Padman

仏教をはじめとする複数の宗教を生み出して外部に輸出すると同時に、イスラーム教やキリスト教といった外部の宗教を受容してきた多宗教国家インドにおいて、8割弱の人々によって信仰されているとされるのがヒンドゥー教である。ただ、一口にヒンドゥー教といっても、日本の神道と似て創始者や聖典を持たない自然宗教の一種であるために、その信仰形態は多種多様である。そんなヒンドゥー教にも一定の教典は存在する。その中で、ヒンドゥー教の教義を大まかに決定づける根幹のひとつとしての役割を果たしてきたのが、今からおよそ2千年前に成立したとされるマヌ法典である。

Padman



 マヌ法典は、カースト制度や婚姻制度など、現在までインド社会に残る習慣を規定しているが、女性を、「男性よりも下等で、常に男性に従属すべき存在」として位置づけている点でも注目される。それは、「男を堕落させ、不貞を働く」という女性固有の性質もさることながら、月経・妊娠・出産という、女性の女性たるべき生理現象を「不浄」と規定し、その状態にある女性を「穢れた忌むべき存在」と規定していることに大きく起因している。特に、月経中の女性は不可触民や豚や死体と同等の扱いとされ、最上位のバラモン階級は、月経中の女性に触れてはならないのみならず、彼女たちと話したり、彼女たちの触れたものに触れたりすることさえも禁じられている。この考え方は、バラモン階級のみならず、階層や宗教を越えて社会の隅々にまで浸透し、現代にまで根付いている。インドの伝統的な屋敷には、月経中の女性が閉じこもるための専用の部屋が設けられていることがある。そのような部屋を設ける余裕のない家庭においては、月経中の女性は家畜小屋に放り込まれたり、家の中に入れず、外で月経が終わるまで過ごさざるを得なかったりする。そして、この件に関する最大の問題は、女性たち自身が月経をタブー視し、口に出すことすら恥とする因習を疑問視せず、甘受してきたことである。女性がそのような状態であるから、インド人男性が月経について全く正確な知識を持ち合わせていないのも無理からぬことだ。

 インドにおいて月経中の女性がどのように経血を処理しているのか、についても悲観的な事実が明らかになっている。インドにおいて生理用ナプキンを使っている女性は、現在でも2割に達しておらず、1998年頃にはわずか2%であったとされている。生理用ナプキンを付けると「目が潰れる」「結婚できなくなる」などの迷信があったり、そもそも生理用ナプキンの存在すら知らない人が多かったりすることも普及率の低さの一因だが、インドにおいてその普及を妨げてきた最大の要因は、高価な値段であった。大半の家庭において、女性たちが皆、生理用ナプキンを使い始めたら、家計が成り立たなくなってしまうのである。代わりに、ぼろ切れ、新聞紙、砂、おがくず、葉、灰などを使って処理されている。それらが極度に不衛生であることは無論であるが、ぼろ切れの使い方にしても全く不適切である。何度も再利用している上に、洗って乾かすときに、衆目を避けるために直射日光にさらさない傾向があり、十分に殺菌されない。さらに、家庭内の女性たちが同じ布を使い回すこともあるという。これが病気の原因にならないはずはなく、インドの生殖系疾患の70%は不衛生な経血処理が原因だとされている。

 インドの月経問題は女児の教育にも悪影響を及ぼしている。インドの初等教育の就学率は現在、9割を越えているが、中途退学率が高く、5年生(10歳)までに4割の児童が中途退学してしまう。特に女児の中途退学率が高いのだが、その大きな原因のひとつとなっているのが、月経である。多くの女児が生理用ナプキンを使用しないため、初潮を迎えると学校に通えなくなり、2割以上の女児は退学してしまうのである。こうして女性の教育が立ち後れ、いつまでも社会的・経済的地位が向上しない悪循環が生まれている。

 インドで2018年2月9日に封切られた「Padman」は、インドに巣くう上記のような生理問題を扱ったヒンディー語映画である。日本でも同年12月7日に「パッドマン 5億人の女性を救った男」の邦題と共に一般劇場公開された。監督は「Ki & Ka」(2016年)などのRバールキ。生理というセンシティブなテーマを娯楽映画として料理してしまう腕前はさすがである。主演はアクシャイ・クマール、ラーディカー・アープテー、ソーナム・カプールなど。音楽監督はアミト・トリヴェーディー。また、この映画の原案となったのは、アクシャイ・クマールの妻トゥインクル・カンナーの著書「The Legend of Lakshmi Prasad」(2016年)であり、彼女は映画のプロデューサーにもなっている。

