸念を表明しており、その解決策として、企業などに勤める高学歴の人が週に1コマでも最寄りの学校で授業を持つことを提案していた。どこまで本気かどうか分からないが、モーディー首相の在任期間中、かなり大きな教育改革も行われそうな予感がした。

 

 ただ、演説の部分よりも、その後にあった、子供たちの質疑応答の時間がとても心に残った。モーディー首相はまるで「おじいちゃん」のような優しい佇まいで子供たちの質問に耳を傾け、分かりやすく答え、インタラクションを楽しんでいた。質問は予め双方で打ち合わせがあったものではないようで、モーディー首相はその場で考えて質問に答えていたと思う。会場に来ていたデリーの子供たちだけでなく、インドの辺境地域や僻地――インパール、レー、ブジ、ダンテーワーラー、ティンスキヤーなど――に住む子供たちともビデオ会議のシステムを使って交流しており、インドの一体感が演出されていた。普通だったらムンバイーやバンガロールのような大都市の子供たちと交流するところだが、敢えて普段メインランド・インドとの接点を見出しにくい地域を選んでおり、この辺りの発想も素晴らしいと感じる。

 特に印象に残った3つのやり取りをここで抜粋して翻訳したい。なお、原文のニュアンスを最大限保存するため、あまり意訳はせず、直訳に近い訳し方をした。モーディー首相はヒンディー語の母語話者ではないため、文法的に間違っているところもあるのだが、そこもなるべく聞こえる通りそのまま掲載した。

 まずは、こんな質問があった。

Q: क्या आपने एक बालक के तौर पर कभी सोचा है कि आप भारत में एक दिन प्रधानमंत्री बनेंगे? क्या आपने सोचा है कि आप विश्व भर में प्रसिद्ध होंगे?

Q: あなたは子供の頃に、いつかインドの首相になると考えましたか?世界中で有名になると考えましたか?

 この質問に対し、モーディー首相は、「子供の頃は首相になるなんて考えたこともなかった。普通の家に生まれたし、生徒会に立候補したこともなかったのだから」とユーモアを交えて答えた後、以下のように述べている。

A: कभी कभी इस प्रकार की महत्वाकांक्षाएँ बहुत बड़ा बोझ बन जाती है, बड़ा संकट बन जाती है। मैंने देखा है कि ज़्यादातर लोग दुःखी रहते हैं इस बात के लिए कि उन्होंने कुछ बनने के सपने देखे। सपने देखने चाहिए लेकिन कुछ बनने के बजाय कुछ करने के सपने देखने चाहिए। कभी क्या होता है, मान लीजिए, हम छोटे होते हैं तो परिवार में कोई भी मेहमान आता है। हमारे ममी पापा क्या करते हैं, सबको परिचय करवाते हैं। बेटा है न, इसको डाक्टर बनाना है, बेटी है इसको एंजनिर बनाना है। तो दिमाग में बचपन से घुस जाता है कि मैं डाक्टर बनना है, मुझे एंजनिर बनना है। और 10वीं 12वीं कक्षा में आते आते घाड़ी लुढ़क जाती है। फिर कहीं एडमिशन मिलता नहीं। तो और फिर कहीं नौकरी कर लेता है, कहीं टीचर बन जाता है, कुछ बन जाता है। तो जीवन भर गाली देता है अपने आपको, डाक्टर बनना था टीचर बन गया, डाक्टर बनना था क्लर्क बन गया, डाक्टर बनना था ड्राइवर बन गया। वह जिंदगी भर रोता रहता है। जो बना है उसका आनंद भी नहीं ले पाता है। और इसलिए कुछ करने के सपने देखके और थोड़ा बहुत भी कर लें तो जीवन को इतना संतोष मिलता है इतनी प्रेरणा मिलती है इतना आनंद मिलता है, और अधिक कुछ करने की ताकत भी मिलती है। और इसलिए मेरा आग्रह रहेगा सभी बाल मित्रों से, करने के सपने ज़रूर देखिए, मैं इतना कर लूँगा मैं यह कर लूँगा मैं यह करूँगा। करते करते कुछ बन गए तो बन गए, नहीं बने तो नहीं बने। करने का आनंद बहुत रहेगा।

