Badlapur

ンディー語に「バドラー(बदला)」という単語がある。大修館の「ヒンディー語=日本語辞典」によると、この単語には7つの意味がある:①変えること②交換③賠償④返し⑤報復⑥報い⑦返礼。「~の見返りに」という意味のイディオム「ケ・バドレー・メン(के बदले में)」の中で使われることもあるが、映画の文脈では圧倒的に「報復」「復讐」の意味で使われることが多い。

 2015年2月20日公開のヒンディー語映画「Badlapur」のタイトルは、まさしく「復讐の町」という意味だ。「badla」は「復讐」、「pur」は「町」を意味する。実はこれは実在の地名だ。バドラープルという町が、ムンバイーから約70kmの地点にある。ムンバイーへの接続の良さから、ムンバイーのベッドタウンとして発展して来た。また、鉄道や陸路の要所にあり、列車の乗り換えに便利な場所である。よって、この実在の町の「badla」とは、「(列車などを)乗り換える」という意味から付けられたもので、決して「復讐の町」ではない。

Badlapur

 

 「Badlapur」の監督はシュリーラーム・ラーガヴァン。「Johnny Gaddar」(2007年)や「Agent Vinod」(2012年)の監督であり、スリラーが得意だ。作曲はサチン・ジガル、作詞はディネーシュ・ヴィジャンとプリヤー・サライヤー。キャストは、ヴァルン・ダワン、ナワーズッディーン・スィッディーキー、フマー・クレーシー、ヤミー・ガウタム、ヴィナイ・パータク、ディヴィヤー・ダッター、ラーディカー・アプテー、アシュヴィニー・カールセーカル、ムラーリー・シャルマー、プラティマー・カーズミー、ザーキル・フサイン、クムド・ミシュラーなど。

あらすじ

 15年前、プネーで銀行強盗事件に巻き込まれ、母親と子供が殺されるという事件があった。実行犯はラーイク(ナワーズッディーン・スィッディーキー)とハルマーン(ヴィナイ・パータク)の2人組だったが、ハルマーンは金を持って逃亡したのに対し、ラーイクは逮捕された。ラーイクは20年の懲役刑となったが、決してパートナーの名前は吐かなかった。

 ラーガヴ、愛称ラーグー(ヴァルン・ダワン)は、その事件で殺されたミシャー(ヤミー・ガウタム)の夫であり、ロビンの父親だった。ラーグーは女探偵ジョーシー(アシュヴィニー・カールセーカル)を雇い、ラーイクの母親(プラテシマー・カーズミー)から情報を収集する。その結果、ラーイクにはジムリー(フマー・クレーシー)という娼婦のガールフレンドがいることが分かる。ラーグーはジムリーを訪ね、ラーイクからパートナーの名前を聞き出させようとするが、ジムリーはラーイクを裏切らなかった。怒ったラーグーはジムリーをレイプする。全てを失い、方策も尽きたラーグーは、傷心のままバドラープルに流れ着き、ひたすら復讐の機会を待つ。

 15年が経過した。ある日、ラーグーの元に囚人を援助するNGOの主宰者ショーバー(ディヴィヤー・ダッター)がやって来る。ショーバーは、ラーイクが癌で余命1年であることを伝え、彼に恩赦を与えるように要請する。当初、ラーグーはそれを拒否するが、ラーイクの母親がラーイクのパートナーの情報を提供したことで、最終的には同意する。おかげでラーイクは15年振りに刑務所の外に出ることが出来た。

 ラーグーは、ラーイクの母親からの情報を元にハルマーンに接近する。ハルマーンはレストラン経営者として成功しており、カンチャン(ラーディカー・アプテー)という妻もいた。ハルマーンはラーグーの正体を知り、彼に自分のことを警察に言わないように頼む。そのために彼はラーイクの分け前をラーグーに差し出すことに同意し、またカンチャンはラーグーと寝ることも拒まなかった。だが、ハルマーンは金だけ受け取ってカンチャンとハルマーンを惨殺する。そしてアリバイ作りのために、わざわざショーバーと待ち合わせして、彼女と寝た後、2人の遺体を捨てに行った。

