Dangal

ンドのスポーツ業界ではクリケットが一強状態にあり、それがその他のスポーツの発展を阻害してきた。ただ、クリケットはオリンピックの種目になっておらず、国際的なスポーツ大会が開催されると、それ以外のスポーツにも一時的にスポットライトが当たる。しかしながら、インドは、世界第二の人口を擁するにもかかわらず、なかなか多くのメダルが取れない。それでも、五輪においてテニス、ウエイトリフティング、射撃、ボクシング、レスリング、バドミントンなどで徐々にメダルを獲得し、それらのスポーツの認知度も少しずつ上がっていった。また、2008年にクリケットのプロリーグであるインディアン・プレミア・リーグ(IPL)が設立されて以来、インドでは様々なスポーツのプロリーグが立ち上げられてきた。サッカー、カバッリー、バドミントン、異種格闘技などなどである。レスリングについてもプロ・レスリング・リーグが2015年に始まった。一昔前に比べれば、スポーツにもようやく多様性が出て来たと言えるだろう。インドでクリケットがもてはやされたのは、カースト制度と関係しているという説もある。カースト制度の考え方では、自分より低いカーストの者との接触、特に汗などに触れることを忌避する傾向にあり、接触の多いスポーツは不適である。クリケットは接触の少ないスポーツなので、インド人がすんなり受け入れやすかった。インドで伝統的に盛んな近代スポーツを見てみると、確かに人と人との接触が少ないスポーツが多い。ゴルフ、テニス、ポロ、射撃などなど。どれも貴族のスポーツである。それでも、最近はそういう考え方も薄まってきており、それがスポーツの多様化に貢献していると思われる。

 ヒンディー語映画の世界でもスポーツ映画がジャンルとして確立したのはそれほど古いことではない。長い間、「スポーツ映画はヒットしない」というジンクスが信じられて来ており、スポーツ映画は敬遠されてきた。それを打ち破ったのがアーミル・カーン主演の時代劇クリケット映画「Lagaan」(2001年)であった。この映画の大ヒット以降、徐々にスポーツ映画が作られるようになり、ヒット作も生まれるようになった。やはり題材となるスポーツはクリケットが多かったが、ホッケー、ボクシング、陸上競技など、それ以外のスポーツを題材にした映画も果敢に作られるようになった。そして2016年に立て続けに映画の題材となったスポーツがレスリングである。ひとつめはサルマーン・カーン主演「Sultan」(2016年)。そしてふたつめがアーミル・カーン主演「Dangal」である。奇しくも同年に公開されたこの2作品だが、前者が一度引退したレスラーの復活劇である一方、後者は引退したレスラーが娘を国際的レスラーに育て上げるまでを追った物語であり、アプローチの仕方が全然違っていて面白い。

Dangal

 

 2016年12月23日公開の「Dangal」は、「Chillar Party」(2011年)で監督デビューしたニテーシュ・ティワーリーの作品である。アーミル・カーンとその妻キラン・ラーオが制作に関わっている他、ウォルト・ディズニー・インディアも出資している。アーミル・カーン以外にスター級の俳優はいない。「主演」ともいえる2人の女子レスラー姉妹を演じるのは、ファーティマー・サナー・シェークとサーニヤー・マロートラーで、前者は新人ではないものの「Dangal」以前に大きな作品はなく、後者に至ってはこれがデビュー作となる。音楽監督はプリータムである。

 ちなみに「Dangal」とは「相撲」「レスリング」という意味である。インド相撲は「クシュティー」などとも呼ばれる。日本では「ダンガル きっと、つよくなる」という邦題で4月6日から劇場一般公開される。マスコミ向け試写会に招待してもらえたので、一足先に日本公開バージョンを鑑賞することができた。

 「Dangal」の舞台はインド北西部ハリヤーナー州の片田舎。ハリヤーナー州はスポーツ振興に力を入れており、有能なスポーツ選手を多数輩出している。田舎から国際的なスポーツ選手が生まれているのが特徴で、例えば人口20万人ほどのビワーニー市は2008年の北京五輪のインド代表ボクサー5人の内4人を出したことで有名になった。「Dangal」に登場するレスラー姉妹、ギーター・ポーガートとバビーター・ポーガートも実在の人物で、やはりビワーニー県のバラーリー村出身である。また、隣のパンジャーブ州パティヤーラーには、インド中の優秀なアスリートが集まる国立スポーツ学校(NSA)があり、映画にも登場する。元々ハリヤーナー州とパンジャーブ州はひとつの州だったので、ハリヤーナー州の人にとってこの学校は地元感覚である。

