ワールド・ヒンディー・デー2014

2月14日、東京が前週に引き続き大雪に見舞われる中、インド大使館でワールド・ヒンディー・デー式典が開催された。スピーカーとして招待されたので、大雪による交通遮断の懸念がある中、東京まで出向いた。

 ワールド・ヒンディー・デーはその名の通り、ヒンディー語が主役の日である。ワールド・ヒンディー・デーと一口に言っても実は2つあり、ひとつは9月14日。1949年にヒンディー語がインドの連邦公用語となったことを祝う日である。もうひとつは1月10日。1975年にマハーラーシュトラ州ナーグプルで初の世界ヒンディー会議が開催されたことを祝う日である。

 では、なぜヴァレンタイン・デーの2月14日にワールド・ヒンディー・デーが祝われたのか?どうも、1月は安倍首相の訪印などがあってインド大使館が忙しかったらしく、開催ができなかったらしい。しかも、今まで日本のインド大使館はワールド・ヒンディー・デーを祝っていなかった。本国から必ず開催をするようにとのお達しが来たようで、変な時期にワールド・ヒンディー・デーが開催されることとなったようである。

World Hindi Day 2014

 

 招待されたのは、日本でヒンディー語を教える学者、ヒンディー語を勉強する日本人、インド大使館勤務の外交官などであった。現在ヒンディー語と本業で関わっていない僕がスピーカーとして呼ばれた理由はよく分からない。大雪のために一時は延期の計画もあったようなのだが、そのときには既に僕は新幹線の中にいた。どうも遠路遥々来る僕のために開催を決行してくれたとのことで、恐縮である。雪のために欠席者も多かったようだが、悪天候とは裏腹に、比較的多くの出席者が来ていた。

 靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑に挟まれた位置にあるインド大使館は、最近改装が終わったところで、僕がヴィザを取りに通っていた頃とは見違えるほど立派になっている。かつてはヴィザ申請者の待合室だった辺りが広いホールとなっており、その奥に100人くらいが収容できそうなオーディトリウムができていた。ワールド・ヒンディー・デーの会場は、インド大使館内にあるこのオーディトリウムであった。

 インドに詳しい人ならよく知っている通り、インドでは英語が仕事の言語となっており、特に文書は英語が原本となることがほとんどである。ワールド・ヒンディー・デーは、いつしか「この日だけはヒンディー語で仕事をしよう」という、憲法上の連邦公用語のはずのヒンディー語にとっては、何だか情けをかけてもらっているような屈辱的な日となっている。この日には各地でヒンディー語やヒンディー語文学を題材とした集会が開かれるが、スピーカーたちが「ヒンディー語をもっと使おう、もっと愛そう」と空虚なスローガンを繰り返すのみで、次の日からはまた通常運転の英語業務となる。

 インドにおいて、ワールド・ヒンディー・デーを一番効果的に、かつ無難に済ます方法は、ヒンディー語を勉強している外国人留学生を呼んでヒンディー語でスピーチをさせることだ。何となくヒンディー語を奨励しているような雰囲気になるし、外国人留学生の話を聞くのは外国人留学生自身であってもなかなか面白い。そんな訳で僕もインド在住時は何度か登壇したことがある。

 僕はこの手のイベントが実はあまり好きではないのだが、この日にどんなことを話せば受けるかだけは熟知しているので、スピーチの依頼があったときに、日本に帰った後もこういう任務を任せられるのか、と複雑な思いは感じつつも、引き受けてしまったのであった。

 午後3時から開始予定の式典は、インド時間により、十数分遅れて始まった。インド大使のディーパー・ゴーパーラン・ワードワー女史も出席していた。式典の進行からスピーチまで、何から何までヒンディー語で行われていたが、やはり通常のインド人は英語の方が断然慣れているので、時々たどたどしい部分があった。英語で言うと簡単だがヒンディー語では何と言うのか分からない、そんな単語も多くあるのである。