 一方、ラーイクはハルマーンから分け前とパスポートを受け取ってバンコクに高飛びしようとしていた。だが、既にハルマーンは殺されており、待ち合わせ場所にはラーグーが現れた。ラーイクはラーグーの家に忍び込んで金を探すが見つからない。そこへラーグーが帰宅したために取っ組み合いとなるが、ラーイクは圧倒され、意識を失う。ラーイクが意識を取り戻すと、ラーグーは自分がハルマーンとカンチャンを殺したと伝える。それに対してラーイクは、自分がラーイクの妻を殺したことを白状すると同時に、故意ではなかったと強調し、故意にハルマーンとカンチャンを殺したラーグーを狂人呼ばわりして去って行く。

 その頃、警察もラーイクを尾行し、彼のパートナーを特定しようとしていた。その中でラーイクがハルマーンの経営するレストランに頻繁に通っていたことが分かり、そこからハルマーンとカンチャンの死が発覚する。その容疑者としてラーグーが浮上する。事件を担当することになったゴーヴィンド・ミシュラー警部補(クムド・ミシュラー)は、かつてミシャーとロビンが殺された銀行強盗事件に関わったこともあり、ラーグーとも面識があった。だが、彼はもうすぐ定年を迎えようとしていた。ミシュラー警部補はラーグーに面会し、ハルマーンから受け取った分け前の金を渡せば不問にすると言う。だが、ラーイクは容疑を認めようとしなかった。

 ミシュラー警部補は定年の直前にラーグーを逮捕しようとしていた。ところがそこへ突然ラーイクが現れ、自分がハルマーンとカンチャンを殺したと自供する。ミシュラー警部補はそれが虚偽であることが分かっていたが、ラーイクが頑としてその主張を曲げなかった。仕方なくミシュラー警部補はラーイクを逮捕する。

 7ヶ月後。ラーイクは刑務所の中で癌のために死去する。ジムリーはラーグーを訪ね、ラーイクのおかげで今のラーグーがあることを伝え、去って行く。

解説

 復讐劇はインド映画の定型ジャンルのひとつであるが、この「Badlapur」は緻密に構成されている上に単純明快な展開や結末になっていない。復讐劇の新境地を開いたと評価できるだろう。

 「Badlapur」で最も巧みなのは、映画が進行するに従って、観客の同情が主人公のラーグーから、悪役のラーイクの方に移って行くことだ。ラーグーは妻子をラーイクに殺され、復讐に燃えるようになる。そして彼は15年以上の歳月を掛けて、その大半を達成する。最終的にラーイクは癌で死亡したものの、ハルマーンには自らの手で引導を渡し、その妻をも殺して自分と同じ目に遭わせた。通常のインド映画ならば、復讐の達成でもって一応のハッピーエンドとするだろう。だが、「Badlapur」は正反対だ。

 物語はむしろ、銀行強盗をする中で誤って母子を殺してしまったラーイクを中心に進行する。ラーイクは悪知恵の働く男で、銀行強盗を主導したのも彼だったが、逮捕後は「自分は単なる運転手だ」ととぼける。また、成功しないものの、何度も刑務所からの脱走を試みる。ナワーズッディーン・スィッディーキーの巧みな演技もあって、ラーイクは一筋縄ではいかない人物となっている。だが、映画を観ている内に、どこか憎めなくなって来るのである。そもそも彼が銀行強盗を働いたのも、恋人で娼婦のジムリーと一緒になるために大金が必要だったからだった。その過程で誤って人殺しをしてしまったものの、彼はパートナーのハルマーンをまず逃がして、自分がリスクを背負う。15年後、やっと出所できた彼は真っ先にジムリーに会いに行くが、既に彼女は別の男の愛人となっていた。その男に対し、彼は「俺は殺人犯だ。彼女に手を上げたら俺がお前を殺す」と警告し、ジムリーを彼に託して最後の仕事へと向かう。彼は、最後にひとつでも善行を積もうと、ラーグーの犯した罪をかぶり、自首する。彼のこの生き様をずっと見せられると、ラーグーよりもむしろラーイクに感情移入してしまうのだ。

