Phobia

ラーは、21世紀のヒンディー語映画がコンスタントに築き上げて来たジャンルである。マルチプレックスが普及し、ハリウッド映画の洗礼を受けた若い観客が映画館の主なパトロンとなったことで、インドの映画メーカーたちは、ハリウッド映画が得意とするジャンルの映画に挑戦するようになった。その中で、ホラーは意外にインド人観客と相性が良いことが発見され、毎年のように何本ものホラー映画が作られ続けたことで、インド映画の中で十分に「ジャンル」として確立した。

 ただ、初期のヒンディー語ホラー映画は、突然入る効果音の大きさで観客を驚かすような、幼稚なものが多く、世界最高峰と言える日本のホラー映画を見慣れた観客には物足りない部分があった。また、過去に何度も主張していることだが、インド人観客は一般にホラー映画をコメディーの一種として鑑賞する。インドの映画館でホラー映画を観るとすぐに分かるが、ホラー・シーンで笑い声が起きるのである。その点も、ホラー映画の正常な発展を阻害していた。

 しかし、2016年5月27日公開の「Phobia」を観て、遂にヒンディー語のホラー映画もここまで来たか、と唸らされた。ホラー映画には2つに大別される。ひとつは幽霊などの超常現象が存在する前提で作られた映画、もうひとつはその力を借りずに観客を恐怖させる映画。もし、敢えてこれらの中で優劣を付けるとしたら、後者の方に軍配を挙げたい。幽霊を登場させずに作られたホラー映画ほど、後からジワジワと怖さが来るからだ。

 以下、ネタバレがある。「Phobia」は前知識なしで観た方が絶対に面白い。よって、もし「Phobia」を観る予定があるのなら、読まない方が吉である。

Phobia

 

 ホラー映画には2つのタイプがあると書いたが、「Phobia」は後者のタイプの映画であり、どちらかと言えばサイコ・スリラーのサブジャンルに入るホラー映画であった。

 「Phobia」の監督はパヴァン・キルパーラーニー。「Ragini MMS」(2011年)でデビューした監督である。音楽はダニエル・ジョージ。キャストは、ラーディカー・アープテー、サティヤディープ・ミシュラー、アンクル・ヴィカル、ヤシャスヴィニー・ダーヤマー、ニヴェーディター・バッターチャーリヤ、アムリト・バーグチーなど。

 ちなみに、題名の「Phobia」とは「恐怖症」という意味の英語である。

あらすじ

 メヘク・デーオ(ラーディカー・アープテー)は若手のアーティストだった。だが、夜半、個展からタクシーで帰る途上でタクシー運転手にレイプされそうになり、心にトラウマを負う。彼女はアゴラフォビア(広場恐怖症)となり、4ヶ月も家から出られずにいた。友人のシャーン(サティヤディープ・ミシュラー)や従姉妹のアヌ(ニヴェーディター・バッターチャーリヤ)は精神科医を呼んで彼女の治療にあたるが、メヘクの病状はなかなか回復しなかった。

 そこでシャーンはメヘクを睡眠薬で眠らせ、違う場所へ連れて行く。そこは、友人が所有するフラットで、その前まではジヤー(アムリト・バーグチー)という若い女性が住んでいたが、家賃を払わずに蒸発してしまったため、家具などがそのままになっているような物件だった。メヘクはその部屋にしばらく住むことになる。

 その部屋でメヘクは幻覚や幻聴を体験する。変な声が聞こえて来たり、誰もいない部屋で誰かの姿を見たりした。次第にメヘクは、前の住人であるジヤーは実は死んでおり、彼女に何かを訴えようとしているのだと理解する。ジヤーと親しかった隣人のマヌ(アヌクル・ヴィカル)が怪しく、メヘクはマヌがジヤーを殺したものと思い込む。やはり隣人の女子大生ニッキー(ヤシャスヴィニー・ダーヤマー)を味方に付け、メヘクはマヌの家からジヤーを殺害した凶器を盗み出し、警察に付きだそうとする。しかし、それは失敗する。

 次に、メヘクはシャーン、ニッキーと共に、ジヤーの霊を召喚しようとする。ところがそこへ現れたのはジヤー本人だった。つまり、ジヤーは生きていた。ジヤーはマヌと喧嘩別れしたのだが、再び彼とよりを戻し、彼の家に入って行く。

 ニッキーが帰った後、メヘクはシャーンと2人っきりになる。そこで2人はキスをするが、そのときメヘクにタクシー運転手から暴行を受けたときの記憶が戻って来る。メヘクはシャーンに怯え、彼に攻撃をするようになる。シャーンは必死に彼女を落ち着かせようとするが、その中で誤ってメヘクの人差し指を切ってしまい、頭も打つ。そのとき、メヘクは全てを理解する。メヘクの幻聴や幻覚は、ジヤーや誰かの死を感じ取ったものではなく、自分自身の未来の姿だったのだ。

 そこへニッキーが戻って来る。シャーンは彼女を入れようとしないが、異変を感じ取ったニッキーは無理矢理中に入る。そこには血だらけになったメヘクがいた。ニッキーはシャーンを攻撃するが、シャーンはそれを避けて彼女を突き飛ばす。打ち所が悪く、ニッキーも頭から血を流して倒れてしまう。その隙にメヘクは逃げ、シャーンをひとつの部屋に閉じ込める。