A: 時々、このような野望はとても大きな重荷、とても大きな危険となるものだ。私は、何かになることを夢見たために不幸になった人々を多く見て来た。夢は見るべきだが、何かになる夢の代わりに、何かをする夢を見るべきだ。たとえば、私たちが小さい頃、家にお客さんが来るとする。そうするとお父さんお母さんは皆に紹介する。息子は医者になるんだ、娘はエンジニアになるんだと。すると、子供の頃から脳裏にこびりついてしまう。僕は医者になるんだ、私はエンジニアになるんだと。そして10年生、12年生になる頃には脱線してしまう。そうするとどこにも入学できない。そしてどこかで働いたり、どこかで先生になったり、何かになる。すると一生自分を責めることになる。医者になるつもりだったのに先生になってしまった、医者になるつもりだったのに事務員になってしまった、医者になるつもりだったのに運転手になってしまった。一生泣き続ける。なったものを楽しむことができない。だから、何かをする夢を見て、何か小さなことでもすれば、人生において満足も得られるし、生き甲斐も得られるし、幸せも得られる。そしてもっと多くのことをする力も得られる。だから子供たちみんなにお願いしたい。する夢を見て下さい、私はこれだけはするんだ、私はあれをするんだ、私はこれをするんだと。何かをしていて何かになれればそれでよし、なれなくてもそれでよし。することから来る幸せはいつでも得られる。

 なんと含蓄のある言葉なのだろうか。何かになる夢を見るのではなく、何かをする夢を見なさい。確かに人生において何かになることが優先されると、それになれなかったときの落胆は大きいし、それになれたときに目的を失ってしまうこともある。何かをしようと思えば、それをするために何になればいいのかが見えて来るし、それになれなくても、別の職業でそれに近いことができるかもしれない。この言葉を聞いて思い出されるのは、バガヴァドギーター第2章47頌の有名な一節だ。

कर्मण्येवाधिकारस्ते मा फलेषु कदाचन।
मा कर्मफलहेतुर्भूर् मा ते संगोऽस्त्वकर्मणि॥

汝の権利は行動にのみあり 行動による結果を求めることにあらず
結果が汝の行動の動機にならぬように 怠惰に身を委ねることのなきように

 この一節で示されている理念を非常に分かりやすく噛み砕いて話してくれている。日本でも、「夢は叶う」「大志を抱け」ということがやたらと喧伝されが、どのような夢を見ればいいのか、ということを説明した金言はあまり聞かないように思う。夢は、何かになるためでなく、何かをするために見ることが重要だ。これは本当に力になる言葉である。モーディー首相自身も、人生の多くの場面でこの言葉に助けられたと語っている。彼は首相になるために行動したのではなく、行動することで首相になったのだと言える。

 次に、モーディー首相にこんな質問をした子供がいた。

Q: आपको हमारे जैसे छात्रों से बातचीत से क्या लाभ मिलता है?

Q: あなたは私たちのような生徒たちと話をして何の利益が得られますか?

 この質問に対し、モーディー首相は軽く微笑んだ後、以下のように答えていた。

A: लाभ मिलता होता तो मैं नहीं आता। क्योंकि वह लोग ज़्यादा मुसीबत में होते हैं जो लाभ के लिए काम करते हैं। बहुत सारे काम होते हैं जो लाभ के लिए नहीं करने चाहिए। और जब लाभ के लिए नहीं करते हैं तो उसका आनंद कुछ अलग होता है।

A: 利益が得られていたら私は来ていない。なぜなら、利益のために行動をする人は多くの困難に直面するからだ。利益のためにするべきでない仕事がたくさんある。そして利益のために行動していないとき、それには違った楽しさがあるものだ。