 この主役と悪役の逆転に留めを刺すのが、ラーグーがハルマーンとカンチャンを殺したことを知った後のラーイクの台詞である。彼はラーグーに、銀行強盗して逃亡中に自動車の扉が開き、ロビンが落ちてしまったこと、そしてミシャーが泣きわめいたためにカッとなって彼女を撃ち殺してしまったことを初めて自ら明かすと共に、「俺は頭に血が上って殺人をしたが、お前は冷静にハルマーンと無実の妻を殺した。お前は狂ってる」と言う。復讐の鬼と化したラーグーは、いつの間にか犯罪者よりも冷酷な殺人鬼となってしまっていた。

 以上のことから、「Badlapur」は、復讐劇ながら決して復讐を正当化していない。むしろ復讐の虚しさと危険性を延々と映像化しており、許しの大切さを浮き彫りにしている。そういう意味では囚人の支援を行うNGOの主宰者ショーバーの存在が最も重要である。ディヴィヤー・ダッター演じる彼女こそがこの映画の良心でありメッセージであった。マハートマー・ガーンディーの有名な言葉に「目には目を、が世界を盲目にしてしまった」というものがあるが、「Badlapur」は正にこの言葉を映像化した作品であった。

 キャストの面から「Badlapur」を見ると、やはり主演のヴァルン・ダワンにとって重要な作品と位置づけられる。「Student of the Year」(2012年)でデビューして以来、若手の有望株の一人に数えられているが、その後の彼の出演作はどちらかと言うと軽い男の役が多く、単調になって来ていた。一方、同じ「Student of the Year」でデビューしたスィッダールト・マロートラーは「Ek Villain」(2014年)でネガティブ・ヒーローを演じ、芸幅の広さを証明した上に映画を成功させた。よって、「Badlapur」はヴァルンにとって、「Ek Villain」でのスィッダールトとの対決だった。そしてそれは失敗していなかったと評価できるだろう。徐々に復讐に取り憑かれていくラーグーの脆い精神性をよく表現できていた。

 だが、今絶好調の俳優ナワーズッディーン・スィッディーキーが共演していたために、どうしても彼の演技の方に目が行ってしまう。本当に巧い俳優だ。彼の演技には、ずっと見ていたくなるような、惹き付ける力がある。彼がいたからこそ、「Badlapur」は単純な復讐劇に陥らずに済んだと言える。よって、ヴァルンの頑張りも相対的に目立たなくなってしまっていたのが彼にとって不幸であった。

 他に、ヴィナイ・パータク、フマー・クレーシー、ラーディカー・アプテーなども存在感があった。アシュヴィニー・カールセーカルが演じた女探偵ジョーシーは、ヴィディヤー・バーランが女探偵を演じた「Bobby Jasoos」(2014年)を思わせる。

 「Badlapur」はシリアスな映画であり、ダンスシーンはないが、いくつかの曲が途中にBGMとして挿入される。その中でもアーティフ・アスラムの歌う「Jeena Jeena」が大ヒットした。

 「Badlapur」は、インド映画が得意とするジャンルである復讐劇のひとつであるが、単純な復讐礼賛ではない。むしろ、復讐される側の行動や心情変化を緻密に追っており、そちらの方に感情移入が移って行くというユニークな構造になっていた。いくつか暴力描写があるので注意が必要だが、それに耐えられるならば非常に見応えのある作品だ。そして何と言ってもナワーズッディーン・スィッディーキー。現在最も脂の乗っている俳優の名演を楽しむだけでも見る価値のある映画である。

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