 「Padman」は、インドの女性に安価な生理用品を届けようと奮闘し、最終的に世界的な名声を獲得した実在のインド人、アルナーチャラム・ムルガナンダム氏の半生に緩やかに基づいて作られた伝記映画である。ムルガナンダム氏は1962年、タミル・ナードゥ州の地方都市コインバトゥールに生まれた。その時代にインドではまともな性教育は行われておらず、1998年に結婚するまで、彼は女性が月に1回生理になることすら知らなかった。結婚を機に、妻をはじめとするインド人女性が抱える深刻な問題を初めて知ったムルガナンダム氏は、インドの女性に安価で衛生的な生理用ナプキンを届けるための挑戦を始める。彼の業績は大きく、発明家としての側面と起業家としての側面の2つに分けられるであろう。

 彼は市販の生理用ナプキンを研究し、試作を繰り返す。実験台が必要だったが、家の内外の女性たちから拒絶されたため、人造の「子宮」を作り、自作の生理用ナプキンを自ら装着して、その性能を試す。周囲からの理解と協力が得られず、なかなか成功しないが、やがて市販の生理用ナプキンの主要素材が綿ではなくセルロース・ファイバーであることを突き止め、海外から何とかそれを取り寄せる。また、セルロース・ファイバーから生理用ナプキンを製造する機械も調べ上げたが、あまりに高価だったため、木材やその他の手に入る部品を組み合わせて自作する。これらの努力により、十分な効果のある生理用ナプキンを安価に製造する機械を発明した。機械の値段は1台75,000ルピー、1日の生産量は250個で、ナプキン1個あたりの値段は2.5ルピーである。これは、多国籍企業の商品の1/2から1/3の値段である。「あり合わせの物で何とかする」ことをインドの言葉で「ジュガール」と言うが、ムルガナンダム氏の発明は正にジュガールの賜物であった。彼の発明は2006年に国立発明基金の「草の根技術賞」を受賞した。

 ムルガナンダム氏は、インド人女性の大半が抱えるもうひとつの問題にも気づく。それは、常に夫の横暴や暴力に身をさらされるような、女性の地位の低さであった。その根本的な原因は、教育の遅れ、さらには雇用の不足から、女性たちが経済的に自立できないことにあった。ムルガナンダム氏自身の母親も夫を交通事故で亡くしてから生活に苦労してきた。彼が14歳で学校を辞めなければならなかったのも、結局は、農村の女性が現金収入を得る手段がほとんどないことだった。彼は、「草の根技術賞」の賞金を資本金としてジャヤシュリー・インダストリーズを設立し、インドの村々に、生理用ナプキンを製造する小さな工場の創設を支援する。村の女性たちは、マイクロクレジットによる融資でジャヤシュリー・インダストリーズから機械を購入し、自分たちで生理用ナプキンを製造して販売する。収益金は労働者間で山分けにし、生活費の足しとする。生理用ナプキンの普及と女性の経済的自立の両方を実現する一挙両得のアイデアであった。ムルガナンダム氏が発明した手動の生理用ナプキン製造機械は1台あたり10人の雇用を生む。現在、インド各地で2000以上の工場が稼働しており、2万人以上の女性たちが食い扶持を得ている。これらの功績から、彼は2012年にTEDのスピーカーに選ばれ、2014年にタイム誌の「世界で最も影響力のある100人」の1人となり、2016年にインドの文民勲章のひとつであるパドマシュリーを受勲した。

 現在もムルガナンダム氏は精力的に活動しており、インド国外にもこの安価な生理用ナプキン製造機を広めるべく、努力奮闘している。

 映画大国のインドにおいて、映画は偉人の業績や社会問題を国民に周知させるための強力な手段だ。1本の映画が社会を変え、政治を動かすことさえある。
ムルガナンダム氏の半生や業績はいくつかの映画の題材になってきた。まず、「Menstrual Man」(2013年)において、彼の活動がドキュメンタリー映画化された。次に彼の半生を緩やかに題材にしたフィクション映画「Phullu」(2017年)によって、ストーリー仕立てで月経問題がクローズアップされた。しかしながら、インドにおいてドキュメンタリー映画の観客は多くなく、「Phullu」についても、スター出演のない低予算映画であり、これらの映画の影響は限定的であった。

 インド本国でも2018年に公開された「Padman」は、影響力という点で、上記2作の映画とは次元が異なった。洗練された作風とヒット率の高さで知られるベテラン映画監督Rバールキーがメガホンを取り、アクシャイ・クマールやソーナム・カプールといったスター俳優がキャスティングされたのである。この映画は口コミにより週を追うごとに興行成績を上げ、一定の成功を収めた。TEDやパドマシュリー勲章などよりも、やはりこの「Padman」によって、インド人の多くがムルガナンダム氏の名を知ることになったのである。