Geeta & Babita

実在のギーター(左)とバビーター(右) 日本の吉田沙保里選手や伊調馨選手とも対戦している。

 「Dangal」でアーミル・カーンが演じるのは元全国レベルのレスラー、マハーヴィール・スィン。彼は、国や州からの助成が得られず、国際的なレベルでの活躍ができずに終わった苦い経験を持っており、自分の息子を世界的なレスラーに育て上げる夢を持っていた。ところが、生まれて来るのは女の子ばかり。4人目の女の子が生まれた時点で、マハーヴィールはその夢を諦めた。しかし、長女のギーター(ファーティマー・サナー・シェーク)と次女のバビーター(サーニヤー・マロートラー)が近所の男の子を喧嘩で負かせたのを知り、2人に格闘家としての才能を見出して、女子レスラーに育て上げるという新たな夢を抱いた。こうして親子三人四脚の挑戦が始まった。

 スポーツ映画として見れば、定石に則った、非常に単純な筋の映画である。田舎の村で土まみれになって練習しているようなアンダードッグが才能を発揮し、あれよあれよという間に連勝を続け、栄冠を手にする。途中、挫折や対立があり、邪魔や妨害も入るが、それらを乗り越え、最終的に、目標としていた国際大会での金メダルを勝ち取る。とても分かりやすいが、特に目新しさはない。

 唯一、少しだけ目新しかったのは、父親とコーチの対立である。ギーターは父親の教えを守って連勝を続けるが、全国レベルの選手になり、国立スポーツ学校に入って代表コーチの指導下に入ると、コーチの指導法を信じるようになり、勝てなくなる。ギーターが再び父親のアドバイスを聞くようになると、また勝てるようになる。コーチは父親が観戦するのを妨害したりもする。あまりに単純な図式で、現実的でもないが、次に述べる家族愛というテーマにつなげるために必要なスパイスだったのだろう。

 ちなみに、2010年の英連邦スポーツ大会(コモンウェルス・ゲームス)デリー大会でギーターを指導した代表コーチ、PRソーンディーは「Dangal」を観て心を痛めたようだ。実際にはコーチとマハーヴィールの間に対立はなく、ギーターとの関係も良好だったそうだ。

 インド映画の中心的テーマは家族愛である。「Dangal」も、スポーツ映画として見るより家族映画として見た方がしっくり来るだろう。当初、父親と娘たちの関係は良くない。夢を子供に押しつけようとし、毎朝5時に起こして特訓する父親と、父親をひたすら恐れ、いやいやながら特訓に付き合い、やがてさぼることを覚える娘たち。その関係が変わったのは、友達の結婚式だった。インドの田舎では、まだまだ女の子は「お嫁さん」になることを強要されており、人生で「何か」になることを後押しする親は少ない。マハーヴィールは、たとえ自分の潰えた夢が動機にあったとしても、他の親とは違い、娘たちに、人生で「何か」になることを教え、自らの時間と労力を捧げてそれを実行していた。それを感じ取ったギーターとバビーターは、見違えるように練習に精を出すようになり、レスラーとしての頭角を現す。また、マハーヴィールの妻も、彼の挑戦をそっと支える。

 ギーターは、国立スポーツ学校に入った後、父親の指導を忘れ、代表コーチの指導を受け入れる。この時点で父と子の結束に亀裂が入る。同時に、ギーターの戦績は低迷する。その後、母親やバビーターの取りなしもあり、2人は仲直りする。ギーターは今度はコーチを無視し、父親の指導に従って動くようになる。するとギーターは勝てるようになる。英連邦スポーツ大会の決勝戦で父親が観戦席にいないというハプニングがあり、ギーターは多少動揺するが、子供の頃に父親から受けたアドバイスを思い出し、大技を成功させて逆転勝利する。大事なときに大切な家族がいない、ということは人生で往々にしてあり得ることだが、その場にいなくても常に一緒にいるという感覚も家族ならではのものである。ギーターが英連邦スポーツ大会で勝ち取った金メダルは、インドの女子レスラーが初めて勝ち取ったものであった。実世界での彼女の金メダルはどうあれ、少なくとも映画中では、家族の力で勝ち取った家族の金メダルであった。

 また、この物語の語り手であるオームカルは、ギーターとバビーターの従兄弟にあたる。インドでは、日本でいう「従兄弟」も「兄弟」扱いなので、オームカルはインド的には「兄」である。オームカルは、ギーターとバビーターの練習相手になったり、マネージャー的な役割を果たしたりして、2人の成功を影ながら支えた。これも家族の結束のひとつだ。ちなみに、普通、男子と女子が相撲をするのはインドでは許されないが、兄弟に限っては問題視されない。

