ポール・マッカートニーのライブ

10代の頃はかなり熱心なビートルズ・ファンだった。よく「なぜインドに住もうと思ったのか?」などという質問を受けることがあるのだが、それに対する答えとして、「ビートルズ・ファンだったから」というのはとても分かりやすいため、よく使っている。よく知られているように、ビートルズのメンバーは全盛期にインドで修行をしたことがある。初めてインドを旅行したときには、当然のことながらリシケーシュを訪れ、ビートルズが逗留したマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーのアーシュラム(道場)まで足を伸ばした。

 しかしながら、年代が年代なだけに、もちろんビートルズを生で体感したことはない。1995年に「Free As A Bird」が発売されたときに、擬似的な「新譜発売」体験をしたのみである。ジョン・レノンは僕が物心付く前に殺されてしまった。インドに渡る前には、ポール・マッカートニーやジョージ・ハリスンなどの来日公演に恵まれることもなかった。そしてジョージは僕がインドに留学した初年に亡くなってしまった。ジョージの遺灰がガンガー(ガンジス河)に流されるとか流されないとか、いろいろ噂が立ったのを覚えている。

 異な縁で、デリーを訪れたオノ・ヨーコの舞台パフォーマンスを鑑賞する機会には恵まれた。ビートルズまたはそのメンバーのライブに行ったことがあるというビートルズ・ファンは少なくないが、オノ・ヨーコは意外に穴となっていることが多く、レアな体験だったのではないかと自負している。だが、やはり生き残ったビートルのライブを(お互いに)生きている内に見てみたいというのは当然の願望であった。

 日本に帰って来て、インドの情報に日々接していると、自分がインドに身を置いていないことにもどかしい気持ちを感じることが多いのだが、ポール・マッカートニーの再来日が伝えられたときには、日本にいることも悪くないと思えた。インドでも欧米のミュージシャンによるライブが開催されるようになっては来ているが、ポールがインドで公演を行う姿はあまり想像できない。「Out There」と題されたライブの先行予約が始まった時点で申し込みをし、11月18日(月)の東京ドーム初演のチケットを入手することができた。

Paul McCartney

Paul McCartney
Out There

 

 考えてみれば、日本でミュージシャンのライブに行くのは初めてであった。インドのタイト・セキュリティーかつカオスなライブに慣れてしまっていたため、手荷物やカメラは持たず、なるべく軽装備を心掛け、財布はいつすられてもいい状態にし、万全の体勢で臨んだが、さすが日本、そこまで準備する必要はなかった。東京ドームに入ったのも初めてであったが、いざ自分の座席に座ってみてガッカリ、ステージからはだいぶ遠い席だった。やはりアリーナ席の中央最前列が一番楽しいだろう。

 午後7時から開演とのことであったが、数分遅れてコンサートは始まった。まずはビートルズの「Eight Days A Week」から。この曲から始めたということはポールは最近とても忙しいのだろう。3曲目に「All My Loving」が来た。ああ、僕がギターを始めて一番最初にマスターした曲だ。確かコード進行が一番簡単そうだったからだと記憶しているが。ビートルズの曲には大体それぞれ想い出があるのだが、この曲が聴けただけでも嬉しかった。

 ウィングス時代の曲や新アルバム「New」からの曲も多かったが、噂通り、ビートルズ時代の曲をたくさん披露してくれた。しかも選曲が結構マニアックに思えた。「Eleanor Rigby」、「Being For the Benefit of Mr. Kite!」、「Lovely Rita」、「All Togerther Now」、「Blackbird」など、かなりマイナーまたはステージ向けではない曲を何曲も演奏していた。いかにも通ぶったコピーバンドがやりそうな小賢しい選曲である。それをポール本人がやるのだから、何だか複雑な気持ちがした。

 もちろん、メジャー曲、定番曲、人気曲も多かった。「Let It Be」、「Hey Jude」、「Get Back」、「Long and Winding Road」、「Back in the USSR」、「Helter Skelter」、「Ob-La-Di, Ob-La-Da」、「Lady Madonna」、「Paperback Writer」など。ウクレレの伴奏から始まった「Something」は作詞作曲者ジョージ・ハリスンに捧げられていたし、不朽の名曲「Yesterday」は2011年の東日本大震災犠牲者のために捧げてくれた。

 圧巻だったのは「Golden Slumber」から「Carry the Weight」を経て「The End」で終わる、アルバム「Abbey Road」B面メドレー後半部分である。ポールは2回もアンコールに応えてくれたのだが、2回目のアンコールの、本当に一番最後にこのメドレーを演奏した。

 およそ3時間に渡って71歳のポールは全く休みなしでパフォーマンスをしていた。それだけで驚くべきことである。そしてやはりポールは生粋のエンターテイナーだと感じた。観客を喜ばせようと必死に努力してくれていた。日本語でのMCにも果敢に挑戦していた。しかしふと頭をよぎったのは、ジョン・レノンだったらどんなライブになっただろうか、ということだ。おそらくポールほどエンターテイナーに徹することはなかっただろう。だが、ただ楽しませてもらっているようなライブは何だか居心地が悪い気もした。何か神聖な神事の証人となるような体験がしたいものだ。ジョン・レノンだったら、そういうライブをしたんじゃないかと、ふと感じた。

 とは言え、このライブは名目上はポール・マッカートニーという1人のミュージシャンの50年以上に渡る音楽活動の集大成であったが、実際には西洋の現代音楽の半世紀を一晩でざっと体験する性格のものであったと言っても言い過ぎではないだろう。ポールの肩にはそれだけ大きな歴史が乗っかっている。そしてそれをいともやすやすと観客の前に提示してしまうところに、彼のすごさがあると感じた。

 何となくまたギターを始めたくなった、そんなライブ体験であった。

 ところで、ライブ当日、東京ドームでライブのパンフレットが売られていた。元々英語版のものを日本語に訳したのだと思う。3000円という法外な値段だったが、興奮に吊られてついつい購入してしまった。あまり役に立つ情報が載っていなかったのだが、それはそれでいいとする。ひどかったのは日本語訳だ。いかにも英文から訳しましたという、こなれていない日本語であったし、ポールの台詞が未だに「~なのさ」みたいな気取った口調で訳されている。一体これは誰が始めたのだろうか?さすがに71歳のお爺さんが「~なのさ」じゃないと思うのだが…。何をしゃべっても、そんな人を小馬鹿にしたような風に訳されてしまう人物は、世界広しと言えど、元ビートルのみなのではないかと思う。これは彼らが死ぬまで続けられるのだろうか?

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