 また、「Padman」が取り上げた月経問題に共感した多数の映画スターたちが、「#PadmanChallenge」とハッシュタグして、生理用ナプキンを手に持った自撮り写真をSNSにアップするというキャンペーンに参加した。生理用ナプキンはタブーではないという認識を社会に広く知らしめる効果があった。

 ムルガナンダム氏はタミル人であるが、彼はまずビハール州で自作のナプキンの普及に努めた。彼の業績が映画化されるにあたって、ヒンディー語映画として作られることになったため、舞台はマディヤ・プラデーシュ州の田舎町マヘーシュワルとなった。町のシンボルであるアヒーリヤー・フォートや、すぐそばを流れるナルマダー河の風景が、とても印象的に映し出されていた。

 時間軸は2001年となっていた。時代考証にも力が注がれていたように思われる。例えば、インドでは2001年と言えば、ちょうど携帯電話が普及を始めた頃であり、劇中でも主人公ラクシュミーは途中まで携帯電話を持っていない。携帯電話を手に入れるまで、彼は専ら町中の電話屋から電話を掛けていた。検索エンジン最大手のGoogleも登場するが、昔のトップ画面のデザインが再現されていた。当時は、Googleのようなロボット型の検索エンジンは革新的であり、ラクシュミーもそのおかげで生理用ナプキン製造マシーンの仕組みを調べることができた。劇中には大御所俳優アミターブ・バッチャンが本人役でカメオ出演するが、この頃のアミターブは、クイズ番組「Kaun Banega Crorepati」のホストを務めたことで人気が再燃していた。

 ただし、登場する男性キャラの性格については、2010年代のヒンディー語映画の特徴を踏襲しており、「Padman」が現代映画であることを思い出させてくれる。その特徴とはすなわち、男性が優しく、女性に寄り添う姿勢を持っていることである。妻のために安価な生理用ナプキンを作ろうとするラクシュミーはその最たるものであるが、ソーナム・カプールが演じたパリーの父親であり、スニール・スィナーが演じたテージャス・ワーリヤーも見逃せない。彼は妻を失った後、男手一つで娘を育てた。その過程で彼は娘の髪を編めるようになったり、料理を習ったりした。これは、今後あるべき男性像を理想的に描いているとも言えるが、時代の反映となりつつあるのかもしれない。

 パリーの存在は、この映画の弱点になり得る。非常に危ういバランスの中に彼女はいた。もちろん、彼女の存在はフィクションであろう。しかしながら、劇中では、ラクシュミーの成功の半分以上は、彼をデリーに招き、生理用ナプキンを売り歩き、村の女性たちを組織したパリーの功績であり、彼女の存在を強調し過ぎると、モデルとなったムルガナンダム氏の業績が相対的に矮小化されてしまう恐れがある。さらに、ラクシュミーとパリーの間には恋心も芽生えており、ストーリーが三角関係や不倫の方向に混迷していく恐れまであった。2人は口づけをするだけで、それ以上、関係の進展はなかった。その進展を止めたのは、妻から入った1本の電話であった。と言っても、口づけだけでも、かなりの冒険をしている。ただ、パリーがいるおかげで、都市と農村の対比が行われ、インドの月経問題や物語自体が立体的になっていたという点は否めないだろう。

 ところで、インドでは2017年に全国一律で物品サービス税(日本の消費税のような間接税)が施行された。この物品サービス税には軽減税率制度が導入されており、生活に必要な商品やサービスから課税率が順に0%、5%、12%、18%、28%の5段階で設定されている。当初、生理用ナプキンは、「贅沢品」の一種とされ、12%の課税がされていた。ところが今年7月、生理用ナプキンは課税率0%、つまり免税対象品に改定された。昨年から活動家たちによる署名運動が展開されてきた結果の改定だが、インド本国で今年2月に公開された「Padman」の効果も少なからずあったのではなかろうか。

 主演のアクシャイは、映画を通してインドの観客に社会問題を訴えることの大切さを説く。日本でも、つい半世紀前までは、インドと同様に月経は禁忌であり、生理用ナプキンは日の目を浴びる代物ではなかった。現代においても、「生理があるから女性は外で仕事するのに向かない」「生理で情緒が不安定な女性は管理職に向かない」など、多くの誤った言説が時々顔を出す。「パッドマン」が日本で劇場一般公開されることにより、日本においても改めて月経問題がクローズアップされることになれば、インド映画が国境を超えて社会に一石を投じた一例となるだろう。

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