 まずはインド大使の挨拶があり、次に東京外国語大学でヒンディー語を教える藤井毅教授のスピーチがあった。藤井先生は僕のヒンディー語の師匠の1人であり、久しぶりに再会をした。藤井先生は、東京外国語大学におけるヒンディー語教育の歴史について、「シュッド・ヒンディー」と呼ばれる固いヒンディー語で話をしていた。

 次に僕の番で、インド留学体験みたいなものを語ることになっていた。予め話すことは考えてあり、原稿も用意していたので、基本的にはそれを読むだけであった。どんなことを話したかは後述する。

 僕の後も、何人か日本人によるヒンディー語のスピーチがあった。多くは大学や語学学校などでヒンディー語を勉強中の日本人学生であった。本当はスピーチ・コンテストという触れ込みだったのだが、コンテストができるほど参加者が集まらなかったため、全員賞品がもらえる状態となっていた。それでも、ヒンディー語を学ぶ学生が今でも一定数存在し、こういう場に出て来てくれることには、勇気づけられた。

 本当はインド大使館がもっと公式にヒンディー語スピーチ・コンテストを開催したり、ヒンディー語検定を主催したりしてくれると、日本人の間でのヒンディー語学習熱も少しは高まると思うのだが。何はともあれ、こういうイベントが始まったことは非常にありがたく、今後の発展に期待したい。

 NHKワールド・ヒンディー語セクション・スペシャリストなどによる詩の朗読があった後、「Bollywood mein Hindi」というドキュメンタリー映画の上映があった。監督はマノージ・ラグヴァンシー。2006年の世界ヒンディー会議のために作られたもののようだが、これがなかなか面白く、ヒンディー語映画がヒンディー語の国内外の普及に大いに貢献しているという内容であった。驚くべきことに、ジャワーハルラール・ネルー大学(JNU)時代の同級生だった米国人タイラー・ウィリアムスが登場し、米国とインドの映画館の違いなどについてヒンディー語で語っていた。こんなところで彼に再会することになろうとは。これが見られただけでも収穫であった。

 映画上映の後は記念品の贈呈などがあり、式典は終了した。最後にインド大使館の近くにあるインド料理店ムンバイのケータリングでサモーサーやチャーイが振る舞われ、自由解散となった。

 さて、僕がこの式典の中で話したのは、以下のような内容である。直訳にはなるが、日本語訳も添えてここに掲載する。

…前略…

मैंने भारत में 11 साल 7 महीने बिताए थे। इस बीच हिन्दी कहानियों, उपन्यासों और कविताओं का जापानी में अनुवाद करता आया, जापानी रचनाओं का हिन्दी में अनुवाद भी करता आया, और हिन्दी फिल्मों का आलोचक भी रहा। भारत-भ्रमण तो इस क़दर किया, कि मुझसे अधिक भारत के कोने-कोने घूमनेवाला शायद न हो। यह कहने की ज़रूरत नहीं कि हिन्दी ने एक विदेशी यात्री और स्थानीय लोगों के बीच की दूरी बहुत कम की थी। एक हिन्दी फिल्म में अभिनय करने का अवसर भी मिला, जिसमें हिन्दी में डायलोग भी दिया है। कुल मिलाकर कहा जा सकता है कि मैंने हिन्दी को बहुत प्रेम दिया और उससे कहीं अधिक प्रेम मुझे हिन्दी से मिला।

 私はインドで11年7ヶ月過ごしました。この間、ヒンディー語の短編・長編小説や詩などを日本語に翻訳する一方、日本語の作品をヒンディー語に訳したり、ヒンディー語映画の批評をしたりして来ました。インドもかなり隅々まで回り、私ほどインドを旅行した人はいないのではないかというほどです。ヒンディー語が、1人の外国人旅行者と地元の人々との間の壁を取り払ったことは言うまでもありません。とあるヒンディー語映画に出演したこともあり、ヒンディー語の台詞ももらっています。総じて、私はヒンディー語を愛し、それ以上の愛をヒンディー語から受け取って来ました。