 今回の講演と質疑応答の真意がどこにあったのかは分からない。将来の有権者に向けた政治活動だとする意地悪な見方もある。だが、この言葉を見る限り、モーディー首相は利益にならないことを楽しんで行うことに幸せを感じる人物のように感じる。上の質問の答えとも一貫性のある考え方である。利益を考えるということは、「する夢」ではなく「なる夢」に近いからだ。僕もウェブサイトやブログを何かの利益のためにやっている訳ではなく、純粋に楽しいからやっている。おそらくそこに利益があったとしたら、楽しんでできなくなるだろう。そして逆説的ではあるが、利益のためにやらなかったからこそ、利益が得られたとも感じる。モーディー首相の言葉は亡命皇帝バハードゥルシャー勝の心にとても染みた。

 最後に、こんな質問をした子供がいた。

Q: What kind of person are you in real life?

Q: あなたは実生活においてどんな人間ですか?

 この英語の質問に対し、モーディー首相はヒンディー語で答えた。

A: मैं छोटी घटना बताता हूँ। मैं छोटा था, जैसे आप लोगों को जैसे बालकों ने सर्वपल्ली राधाकृष्णन पर भाषण किया था न। मुझे भी बोलने का शौक था। बहुत छोटी आयु में मुझे कई लोग बोलने के लिए बुलाते थे। एक बार एक गाँव में रोटरी क्लाब का एक फ़ंक्शन था। रोटरीवालों ने मुझे बुलाया। अब उनका प्रोटकोल होगा। छोटा नगर था। करीब 30,000 की बस्ती का नगर होगा। फिर उन्होंने मुझे लिखा कि आप अपना बायोडाटा भेजिए। अब हमारे पास तो कुछ था ही नहीं बायोडाटा वगैरा कुछ। हम क्या भेजें। उस कार्यक्रम में एक और सज्जन थे जो उस कार्यक्रम की अध्यक्षता कर रहे थे। शायद कुछ डोनेशन भी देते होंगे तो शायद बुलाया होगा उन्होंने। उनको भी कहा होगा कि आप बायोडाटा भेजिए। हम जब कार्यक्रम में गए, तो उनका बायोडाटा तो 10 पेज का था। पूरा वहाँ पढ़ा गया। ब‌ड़ा विस्तार से जनवरी में क्या किया था और फ़रवरी में क्या किया था, मार्च में क्या किया था। लेकिन उनका जो भाषण हुआ तो तीन मिनट का हुआ, वह भी शायद दो पैरग्रैफ़ लिख करके आए थे वह पढ़े थे। मुझे जब पूछा गया था आपका बायोडाटा भेजिए तो मैंने जवाब लिखा। मैंने लिखा था कि हर कोई इंसान, हमारे शास्त्र कहते हैं, कि मैं कौन हूँ, इसका जवाब खोज रहा है। किसी को पता नहीं वह कौन है। औरों को पता होता है वह कौन है। जिसपर इंसान जान लेता है कि मैं कौन हूँ, फिर उसके जीवन के हर काम समाप्त हो जाते हैं, संतोष मिल जाता है। और मैंने उनको लिखा है कि अभी तक मैं खुद को पहचान नहीं पाया, जान नहीं पाया कि मैं कौन हूँ। ऐसा मैंने जवाब लिखा। तो मैंने कहा, मैं मेरे विषय में क्या लिखूँ। ऐसा मैं लिखा। फिर उन्होंने वहीं बायोडाटा पढ़ लिया था।

