Pari: Not A Fairy Tale

元々、インド映画は「マサーラー映画」の愛称通り、様々な娯楽要素を1本の映画に盛り込むのが特徴だった。だが、21世紀に入り、ヒンディー語映画をはじめとした各地のインド映画は、ハリウッド映画を模したジャンル立ての映画作りを行うようになった。スポーツ映画、スーパーヒーロー映画、SF映画、アドベンチャー映画などが模索される中で、インド映画において確実にジャンルとして確立したのがホラー映画であった。ただ、インドのホラー映画はホラーに徹し切れていない点や、ビジュアルや音声で強引に観客を怖がらせる点で、立ち後れている。多くのホラー映画が公開されているが、国際的な土俵で戦えるようなホラー映画は数少ない。

 2018年3月2日公開のヒンディー語映画「Pari: Not A Fairy Tale」もホラー映画に分類されるが、アヌシュカー・シャルマーが主演でなかったら観ようとは思わなかったかもしれない。だが、結論から先に言えば、インドらしいエモーショナルなホラー映画で、インド製ホラー映画のひとつの完成形を見た気持ちになった。




 監督は新人のプロースィト・ロイ。「Jaane Tu… Ya Jaane Na」(2008年)や「Ek Thi Daayan」(2013年)などで助監督を務めて来た人物である。主演は前述の通りアヌシュカー・シャルマーで、他にパラムブラタ・チャタルジー、ラジャト・カプール、リターバリー・チャクラボルティーなどが出演している。

 舞台はコルカタ。内向的な性格のアルナブ(パラムブラタ・チャタルジー)は看護婦見習いのピヤーリー(リターバリー・チャクラバルティー)とお見合い結婚することになる。だが、お見合いの帰り、森の中の道でブルカをかぶった女性を自動車ではねてしまう。その女性は死亡した。アルナブが警察と共に森の奥深くにある女性の家を訪れてみると、そこには鎖でつながれた若い女性がいた。彼女の名前はルクサーナー(アヌシュカー・シャルマー)と言った。

 ルクサーナーは、カースィム・アリー教授(ラジャト・カプール)とその一団に追われおり、アルナブの家に逃げ込む。ルクサーナーは常に怯えており、死んだ母親の亡霊を見たり、目に見えない獣の息を聞いたりした。アヌラブは一時的に彼女を匿うつもりだったが、彼女の滞在は延び、いつしか彼女に惹かれるようになって行った。ある日、アヌラブは彼女と寝てしまう。また、ピヤーリーには、ルクサーナーと同棲していることがばれてしまい、縁談を破棄される。

 その頃、アリー教授がアヌラブの職場を訪れ、彼に警告する。アリー教授が言うには、ルクサーナーは人間ではなく、イフリートというジン(精霊)の娘だという。イフリートの娘はカーラーポリーと呼ばれ、子どもを生んでイフリートの血族を増やすことを使命としていた。そして、イフリートを信仰する教団はオラードチャクラと呼ばれていた。それを聞いたアヌラブはルクサーナーを鎖でつなぎ、アリー教授に渡す。だが、ルクサーナーは逃げ出し、アリー教授やピヤーリーを殺そうとする。このような物語である。

 ホラー映画は基本的に追う側と追われる側がはっきりするのだが、「Pari」は複数の軸があって、一筋縄では行かなかった。アヌシュカー・シャルマー演じるルクサーナーはイフリートの娘であり、ホラー映画の常識で言えば、ホラーを与える側である。だが、登場当初から彼女は怯えており、亡霊を見るのも彼女のみである。また、イフリートの娘の根絶のために活動するアリー教授から彼女は追われている。これらから、単純な一方通行のホラー映画ではないことが感じられる。

 一方で、アヌラブは純朴な青年であり、ホラー映画の常識で言えば、ホラーの受け手である。だが、驚くべきことに、彼は誰からも危害を加えられない。危害を加えられるシーンがあったとしたら、ルクサーナーを追うアリー教授の手下からである。彼が何か怖いものを見たりするシーンは事実上ない。逆に、アヌラブはルクサーナーに優しく接し、彼女から愛されるようになる。その関係で、アヌラブの許嫁ピヤーリーは、嫉妬したルクサーナーから命を狙われることになる。

 終盤でルクサーナーはアヌラブの子を宿す。イフリートの娘は妊娠すると1ヶ月ほどで子どもを生む。また、イフリートの娘の体内には毒が発生しており、1ヶ月に1回、その毒を抜かないと、自身が死んでしまう。ルクサーナーを捕まえたアリー教授は、その毒で彼女を殺そうと、鎖でつないで拷問を加える。だが、ルクサーナーは逃げ出し、アリー教授を殺して、今度はピヤーリーの命を狙う。だが、ピヤーリーの家でルクサーナーは腹を打ったこともあって産気づく。それを見たピヤーリーは彼女の出産を手伝う。

 子どもを生んだルクサーナーは子どもを置いて消え去る。だが、アヌラブは彼女を追う。ルクサーナーは毒を抜くことができず、アヌラブに抱きかかえられたまま、自身の毒で命を落とす。ルクサーナーはアヌラブを噛んで毒を抜くこともできたのだが、彼を愛するあまり、それができなかった。

 以上のように、ホラー映画でありながら、非常にエモーショナルな映画に仕上がっており、どちらかというと悲恋映画と呼んだ方が適切なくらいであった。また、ルクサーナーに殺されそうになったピヤーリーが、看護婦としての義務感、というよりも、困っている人を助けるという、人間として当たり前の行動原理から、産気づいた彼女の出産を手伝うというクライマックスのシーンからも、人間と悪魔の垣根を越えた愛情の交換を感じさせられた。全く新たな次元のホラー映画と評していいくらいである。

 パラムブラタ・チャタルジーやラジャト・カプールの演技も良かったが、やはりアヌシュカー・シャルマー中心の映画である。怖さと切なさを併せて醸し出さなければならない困難な役に果敢に挑戦する彼女の心意気は素晴らしいし、その挑戦をしっかりモノにしていた。

 コルカタを舞台にしているものの、言語はほぼ完全にヒンディー語である。ジンはイスラーム教世界で信じられている超自然的存在であり、アリー教授の唱える呪文もクルアーン(コーラン)の章句であった。インドのホラー映画というと、ヒンドゥー教かキリスト教の世界観を下敷きにすることが多いので、この点でも異例と言える。

 「Pari」は、インド製ホラー映画としては異次元の完成度を誇る作品で、どちらかというと悲恋物語である。主演アヌシュカー・シャルマーの演技がずば抜けており、映画を始終支配していた。「Not A Fairy Tale(妖精物語ではない)」と副題で主張されているが、終わり方は逆にメルヘンチックな妖精物語のようで、決して後味は悪くない。インドのホラー映画の発展を語る上で、非常に重要な作品と言える。

 

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