मैं क्यों हिन्दी सीखने लगा? आजकल इस सवाल के जवाब में कहता हूँ कि पूर्वजन्म में मैं भारतीय था। पर सच बात तो यह है कि भारतीय लोगों ने मुझे हिन्दी सीखने की प्रेरणा दी थी। मैं भाषाविज्ञान का छात्र था। भाषा सीखना और उस भाषा की बोली जानेवाली जगह घूमना मेरा शौक़ था। मिस्र जाने से पहले अरबी सीखी, चीन जाने से पहले चीनी सीखी और भारत जाने से पहले हिन्दी सीखी। सीखी क्या थी, लिपि, बुनियादी शब्द और व्याकरण ही किसी तरह याद करके जाता था। किसी विदेशी यात्री को अपनी भाषा बोलते देखकर किसी भी देश के लोग ख़ुश हो जाते हैं, पर मुझे अच्छी तरह याद है कि भारतीय लोग मुझे “नमस्ते”, “कैसे हैं” बोलते देखकर सबसे ज़्यादा ख़ुश हो जाते थे और दिल खोलकर मुझे अपनाते थे कि “अरे, तुम तो इंडियन हो गए हो!” मुझे दुनिया की सारी भाषाओं में हिन्दी सबसे मज़ेदार और आकर्षक लगी और पूरी तरह सीख लेने की इच्छा भी हुई। मेरे मूँह से हिन्दी सुनने के बाद भारतीयों के चेहरे पर खिलनेवाली मुस्कराहट की वजह से मैंने हिन्दी की कठिन साधना में प्रवेश किया था।

 私はなぜヒンディー語を勉強し始めたのでしょうか?最近、その問いに対する答えとして、私は、「前世がインド人だったのだ」と答えることにしています。しかし、本当は、インドの方々が私にヒンディー語を学ぶ動機をくれたのでした。私は言語学の学生でした。言語を学び、その言語が話されている土地を旅行することが私の趣味でした。エジプトへ行く前にアラビア語を勉強し、中国へ行く前に中国語を勉強し、インドへ行く前にヒンディー語を勉強しました。勉強したと言っても、文字と基本単語と基礎的な文法を何とか頭に詰め込んでいただけでした。外国人旅行者が自分たちの言語を話すのを見て喜ばない人はどこの国にもいません。しかし、インド人は、私が「ナマステー」「カイセー・ハェン?」などと言うのを見て、最も喜んでくれたのを今でもよく覚えています。そして、「お前はもうインド人だ」と私を心から受け容れてくれました。世界のあらゆる言語の中でヒンディー語がもっとも面白く魅力的だと感じ、完全にマスターしたいという気持ちになりました。私の口からヒンディー語を聞いたときにインド人の顔に浮かぶ笑顔、そのおかげで私は、ヒンディー語の困難な修行の道に足を踏み入れたのでした。

जब हिन्दी सीखने दिल्ली में रहने लगा, तब हिन्दी का और भारतीयों का दूसरा चहरा दिखाई देने लगा। जब भी नए लोग मिलते हैं, मुझे इस सवाल का सामना करना पड़ता था कि क्यों हिन्दी सीख रहे हैं? धीरे-धीरे समझने लगा कि यह केवल सवाल नहीं है, बल्कि मुझे यह बता रहे हैं कि हिन्दी सीखने का कोई फ़ायदा नहीं है। यह सवाल मेरे दिल को बहुत दुखाता था।

 ヒンディー語を勉強しにデリーに住み始めると、ヒンディー語の、そしてインド人の、別の顔に気付き始めました。新しい人に会うたびに、私は「なぜヒンディー語を勉強しているのか?」と聞かれました。徐々に私は理解するようになりました。これは単に質問ではなく、私に「ヒンディー語を勉強しても何の利益もない」と言い聞かせているのだと。この質問は、私の心をとても悲しませました。

कोई भी विदेशी भाषा सीखने के पीछे कुछ कारण होते हैं। कुछ लोग पैसा कमाने के लिए भाषा सीखते हैं, कुछ लोग अच्छी नौकरी पाने के लिए भाषा सीखते हैं, कुछ लोग किसी का प्यार जीतने के लिए भाषा सीखते हैं, कुछ लोग सिर्फ़ शौक़ के लिए भाषा सीखते हैं।