A: ちょっとした出来事を話してあげよう。私が子供の頃、ちょうど君たちがサルヴァパッリ・ラーダークリシュナンについてスピーチをしたように、私も話すのがとても好きだった。まだとても小さかった頃から、多くの人々がスピーチのために私を呼んでくれていた。あるとき、とある村のロータリークラブで行事があった。ロータリーの人々が私を呼んだ。彼らのプロトコルがあるのだろう。小さな町だった。およそ3万人ぐらいの人口の町だっただろう。彼らは私にプロフィールを送るように言って来た。その頃の私に履歴書のようなものはなかった。何を送ればいいのか。その行事にもう1人の紳士がいて、議長をしていた。おそらくいくらか寄付をしたから呼んだのだと思う。彼もプロフィールを送るように言われたのだろう。その行事に行ってみると、彼のプロフィールは10ページもあった。全てそこで読まれた。とても詳細に書いてあった。1月に何をした、2月に何をした、3月に何をしたなど。しかし、彼のスピーチは3分だけだった。それもおそらく2段落ぐらい書いてきたものを読んだだけだった。プロフィールを送るように言われたとき、私はこう答えた。どう答えたかというと、全ての人間は、経典でも言っているように、自分は何者か、その答えを探し続けている。誰も自分が何者なのかを知らない。他の人は、私が何者なのかを知っているかもしれない。そして、自分は何者かを知ることができた人間の人生に残された仕事はもうない。ただ満足感が得られるだけである。だから私は彼らにこう書いた。私は今まで自分のことが分かっていません、自分が何者なのか知りません。私はこう返事をした。私は自分のことについて何を書いたらいいでしょうか、そう書いた。そうしたら彼らはそのプロフィールをそのままそこで読んだ。

 子供のあどけない質問に対して、ここまで深遠な哲学的返答をするのはどうかとも思うが、しかしそこで語られている内容はやはり非常に含蓄のあるものだ。人は一生、自分は何者なのかを探し続ける。自分が何者なのか分かっている人間などいない。日本でも「自分探し」という言葉が様々な場面で様々な考えから使われるが、自分を探すことこそが人生であり、自分を探し続けることが「生きる」ということである。特にこれから進路を決めようとしている子供たちにとって、とても力になる言葉だと思う。当然、パンジャーブの詩人ブッレー・シャーの有名な詩「Bullah Ki Jaana Mein Kaun(誰が自分が誰かを知っていようか?)」を想起させる。モーディー首相の受け答えには、インドの哲学や詩が、知ってか知らずか、含まれているような気がして、非常に感銘を受けた。

 モーディー首相は2002年のグジャラート暴動の関与など、いくつか過去に不安要素を抱えているのだが、とりあえず今言えることは、インド人は首相に正しい人を選んだと言うことだ。国民会議派のラーフル・ガーンディーが首相になっていたら、マンモーハン・スィン首相時代よりもさらに酷い傀儡政権となっていたことだろう。首相が、自分の言葉で自分の理念を国民に語ることのできる国になったことだけでも、大きな進化である。また、ヒンディー語で話してくれることで、まるで家の年長者がいろいろ教え諭してくれているようで、より身近に感じる。個人的には、インド留学時代にお世話になった指導教官を思い出す。話し方のテンポや小話を挟みながらの巧みな話術などがそっくりである。僕ですらそう思うのだから、ヒンディー語を一定以上理解する大部分のインド人は、さらに親近感を覚えるだろう。これがモーディー首相の人気の秘密だと思う。モーディー首相は今後もこのような国民との交流の場を積極的に持つのであろう。楽しみである。

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モーディー首相のティーチャーズ・デー講演」への1件のフィードバック

  1. नमस्ते, arukakat साहब.
    हमेशा मज़ा ख़बर,बहुत बहुत शुक्रिया.
    इस ख़बर भी पढ़ाई के लिए बहुत अच्छा करता था .

    मैं दो साल पहले से हिंदी सीखती हूँ, शौक़ से.
    हमारी हिंदी उस्ताद , उन्होंने जापान में लंबा सालों रह रहा हैं.
    वह गजरात वाले हैं.
    लेकिन मुस्लमान हैं.
    इसलिए, थोड़ा थोड़ा उर्दू भी है.
    अगले कक्षा में, मोदी जी की हिंदी के बारे में पूछूँगी.

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