インドの姉弟文化

る8月10日、インドではラクシャーバンダン祭が祝われた。ヒンドゥー教の数ある祭りの中でも、兄弟と姉妹の絆を確かめ合うことを目的としたユニークな祭日で、この日、女性は兄弟の手首に「ラーキー」と呼ばれる紐を巻き、健康と幸福を祈る。ラーキーを巻かれた男性は、その女性を守る義務を請け負うと同時に、返礼として小遣いなどをあげなければならない。兄弟の多い女性はこの日、市場で安価に手に入るラーキーをばらまき、荒稼ぎをするのである。

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 8月10日付けのデリー・タイムス紙を読んでいたら、ラクシャーバンダン祭に関して興味深い事実が指摘されていた。ヒンディー語映画では、長らくラクシャーバンダン祭または兄弟と姉妹の絆を歌った歌が登場していないのである。ラクシャーバンダン祭に関する人気曲のトップ10を集めても、1950年代~70年代の曲ばかりだ。歌の面だけから見ると、1980年代以降、ヒンディー語映画はラクシャーバンダン祭をあまり重視して来なかったことになる。ちなみに、ラクシャーバンダン・ソングの1位に輝いていたのは、「Chhoti Bahen」(1959年)の中の以下の曲「Bhaiya Mere Rakhi Ke Bandhan」であった。

 昨今のヒンディー語映画でラクシャーバンダン祭が全く出て来ないかと言われれば、そうでもない。だが、その文脈はだいぶ変わってしまった。少なくとも「Style」(2001年)や「Rab Ne Bana Di Jodi」(2008年)でラーキーが巻かれるシーンが出て来たことを記憶しているが、そのラーキーは女性が自分の兄弟に対して巻いたものではない。血のつながりのない男性にラーキーが巻かれていたのである。

 実はラーキーは兄弟・姉妹間だけでなく、血縁のない男女間でも巻くことができる。だが、それが意味するのは、義兄妹または義姉弟の契りであり、言わば2人の関係は男女の関係ではなくなる。もちろん結婚もできない。よって、この種のラーキーは女性側からの体のいい「お付き合いはお断り」のサインなのである。

 ヴァレンタイン・デーの日、もてる男性はたくさんのチョコレートをもらえるかもしれないが、ラクシャーバンダンの日は血縁以外の女性からラーキーをもらうことはない。もし血縁以外の女性からたくさんラーキーをもらっている男性がいたら、それは単なる「金づる」としか見られていないことになる。

 ラクシャーバンダン祭が映画に登場しなくなったのは、兄弟・姉妹の関係が薄くなったと言う訳では決してなく、単にそれを歌にすると途端に古臭くなってしまうからである、というのが作詞家スワーナンド・キルキレーの見解である。確かに、映画で描写される男女の関係はここ20年ほどでかなり変わり、婚前交渉、同棲、不倫なども果敢にストーリーに組み込まれるようになったが、兄弟・姉妹の関係は不変である。それは映画に出て来る母親と息子との関係が変わっていないのと同様で、いくら時代が変遷しようとインド人が頑なに保ち続ける絆のひとつだと言える。近親相姦についても厳しい禁忌の観念があり、実際に兄弟・姉妹(イトコを含む)関係にある俳優どうしがスクリーン上でも決して恋人を演じないと言うところまで徹底している。

 それと関係しているのか分からないが、ヒンディー語映画には男性主人公の「姉」の存在感が非常に薄い。「巨人の星」の星明子に相当するヒンディー語映画のキャラがいるかどうかを考えたことがあるのだが、映画の中に「姉」が登場する映画すら数えるほどしかなかった。考えていたときは「Fiza」(2000年)ぐらいしか思い付かなかったが、最近になってやっと「Bhaag Milkha Bhaag」(2013年)や「Jai Ho」(2014年)などが出て来てくれた。他に「Jaane Tu… Ya Jaane Na」(2008年)ではヒロインに弟がおり、この2人の関係は映画の中でひとつのサイドストーリーとなっていて重要だった。「妹」になるともっと数が増えるが、兄弟・姉妹の関係で新しい境地を開いているような映画はちょっと思い付かない。

 作詞家プラスーン・ジョーシーによると、実は「Bhaag Milkha Bhaag」のためにラクシャーバンダン祭と関連付けて兄弟と姉妹の絆を歌った歌を書いていたと言う。だが、没になり日の目を見なかった。その歌詞が同紙に掲載されていたので、転載して翻訳する。

