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つて「ムトゥ 踊るマハラジャ」という1995年のタミル語映画が日本で大ヒットした時期があり、俄にインド映画ブームが起こったことがあった。思えば僕がインド映画のイニシエーションを受けたのも、インド旅行を思い立ったのも、全てこの映画のおかげだった。影響を受けた者はきっと僕一人ではないだろう。よって、一定の効果はあったと思うのだが、残念ながらその後が続かず、インド映画ブームは急速に減速し数年で終息を迎えた。

 その後、日本で「韓流」が始まり、インド映画ブームよりも遙かに長続きしたことで、日本でインド映画の普及を目指す少数の関係者は大いに刺激を受けたことだろう。だが、「ムトゥ」が一般大衆に植え付けてしまったインド映画のイメージはそう簡単に払拭できるものでもなく、インド映画は、ただでさえ日本での劇場一般公開が少ない上に、いざ公開または販売されるにしても、イロモノとしておかしな邦題や副題を背負わされることとなり、長らく不遇の時代を過ごすこととなってしまっていた。

 しかしながら、ここ数年の動きは大いに勇気づけられるものである。特に昨年日本で劇場一般公開された「3 Idiots」(2009年)の成功は予想を遙かに上回るもので、興行的成功もさることながら、2013年の日本アカデミー賞優秀外国作品賞の受賞や著名人による(ヤラセではない)数々の絶賛はありがたかった。上映本数においても、以前は1年に1本あれば御の字といったところだったのが、昨年は劇場公開のみに限っても、少なくとも7本のインド映画が公開されたと記憶している。数字的には「3 Idiots」以外は厳しかったという話も聞いているのだが、前回のインド映画ブームのときのような単発打ち上げ花火的ブームではなく、ジワジワとインド映画の一般公開が常態化して来ているように思えるのは、僕の理想とするインド映画の浸透の仕方に近い。

 ところで、日本でのインド映画普及に関して、インドに長らく住んでいた僕は、まだその方面に足を踏み入れたばかりの状態なのだが、昔から努力をされて来た人々が何人もいる。このゴールデン・ウィークに、その方々と一緒にトークショーを開くこととなった。5月3日(土)より一般公開されるカラン・ジョーハル監督の「Student of the Year」を記念してのもので、5月1日に阿佐ヶ谷ロフトAで午後7時半からとなっている。詳細はコチラ

Student of the Year

 

 出演者は、インド映画研究の第一人者である松岡環先生、日本唯一のヒンディー語映画専門誌「ナマステ・ボリウッド」の発行人スギタ・カズト氏、ワールドミュージック評論家にして中東料理研究家サラーム海上氏と、アルカカットこと自分である。松岡環先生とは、インド留学当初にちょうどデリーで開催された先生の講演に出席して以来の関係で、それ以来映、画関係のことでいつもお世話になりっぱなしである。スギタ・カズト氏とは、彼が専門誌立ち上げ前にウェブサイトでヒンディー語映画を取り上げていた頃から相互リンクでつながっていた。サラーム海上氏とは今年1月に一緒にイベントをさせてもらったし、デリーでもお会いしたことがある。そんな訳でそれぞれよく知った間柄なのだが、同時に彼らと一緒にステージに立つような経験は今までしたことがなく、誘ってもらえたことがとても光栄だった。

 1年前、日本に完全帰国したときは、偉大な先人たちがいるため、日本のインド映画界において僕が貢献できるようなことはないだろうと思っていた。自分の強みは、現地に住み、リアルタイムで映画館においてヒンディー語映画を鑑賞することと、後はヒンディー語の語学力やインドの時事問題に関する知識ぐらいで、日本に帰って来たら、その多くは必然的に失うことになり、僕の価値もなくなると思っていた。だが、この1年間、いくつか仕事やイベントをこなす内に、まあ何とかこの分野でも少しは何かができるかな、という気分にはなって来た。

 かつて日本経済新聞に取材をしてもらったとき、僕は自分の夢を「日本にインド映画専門の映画館を作ること」だと豪語した。映画が、若者ではなく年配者の持ち物のようになっている日本において、ただでさえ映画産業の先行きが不透明の中、インド映画を社会に定着させるのは至難の業であろう。「世界=欧米」という固定観念が支配的であるのも、日本においてインド映画の前に立ちはだかる障壁になっていると思うし、それ以外にもまだ見えていない多くの困難があると感じる。だが、着実にネットワークを広げて行けばいつかそういう日が来るような気もしている。5月1日のイベントが、その未来に連なる一歩となることを期待している。

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