Dolly Kitty Aur Woh Chamakte Sitare

21世紀のヒンディー語映画界は様々な面において劇的な変化を遂げたが、その内のひとつに女性像の変化がある。ヒンディー語映画においてかつてヒーローの単なる添え物に過ぎなかったヒロインは、徐々に個性を発揮し始め、遂には主役の座にまで躍り出るようになった。「Jab We Met」(2007年)のギートや、「Kahaani」(2012年)のヴィディヤー、「Queen」(2014年)のラーニーなど、いくつもの女性ヒロインたちを経て、その潮流は着実に進行して来た。

 そして2020年になった今、さらに大きな変化を感じさせる映画に出会うことができた。2020年9月18日からNetflixで配信されているヒンディー語映画「Dolly Kitty Aur Woh Chamakte Sitare」である。この映画は、現代インド人のセクシャリティー、特に女性のセクシャリティーを女性の視点から赤裸々に綴った作品で、初公開は2019年の釜山国際映画祭であるが、劇場公開はされていない。新型コロナウイルス感染拡大を原因とする映画館閉鎖により、映画館を飛ばしてのNetflix配信となった作品の一本だと思われる。



 「Dolly Kitty Aur Woh Chamakte Sitare」の意味は、「ドリー、キティーとその輝く星たち」である。監督は女性でアランクリター・シュリーヴァースタヴァ。「Turning 30」(2011年)や「Lipstick Under My Burkha」(2017年)の監督であり、一貫して女性映画を撮り続けている。プロデューサーはエークター・カプールとショーバー・カプール。

 映画には多数のキャラクターが登場するのだが、あくまで主演は2人の従姉妹だ。年上のドリーを演じるのが「Mr. and Mrs. Iyer」(2002年)のコーンコナー・セーン・シャルマー、年下のキティーを演じるのが「Dum Laga Ke Haisha」(2015年)のブーミ・ペードネーカルである。他に、アモール・パラーシャル、アーミル・バシール、ヴィクラーント・マーシー、ニーリマー・アズィームなどが出演している。

 物語は、デリー近郊のノイダのアパートに住むヤーダヴ一家を中心に展開する。会計士のドリーは、夫のアミトと2人の息子と共に暮らす中産階級の女性だった。最近、ドリーの家には、ビハール州の田舎から従姉妹のキティーが来て暮らしていた。この一家が、それぞれに問題を抱えているのである。

 まず、アミトとドリーは過去2年間、セックスレスであった。その原因はドリーが不感症になってしまったからだった。ドリーの母親は彼女を捨てて愛人と失踪しており、不感症は遺伝ではないかと考えたが、母親からは否定された。また、ドリーはかつて、処女膜再生手術を受けており、それが不感症の原因だとも考えていた。

 ドリーは、大学生で配達屋のバイトをしているオスマーン・アンサーリー(アモール・パラーシャル)と親密になり、やがてベッドを共にする。ドリーは不感症ではなく、単にアミトに性的な魅力を感じなくなっていただけだった。

 一方のアミトは、デートアプリを使って若い女性とテレフォンセックスを楽しんでいた。ところが、その相手は実はキティーだった。キティーはアミトから逃れるためにヤーダヴ家のアパートを出て女子寮に住み始め、コールセンターで働くが、そこはデートアプリのコールセンターで、電話先の男性と卑猥な会話をするのが仕事だった。

 だが、キティーはコールセンターに電話をして来たプラディープ(ヴィクラーント・マーシー)という若者と恋に落ちていた。キティーはプラディープとデートを重ねるようになり、彼とベッドを共にする。彼女にとってそれが初体験だった。ところが、2人はデート中に警察に捕まり、プラディープは彼女を見捨ててさっさと留置所から出て行ってしまう。しかもプラディープは本名ではなく、既婚かつ子持ちであったことも発覚する。思い返してみると、プラディープとの初体験も期待したほどのものではなかった。

 このように、ドリーとキティーの視点から、現代の女性が抱えるセクシャリティーの問題をかなり際どくえぐっている作品である。これに加えて、ドリーはもうひとつ息子の問題を抱える。下の息子が性同一性障害の兆候を示しており、人形遊びや化粧を好むようになっていたのである。

 このまま行くと一家崩壊という結末しかないように思えたのだが、クライマックスでは急転直下、様々なことが一気に起こり、ある程度物事が落ち着くべきところに落ち着いてしまう。その強引なまとめ方に思わず唸ってしまった。

 セクシャリティーの問題以外の部分でも、現代インドの問題がいくつか触れられていた。ヤーダヴ家は建設中の高級マンションにフラットを購入しようとし、建設業者に分割で支払いをしていたが、実はこれは詐欺で、建設業者はいつまで経ってもマンションを完成させようとしていなかった。似たような事件はノイダで実際に起こっている。また、キティーとプラディープがデート中に「文化保護」を掲げる過激グループと警察に襲われるが、これもバレンタインデー中止運動など、インド各地で起こっている現象をモデルにしている。

 題名となっている「輝く星たち」とは、最近のアプリでお馴染みとなった評価システムのことを指している。配達アプリやデートアプリなどで顧客がサービスに対して星いくつという形で評価を付ける。ドリーは配達アプリを通して知り合ったオスマーンに星を付け、キティーはデートアプリの顧客から星を付けられていた。また、劇中には、「暗闇の中でこそ星は輝く」という台詞もあった。

 総じて「Dolly Kitty Aur Woh Chamakte Sitare」は、現代インド人女性のセクシャリティーを通して、彼女たちの孤独を浮き彫りにした作品である。付け足し程度に入っていたダンスシーンなどは安っぽい印象を受けたが、ストーリーにはグリップ力があった。さらに、コーンコナー・セーン・シャルマーとブーミ・ペードネーカルの新旧シリアス派女優の共演が見所である。映画館スルー作品とは言え、全くあなどれない、優れた作品だ。

Print Friendly, PDF & Email

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です