Behen aksar tumse badi hoti hai
(姉妹はいつでも君より偉いものだ)
Umr Mein chahe chhoti ho
(たとえ年下であっても)
Par ek bada sa ehsaas lekar khadi hoti hai
(大きな心と共に立っているものだ)
Behen aksar tumse badi hoti hai
(姉妹はいつでも君より偉いものだ)
Use maloom hota hai tum der raat ghar lautoge
(君が夜遅く家に帰ると知っているものだ)
Tabhi chupke se darwaza khula chhod deti hai
(だから黙って扉を開けておいてくれるのだ)
Use pata hota hai tum jhooth bol rahe ho
(君が嘘を付いているのを知っているものだ)
Aur bas muskura kar use dhak leti hai
(そしてただ微笑んでそれを包み込んでくれるのだ)
Woh tumse ladaati hai par ladti nahin
(姉妹は君をからかうが君と争ったりしない)
Woh aksar haar kar jitaati rahi hai tumse
(常に負けを認めて君を勝たせるものだ)
Jisse kabhi chot nahin lagaati aisi ek chhadi hoti hai
(姉妹は絶対に傷つかないナイフのようだ)
Behen aksar tumse badi hoti hai
(姉妹は常に君より偉いものだ)
Par Rakhi ke din jab ek patla sa dhaaga bandhati hai kalai pe
(でもラクシャーバンダン祭の日、姉妹が細い紐を手首に巻くとき)
Main koshish karta hoon bada hone ki
(僕は偉くなろうと努力する)
Dhaagon ke israar pe hi sahi
(ラーキーにかこつけてでもいい)
Kuch pal ke liye mein bada hota hoon
(少しの間だけ僕は偉くなる)
Ek meetha sa rishta nibhaane ke liye khada hota hoon
(この甘い関係を守るために立つ)
Nahin toh aksar behen hi tumse badi hoti hai
(そうでなければ姉妹は常に君よりも偉いものだ)
Umr mein chahe chhoti ho
(たとえ年下であろうと)
Par ek bada sa ehsaas lekar khadi hoti hai
(大きな心と共に立っているものだ)

 確かに、この歌詞だけを見ると、ラクシャーバンダン祭を歌詞にすると古臭い歌になってしまうというスワーナンド・キルキレーの発言がよく分かる。だからこの祭りが映画でも使われなくなって来ているのだろうし、この曲が「Bhaag Milkha Bhaag」に採用されなかった理由もそれであろう。だが、「Rang De Basanti」(2006年)の中でラター・マンゲーシュカルとARレヘマーンが歌った「Luka Chuppi」が母と子の強い絆を新しい形で歌い上げたように(作詞家は同じくプラスーン・ジョーシーである)、兄弟・姉妹の関係も工夫次第で現代的に歌い上げることは可能なのではなかろうか。

 ただ、「姉」についてもう少し掘り下げて考えてみると、インド人男性は「バービー」大好きであることに思い当たる。バービーというのは兄嫁のことであり、つまりは義姉となる。インド人男性にとって友人は皆「バーイー(兄弟)」なので、そのバーイーの恋人や妻はみんな「バービー」になる。また、友人に自分の彼女または彼女候補を「バービー」と呼ばせることで、その友人と彼女の関係を「義姉弟」という神聖な関係にし、横取りを防ぐというテクニックもある。女性が気に入らない男にラーキーを巻くのと似た技である。それはともかくとして、大家族制の中で考えると、インド人にとって嫁いだら別の家へ行ってしまう「血のつながりのある姉」よりも、兄の結婚後ずっと一緒に住むことになる「血のつながりのない姉」の方が、より強い絆を感じるようである。しかも血のつながりのないところにいろいろな可能性があるようだ。聞くところによると、インドの一般男性に性的イニシエーションを施すのもこのバービーだとされており、インド人男性のセクシャル・ファンタジーには必ずと言っていいほどバービーが登場する。かつて「サヴィター・バービー」というインド初のオンライン・ポルノ漫画もあった。このバービーの存在感が圧倒的すぎるために、単なる「姉」が相対的に面白くないものとなり、観客のファンタジーを刺激する映画では重視されなくなってしまっているのかもしれない。

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