 インド映画は、どんな茶らけた娯楽映画であっても、必ずと言っていいほど何らかの社会問題にメスを入れる。そのメスの入れ方が表層的すぎて逆効果であることもなきにしもあらずなのだが、「Dangal」については、比較的スムーズに、かつうるさくない程度に切り込んでいる。「Dangal」が取り上げたのはズバリ、インドの女性問題だ。インドでは、結婚時に花嫁側の家族から花婿側の家族に多額の持参金を支払わなければならないため、女児の誕生を嫌がる傾向がある。女子が3人生まれるとその家は破産すると言われている。よって、胎児が女の子であることが分かると堕胎することも多く、胎児の性別判定は法律で禁止されている。そのような社会である上に、女子の子育てや教育は嫁入り前提であるため、女子が人生で何かを成し遂げようとすることは期待されていないばかりか、止められさえする。スポーツをするなどもってのほかだ。マハーヴィールも当初はそういう「常識」に囚われ、夢を諦めていたが、女子がスポーツ選手になって何が悪いのか、と開き直った瞬間に、社会通念に果敢に挑戦し始める。

 ギーターとバビーターが背負っていたのは、決して父親の夢や家族の期待のみではなかった。女子でもスポーツ選手になり、世界の舞台で戦うことができる、しかも金メダルを取ることができる、そういう事実をインド中の女性たち、もしくは女の子の両親たちに示す使命があった。ギーターはそれを成し遂げたのである。

 さらに少しだけ高次元の話になると、インドにおいて女子スポーツが置かれている現状にも少しだけ踏み込んでいた。冒頭で述べた通り、インドのスポーツ界はほぼクリケット一色の状態である。もっと正確に言うならば男子クリケット一色だ。クリケット以外のスポーツは辺縁に追いやられている上に、女子スポーツともなれば、顧みられることすらほとんどない。国や州から出る助成金にしても、その現状と比例している。これは、女子ホッケーを題材にした「Chak De! India」(2007年)でも触れられていた問題だ。ただ、この辺りはインドに限った問題ではないかもしれない。

 「Dangal」を見ていてひとつ感心したのは、宗教色が全くなかったことだ。ポーガート家はヒンドゥー教徒の家庭である。スポーツ映画ともなると神頼みのシーンも出てくるかと思ったが、勝利を神に祈るようなシーンは記憶にある限り存在しなかった。インド映画ではともすると、神様の力で奇跡が起こり願いが叶うことがよくあるのだが、そうではなく、純粋に日々の練習と指導法、そして対戦相手に合わせた戦略で勝敗が決していた。インド以外の映画では当たり前なのだが、その当たり前がインド映画で見られたことに感心したのである。

 また、ダンスシーンと恋愛の要素がほとんどなかったが、これは最近のインド映画ではよくあることだ。一昔前、インド映画はあらゆる娯楽要素が混ぜ込まれた「マサーラー映画」と形容されることが多かったが、21世紀に入り、特にヒンディー語映画においては、そのような傾向は急速に退潮した。それでもギーターについては、国立スポーツ学校において多少恋愛の芽生えみたいなものも暗示されていた。だが、恋仲になる相手はついに出て来なかった。そのおかげでブレのない映画になっていて好感が持てた。ただ、この点については、「Dangal」が実在の人物を主人公にした実話のサクセスストーリーである上に、ギーターは2016年に結婚しているので、勝手にロマンスを入れ込むことを遠慮しただけかもしれない。

 俳優たちの演技もこの映画の見所だ。アーミル・カーンは役作りのために70kgから97kgまで体重を増やし、その後再び70kgまで減量した。劇中で彼は中年太りしているが、これはCGやボディースーツなどでそう見せている訳ではないようだ。レスリングのシーンにしても、アーミルをはじめ、ファーティマーとサーニヤーも自分で演じている。そのために彼らはレスリングの訓練をした。そのような俳優たちの努力があったおかげで、試合のシーンはとても臨場感がある。

 「Dangal」は、女子レスリングを題材にし、家族愛を高らかに歌い上げ、女性問題や女子スポーツ問題にもメスを入れた意欲的な作品である。スポーツ映画としては単純な筋書きだが、アーミル・カーンら俳優たちの役作りのおかげで、試合のシーンも迫力がある。インド映画ファンにはオススメしない理由がない。中国でも大ヒットしたとのことだが、日本の一般の観客にどれだけ受け入れられるかははっきり言って未知数だ。イロモノ扱いではなく、敬意を持って宣伝してもらいたいものである。

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