 外国語を学ぶ理由はいくつもあると思います。お金を稼ぐため、いい仕事に就くため、誰かの愛情を勝ち取るため、または単なる趣味として。

मैंने भारत में हिन्दी सीखनेवाले अनेक विदेशी छात्रों को देखा और उनमें एक सामान्यता पाई है। वह है भारत के प्रति, भारतीयों के प्रति, भारतीय सव्यता के प्रति, भारतीय संस्कृति और परंपरा के प्रति प्यार और इज़्ज़त। जब मन में प्यार और इज़्ज़त है, तब फ़ायदे की बात थोड़े-ही आती है। पूछना ही हराम है। वह भी उन लोगों द्वारा पूछा जाना, जिसे प्यार का इज़हार कर रहे हैं, मन में गहरी चोट छोड़ता है।

 私はインドでヒンディー語を学ぶ多くの外国人学生を見て来ました。そして彼らの中にひとつの共通点を見つけました。それは、インドへの、インド人への、インド文明への、そしてインド文化と伝統への愛情と尊敬です。心に愛情と尊敬があるとき、利益の話は浮かんで来ないものです。問いかけることすら失礼です。しかも、愛情を投げかけている相手にそんなことを聞かれるのは、心外と言う外ありません。

आजकल नाना प्रकार के विदेशी लोग भारत आने लगे हैं और उनमें कुछ लोग इन चीज़ों से कोई मतलब नहीं रखते हैं, केवल अपने मतलब के लिए आते हैं, चाहे बिज़िनेस हो, रिसर्च हो, या न जाने क्या-क्या हो। वे अक्सर हिन्दी सीखने की कोशिश नहीं करते। अंग्रेज़ी से काम चालू रखना चाहते हैं। और भारत समझ नहीं पाते हैं।

 今ではいろいろな種類の外国人がインドを訪れるようになりました。その中には、上記のこととは全く関係ない人も多くいます。ビジネスであれ、研究であれ、他の何であれ、単に自分のためにインドに来ているのです。彼らはしばしば、ヒンディー語を学ぼうとしません。英語で仕事を済ませようとします。そしてインドを理解せずに終わってしまいます。

हिन्दी सीखनेवाले विदेशी छात्र उन छात्रों से बिलकुल अलग हैं जो भारत में कुछ सीखने आते हैं और भारतीयों को सिखाके चले जाते हैं। हम पूरे यकीन के साथ कह सकते हैं कि हमीं भारतीयों के दिल के सबसे क़रीब हैं और सही मायने में दो देशों के बीच का सेतु बन सकते हैं।

 ヒンディー語を学ぶ外国人学生は、インドに何かを学びに来ながら、インド人を叱責して帰って行く学生たちとは根本的に異なります。私たちは固い信念と共に言うことができますが、私たちこそがインド人の心に最も近い存在なのです。そして、両国の間の真の橋になることができるのです。

हाँ, आप हमसे हिन्दी सीखने का कारण पूछ सकते हैं। कोई मनाही नहीं है। मैं पहले से बता चुका हूँ। लेकिन यह बताने के इरादे से मत पूछिएगा कि हिन्दी में कोई फ़ायदा नहीं है, हिन्दी सीखना बेकार है। बल्कि आप लोगों से नम्र निवेदन है कि हमें प्रेरणा दीजिएगा। हमें प्यार दीजिएगा। हमें अपनाइएगा। ताकि और भी युवा जापानी हिन्दी सीखने भारत जाएँ और यह सेतु और भी मज़बूत हो जाए।

 ヒンディー語を勉強する理由を私たちに聞くだけなら歓迎です。禁止ではありません。しかし、ヒンディー語に何の利益もないとか、ヒンディー語を学ぶことは無駄だ、などと言ったことを伝えるために、その質問をしないで下さい。そうではなく、私たちに動機を下さい。私たちに愛情を下さい。私たちを受け容れて下さい。そうすれば、さらに多くの日本人の若者がヒンディー語を学ぶためにインドを訪れるでしょうし、この橋はさらに強力なものとなるでしょう。

धन्यवाद।

 ありがとうございました。

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2014年2月18日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : arukakat