 メヘクは遂に部屋から出ることに成功し、アパートの下まで行って倒れ込む。ちょうどディーワーリー祭のときで、人々がそこに集まっていた。血まみれで倒れるメヘクを見て人々が駆け寄って来る。手を伸ばすメヘクを、たくさんの手が掴もうとする。その様子は、メヘクが個展で展示した絵にそっくりだった。

解説

 ホラー映画をたくさん観ていると、だんだんパターンが分かって来るものだ。引っ越した家か何かで怪奇現象が起こり、幽霊がいることを感じ取る。そしてその幽霊が自分に何かを訴えようとしていると感じる。得てしてその幽霊は不幸な死に方をしており、何か未練を残してこの世を去った。だから、その未練を取り除く――例えば殺した相手に復讐するなど――ことでその霊は成仏し、怪奇現象から解放される。そんな筋のホラー映画はごまんとある。当初は「Phobia」も、そのような「ホラー映画の定番」をなぞるだけの映画かと思った。いわゆる「幽霊が存在する」パターンの映画である。だが、そうではなかった。

 もし「幽霊が存在しない」パターンのホラー映画だとしたら、主人公メヘクの抱える広場恐怖症から来る幻覚・幻聴ということで終わることが考えられた。題名もずばり「Phobia」、つまり「恐怖症」であるし、こちらの可能性も高かった。だが、それではあまり面白くない。今までの幻覚・幻聴は全て本当に幻でした、ということにしてきれいにまとまるような結末を作り上げられるだろうか。もしこちらのパターンで結末まで満足感の行くものが作れたら、ヒンディー語ホラー映画の成熟と言えるだろうと、上から目線で展開を見守っていた。

 確かに「Phobia」は「幽霊が存在しない」パターンの映画であった。だが、結末は、ホラー映画を観すぎているとかえって惑わされるようなものになっていた。結論を言ってしまえば、メヘクには元々、予知能力が備わっていたのである。確かに伏線は用意されており、決して取って付けたような結末ではなかった。外されたが、納得の終わり方だった。このような巧みな外し方ができ、しかも途中のホラー・シーンも十分に怖い作品は初めてかもしれない。そういう意味で、「Phobia」は、ヒンディー語映画においてトップクラスのホラー映画と評することができる。

 映画の冒頭、メヘクがタクシー運転手にレイプされそうになるシーンは、2014年12月5日にデリーで起こったウーバー(Uber)運転手レイプ事件にもとづいていると思われる。ウーバーとは、同名の米国企業が世界各国で配信するタクシー配車アプリのことである。このアプリを使えば簡単にタクシーを呼べて便利な上に、運賃も比較的安く、明朗会計であるため、インドで爆発的に普及した。デリーでレイプ事件と言えば、2012年12月16日に起こった集団強姦事件、いわゆるニルバヤー事件が世界的に知られているが、その事件で被害者となった女性は、夜間、誤って違法運行のバスに乗ったために餌食になってしまった。つまり、事件のひとつの原因は交通機関の安全性の問題だった。ウーバーなどの配車アプリの普及は、ニルバヤー事件を受けて、バスを避けてタクシーで移動する女性たちの大きな力となっていた。ところが、そのウーバーで配車されたタクシーの運転手が、移動中に寝入ってしまった乗客の女性を、人気のない場所まで連れて行ってレイプするという事件が起き、再びデリー及びインド全土に衝撃が走ったのだった。このとき一時的にウーバーなどの配車サービスは停止されたが、現在では復帰している。それはそうとして、「Phobia」でメヘクが暴行を受けた状況は、2014年12月にデリーで起きた事件の状況と酷似しており、明らかな影響が見て取れる。

 ホラー映画は俳優の演技力を引き出しやすい傾向にあるが、主演のラーディカー・アープテーも名演を見せていた。元々演技力に定評のあった女優だが、この「Phobia」では、ほぼ一人で映画を背負って立っており、ほぼ一人で映画を成功に導いていた。実際、ラーディカー以外、名の知れた俳優はいない。ちなみに、映画自体、興行的にはそれほど芳しくなかったようだ。だが、批評家からの評価は上々だったようで、ラーディカーのキャリア上、非常に重要な作品になることは間違いない。脚本が良かったこともあるのだが、ラーディカーの演技も多大な貢献をしていた。

 物語の整合性を考える上でひとつ気になったのは、メヘクがVR(ヴァーチャル・リアリティー)を使ってセラピーを受けているときに見た幻覚が予知になっていなかったことだ。彼女が新居で見る幻覚・幻聴は全て後につながって来るのだが、セラピー中の幻覚は、何ににもつながっていなかった。むしろ、「ジヤーは死んだ」という間違った結論を導き出していた。このシーンはない方がよりストーリーに一貫性が出ただろう。

 また、ちょっと下心があったものの、メヘクを終始必死に支えていたシャーンが最後に悪者にされてしまっていたのは可哀想だった。そういう同情が少しでも入り込むと、メヘクへの感情移入が阻害されるため、この部分ももうひと工夫できると良かったのではないかと感じた。

 「Phobia」は、ヒンディー語ホラー映画の成熟を思わせる作品。いい意味で観客の予想を裏切る脚本と主演ラーディカー・アープテーの名演が光る。普段、ホラー映画を観ない人も、ヒンディー語映画が好きならば、観ることをおすすめする。このレベルのホラー映画は、ヒンディー語映画ではなかなかない。

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