Pied Piper

年で第3回目を迎えるインディアン・フィルム・フェスティバル・ジャパン(IFFJ)。第1回目から主に字幕で協力をしており、今年も2本の字幕翻訳と1本の字幕監修を担当した。その内の1作は「Pied Piper」という映画で、おそらくまだインドでは公開されていない。監督はヴィヴェーク・ブダーコーティー。元々テレビドラマの脚本家で、「Meenaxi: A Tale of Three Cities」(2005年)など数本の映画のアシスタントもしている。本作が映画監督デビュー作となる。主演はラージパール・ヤーダヴ。「Pied Piper」とは普通、ハーメルンの笛吹きのことを言うのだが、それだと内容が分かりにくいので、ストーリーに即して邦題を「ロバ男」とした。

Pied Piper

 

 本当はIFFJの集客のためにこの映画の宣伝をしなければならないのだが、批評家の端くれとして、客観的視点を失ってはいけないと思っているので、字幕翻訳を担当したこの作品にも厳しい視線で物を語ろうと思う。正直言って、低予算映画で派手さはないし、映画の完成度も完璧ではない。政治風刺劇なので、インドの政治状況が分かっていないと、何を風刺しているのかチンプンカンプンであろう。だが、インドの政治状況さえ分かっていれば、知的な味わいがある作品だとも言える。インド映画は国内市場が大きいので基本的にインド人向けに作られている。最初から国際市場を視野に入れて作っているハリウッドとは、そこが根本的に異なるのだが、インド映画が決して失ってはいけない要素のひとつである。そういう意味では「Pied Piper」は玄人向けの映画だと言える。

 この映画を理解する上でひとつ押さえておくといいのが、ヒンディー語で「ロバ」を意味する「ガダー(गधा)」という言葉が、インドの社会では、「馬鹿」「間抜け」などの悪口として一般的に使われているということである。ラージパール・ヤーダヴが演じる主人公チュンニーラールは「ロバ」を自称するが、それはとてもおかしいことなのだ。

 まだインドで公開されていない映画であることもあり、あらすじは最後まで書かない。是非、あらすじを読んで興味を持った方は、IFFJで観ていただきたい。

あらすじ(途中まで)

 チャヴィ・バールガヴァ(メヘル・ヴィージ)は、農村から政界に旋風を巻き起こしながらも何者かに暗殺されたチュンニーラール(ラージパール・ヤーダヴ)の伝記を書こうと、彼の生まれ故郷バーラーガート村や、彼が晩年住んだチャンパーナガルを訪れた。チャヴィは、生前のチュンニーラールと関わりがあった人々にインタビューして回る。その中で、チュンニーラールに関する様々なことが分かって来る。

 バーラーガート村に生まれた洗濯屋のチュンニーラールは、ある日ロバを拾い、家に連れ帰る。妻のアングーリー(ニルマラー・チャンドラ)はロバを追い出そうとするが、ロバはチュンニーラールを離れようとしなかった。チュンニーラールはロバを連れて道を歩いているときにロバもろとも交通事故に遭い、一旦脳死と診断されるが、後に生き返る。噂では、死んだロバの脳を移植したとのことだった。

 以後、チュンニーラールの性格はガラリと変わってしまった。チュンニーラールは「ロバ」を自称し始めた。アングーリーはとっくにチュンニーラールを見捨てて家を出てしまっていた。チュンニーラールは来る日も来る日も村をさまよい歩いた。

 州議会選挙が近付いていた。バーラーガート村にも地元政治家のIMサルカール(ヴィクラム・コーチャル)がやって来て演説会を開いていた。そこで自称「ロバ」のチュンニーラールはサルカールと言い合いになり、メディアから注目を浴びる。メディアは、「ロバ」という言葉に勝手に深い意味を読み取り、「政治家は有権者をロバだと考えている」などと報じた。サルカールは今度は警察をけしかけてチュンニーラールを懲らしめようとする。チュンニーラールに泥棒の濡れ衣を着せるのだが、公衆の面前で潔白を証明するために衣服を全て脱ぎ捨てたチュンニーラールを村人たちは聖者だと見なし、ますます彼の人気は高まることになる。

 チュンニーラールの絶大な人気を見て、彼に接触を試みた若者がいた。ラージクマール(アビシェーク・ラーワト)である。ラージクマールはチュンニーラールの支持を勝ち取り、新政党「革新党」を作って選挙に立候補する。革新党のシンボルマークは笑うロバであった。チュンニーラールの人気もあって革新党は有権者の圧倒的な支持を得る。

