Lootera

在のヒンディー語映画界で最も注目すべきはアヌラーグ・カシヤプ監督とその周辺の映画人たちである。最近の新しい潮流は、必ずこの界隈から生まれて来ていると言っても過言ではない。アヌラーグ・カシヤプが何らかの形で関わっている映画は、とりあえず見て損はない。

 2013年7月5日公開の「Lootera」もアヌラーグ・カシヤプのキャンプに分類される映画だ。監督のヴィクラマーディティヤ・モートワーニーはカシヤプ監督の「Dev. D」(2009年)の脚本家である。彼の監督デビュー作「Udaan」(2010年)は批評家から賞賛を浴びたが、プロデューサーは他でもないアヌラーグ・カシヤプであり、彼に可愛がられていることが分かる。「Lootera」のプロデューサーもアヌラーグ・カシヤプであり、さらに台詞を彼が書いている。これらの情報だけで、この映画が一見に値することが分かる。

Lootera

 

 「Lootera」の音楽はプリータム、作詞はアミターブ・バッターチャーリヤ。キャストはランヴィール・スィン、ソーナークシー・スィナー、バルン・チャンドラ、ヴィクラーント・マセー、アーリフ・ザカーリヤー、アーディル・フサイン、ディヴィヤー・ダッター、シーリーン・グハーなど。米国人作家オー・ヘンリーの有名な短編小説「最後の一葉」を部分的に原作としている。題名の「Lootera」とは「泥棒」「略奪者」という意味だ。

あらすじ

 1953年、西ベンガル州の農村マーニクプル。地主ロイ・チョウドリー氏(バルン・チャンドラ)の娘パーキー(ソーナークシー・スィナー)は、何の不自由もなく育ったお嬢様だった。夢は作家になることだったが、身体が弱く、結核を患っていた。ある日、ロイ・チョウドリー氏の邸宅にヴァルン・シュリーワースタヴ(ランヴィール・スィン)と言う若い考古学者が訪ねて来る。ロイ・チョウドリー氏の領地内にある古い寺院の発掘調査をしたいとのことだった。ロイ・チョウドリー氏は彼とその同僚デーヴダース(ヴィクラーント・マセー)を自宅に滞在させ、全面的に協力する。パーキーはヴァルンに惹かれ、彼に近付こうとし、彼に絵を学び出す。ただ、ヴァルンに画才はなく、逆にパーキーが彼に絵を教えることになった。

 ヴァルンはパーキーの好意に気付いており、パーキーと時間を過ごす内に彼もパーキーに恋するようになる。だが、彼には、この恋に身を任せてはいけない事情があった。デーヴダースも彼を制止する。だが、デーヴダースがカルカッタに行っている間にヴァルンはロイ・チョウドリー氏とパーキーとの結婚について話をしてしまう。ヴァルンを気に入っていたロイ・チョウドリー氏は2人の結婚を認める。

 ところがそのとき、デーヴダースが叔父AKバージペーイー(アーリフ・ザカーリヤー)を連れてマーニクプルに帰って来る。バージペーイーはヴァルンの結婚を許さず、彼は仕方なく本業に取り掛かることになる。

 実は彼らは考古品泥棒であった。ヴァルンとデーヴダースはバージペーイーの指示の下、動いていた。彼らがマーニクプルで狙っていたのは寺院にあるご神体の像であった。発掘調査というのも嘘で、実は鉄格子で守られた神像をトンネルによって盗み出すために掘っていたのだった。ヴァルンとパーキーの結婚式の日、ヴァルンとデーヴダースは神像を持って逃亡し、パーキーは花嫁姿のまま取り残される。

 それから1年後。パーキーは山間の避暑地ダルハウジーの別荘にいた。父親は事件の後ショック死しており、彼女は侍女のシヤーマー(ディヴィヤー・ダッター)と共にひっそりと暮らしていた。彼女の結核は悪化していたが、医者の勧めに従って温暖な地域へ移ることはせず、ダルハウジーで本を書き続けていた。

 ところで、バージペーイー一味による盗難事件がインド各地で相次いでいた。KNスィン警部補(アーディル・フサイン)は、ヴァルンと最も近い関係となったパーキーのところに情報収集に来た。パーキーはヴァルンに対して愛情と憎悪の入り交じった感情を抱いており、そのときは何も語らなかったものの、後に、ダルハウジーのマハーラージャーが所蔵する純金製ガネーシャ像のことをかつてヴァルンが語っていたことを思い出し、その情報を提供する。

 KNスィンは、ヴァルンとデーヴダースをおびき寄せるために罠を仕掛ける。まずはパーキーに、自宅をゲストハウスとして開放させる。そして件のガネーシャ像をマハーラージャーが博物館に寄贈するというニュースを流す。同時にダルハウジー中の宿を全て満室状態とし、彼らがやって来るのを待った。

 果たしてヴァルンとデーヴダースはパーキーの家に宿を求めてやって来た。シヤーマーが応対したため、ヴァルンはまだパーキーのことに気付いていなかった。彼女の家に荷を下ろした後、2人は町へ出掛ける。だが、勘の良いヴァルンは追跡されていることを察知し、デーヴダースと二手に分かれて逃げる。その逃亡劇の中でヴァルンは警官1人を射殺し、しかも誤ってデーヴダースを撃ってしまう。だが、ヴァルンも負傷を負い、パーキーの家に逃げ帰って来る。このときまでに彼は、ゲストハウスの主がパーキーであることを察知していた。

 当初ヴァルンはパーキーとシヤーマーを脅して身を潜める。パーキーは敢えてヴァルンを警察に突き出さず、そのまま何日か一緒に過ごす。この間、彼女の体調は深刻な状態となっており、ヴァルンは彼女の看病をした。パーキーは、窓の外に見える木の全ての葉が落ちるときに自分の命が終わると信じていた。それを知ったヴァルンは、毎晩毎晩、木に手作りの葉を括り付けていた。そのおかげか、パーキーの命はまだ尽きなかった。

 いくら電話をしても出ないことを不審に思ったKNスィンはパーキーの家を訪れる。だが、パーキーはこのときまでにヴァルンを匿うことを決めており、令状を求める。KNスィンは令状を持って翌日再訪することを約束し、去って行く。翌朝、ヴァルンは手作りの葉を木に括り付けた後、パーキーの家を出て行く。だが、警察の待ち伏せに遭い、射殺されてしまう。また、パーキーはヴァルンが手作りの葉を木に付け続けていたことを知り、微笑む。

解説

 英国東インド会社がインドでの支配権を確立するに当たって直面した問題のひとつが地税徴収と土地所有制度の在り方であった。試行錯誤の末に制定され、特にベンガル地方などで施行されたのが、永代ザミーンダーリー制度と呼ばれるものである。ザミーンダール(地主)に近代的な土地所有権が付与され、恒久的に一定額の徴税の義務を負わせる一方、農民は全てザミーンダールの下で働く小作人と規定された。この制度により、農業から得られる富がザミーンダールに集中することとなった。劇中に登場するロイ・チョウドリー氏も、そんなザミーンダールの1人であり、マーニクプルで唯一絶対的な富を築き上げている。

 しかし、インド独立後にザミーンダールの特権が奪われることになり、州ごとに関連の法律が制定され始めた。マーニクプルの属する西ベンガル州で西ベンガル荘園接収法(The West Bengal Estates Acquisition Act)が制定されたのが1953年で、「Lootera」はその前後の時代を背景とした物語となっている。

 前半では、ロイ・チョウドリー氏が急速に没落して行く様が描写される。村で唯一自動車を保有し、初めて電気を導入したロイ・チョウドリー氏であったが、時代の流れを敏感に感じ取れなかった。ザミーンダーリー制度が廃止されると、彼が所蔵していた貴重な美術品はインド政府によって次々と没収されてしまい、彼の所有する広大な土地も農民たちに分配しなければならなくなってしまった。そんなときにちょうど居合わせたのが若き考古学者ヴァルンであった。ヴァルンは、美術品を買い取ってくれる人がいることを伝え、政府に没収される前に売り払って現金化することを勧める。それに従いロイ・チョウドリー氏は残った美術品を売り払うのだが、受け取った金は全て偽札であった。そして、最も価値のあった神像までヴァルンらに奪われてしまう。さらに、何よりロイ・チョウドリー氏の心を痛めたのが、パーキーの結婚相手として彼自身が認めたヴァルンが泥棒だったことである。一夜にして富も名誉も奪われてしまったロイ・チョウドリー氏が命まで失うのは時間の問題であった。

 前半では、以上のようなザミーンダールの凋落に平行する形で、ヴァルンとパーキーのくすぐったい恋愛が進行する。高飛車だが純粋で積極的なパーキーと、モゴモゴとはっきりしない口調で話す奥手っぽいヴァルンのやり取りが面白い。題名が「泥棒」であるので、「心を奪う」という意味での「泥棒」かとも思われるが、次第にヴァルンがとある秘密を抱えていることが仄めかされて来て、文字通り泥棒なのではないかと予想されて来る。そして、ヴァルンとパーキーの結婚式の日に泥棒が実行に移される。

 前半は、「最後の一葉」を翻案した後半の下敷きではあるが、「Lootera」の美点はむしろ前半にあったと感じた。インド独自の時代背景、リトゥパルノ・ゴーシュ映画的なベンガル地方特有の描写、そして甘酸っぱい恋愛から急転直下の泥棒劇、全てがうまく噛み合っていた。

 それに比べると後半は平均的だった。ダルハウジーにヴァルンが現れるまではまだ緊迫感があったが、ヴァルンがパーキーの家に滞在するようになってからの一連の流れは、どう見ても無理があるように感じられた。ヴァルンを見失ったKNスィンは、真っ先にパーキーの家を捜索すると思うのだが。また、「最後の一葉」的な話の持って行き方は日本では散々使い古されたストーリーであるが、インドではどうなのであろうか?わざわざオー・ヘンリーの物語を適用しなくても、いくらでも結末は用意できたと感じた。

 ただ、主演2人の演技が全体に渡って光っており、退屈ではなかった。特にソーナークシー・スィナーの成長には驚かされた。今までは添え物的な役柄が多かったが、「Lootera」において彼女は遂に女優としての道に入ったと言っていいだろう。彼女のキャリア上、重要な作品になることは間違いない。ランヴィール・スィンの抑え気味の演技も良かった。

 ちなみに、ベンガル地方の富裕層が避暑地に別荘を持つとしたら、ヒマーチャル・プラデーシュ州のダルハウジーよりも、西ベンガル州のダージリンの方が普通だと思うのだが、なぜわざわざダルハウジーを選んだのだろうか?そう言えば、ヴィクラマーディティヤ・モートワーニー監督の前作「Udaan」ではヒマーチャル・プラデーシュ州の州都シムラーが出て来た。彼の出身地はムンバイーで、名前からすると出自はスィンド地方だと思うが、ヒマーチャル・プラデーシュ州に何らかの思い入れがあるのではないかと予想される。

 「Lootera」の特に前半を高く評価したいと思う。ザミーンダーリー制度が廃止され、地主が凋落して行く中、地主を騙して古美術品をせしめる泥棒と地主の娘の間の禁断の恋愛を描いており、とても良かった。

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