 危機感を感じたサルカールは、今度はチュンニーラールを猥褻問題に陥れようとする。彼は、新人女優マイナー(サンプールナー・ラーヒリー)を主演にしたピンク映画の上映禁止運動を扇動する。マイナーがチュンニーラールの政党に献金したことが分かったからである。マイナーはサルカールに上映を禁止しないように懇願するが彼は承知しない。そこへチュンニーラールが登場する。チュンニーラールは単身映画館に入り、彼女の映画を鑑賞する。確かに映画では肌の露出があった。しかしチュンニーラールは、自分が衣服を脱いで聖者扱いされたのに、マイナーが衣服を脱いだら売春婦扱いされる矛盾を突き、群衆を黙らせる。マイナーはチュンニーラールに心酔し、彼の従者として以後生活を共にするようになる。

 チュンニーラールは、革新党の政治理念を汚職撲滅と定め、汚職の神を崇める寺院を建立する。寺院内に何が祀られているかは、入った者しか分からなかった。サルカールはその寺院に乗り込むが、そこには鏡があった。このギミックは大当たりし、革新党は選挙で勝利を収め、ラージクマールは州首相に就任する。ところが、権力を手にした途端、ラージクマールは豹変し、暴走するようになる。

 一体、チュンニーラールを殺したのは誰であろうか?謎は最後に明かされる。

解説

 ここ数年のインド政治を観察している人ならば、「汚職撲滅」「州首相」などのキーワードから、この映画が何を風刺しているのか、すぐに理解するであろう。そう、アンナー・ハザーレーの汚職撲滅運動からAAP(庶民党)党首アルヴィンド・ケージュリーワールのデリー州首相就任に至るまでの一連の出来事である。ところが驚くべきことに、この映画はケージュリーワールが州首相に就任する前に完成しており、実はAAPの躍進を映画化したものではない。監督のインタビューによると、直接のインスピレーション源は、シヴ・セーナーの創始者バール・タークレーの死(2012年11月17日)であった。ヒンドゥー教極右派でマラーター至上主義者のバール・タークレーは、ムンバイーで絶大な人気と影響力を持っていた人物である。彼の死後ムンバイーはバンド(ゼネスト)状態となり、彼の葬列は街の経済活動を文字通り止めてしまった。それに対し、当時21歳の女性がFacebookで「タークレーのような人間は毎日生まれ死んでいる。そのためにバンドをすべきではない」とコメントをしたところ、警察に逮捕された事件があった。ムンバイーのこの異常な熱狂と言論の自由を許さない空気に違和感を覚えた監督が、その感情を昇華させて映画にしたのが、この「Pied Piper」とのことである。

 しかしながら、監督の意図がどうあれ、AAPデリー政権が崩壊した今この「Pied Piper」を観ると、アルヴィンド・ケージュリーワールの風刺にしか見えない。それがこの映画のすごいところで、未来をかなり正確に予言したと言える。AAPが掲げる汚職撲滅という目標についても、「Pied Piper」は、汚職の告発や糾弾によって汚職は撲滅できるという楽観的かつ独善的なメッセージは決して発してない。劇中に登場するユニークな「汚職神寺院」は、インド人一人一人が心の中から汚職を撲滅できたときに初めて社会から撲滅されるという至極もっともな主張をしていた。

 AAPだけでなく、インドの二大政党であるINC(国民会議派)とBJP(インド人民党)についても言及を忘れていなかった。ラージクマールが政党の理念を考えているとき、「宗教」と「貧困」を提案する。言うまでもなく、「宗教」はBJP批判に近く、「貧困」はかつて「ガリービー・ハターオー(貧困撲滅)」をスローガンにしたINCを批判している。「宗教」については、インドの三色旗を喩えにして、「緑と白がなければサフラン色は意味をなさない」と却下し、宗教融和こそがインドの礎だと説いた。「貧困」については、「貧者がいなければ富裕者もいなくなる。そうしたら政党に献金する者がいなくなる」という真理を突き、やはり却下していた。その他、「カースト」も挙げられていたが、これは明らかに「マンダル」以降に勢力を拡大したカースト・ベースの政党批判である。公共の建築物や道路などに自分や身内の名前を付けたり、自分の銅像を立てたりというのも、思い当たる節のある政党がいくつかある。2時間弱の短いストーリーの中で、現代のインド政治を横断して切っていることになる。また、患者の家族から金を搾り取ろうとする病院の汚職、信者から喜捨を巻き上げる僧侶の汚職など、政治家だけでなく、社会の隅々にまで蔓延する汚職の実態にも少しだけ触れられていた。

 ただ、映画としては工夫次第でもう少し面白く、またまとまりのいいものになったのではないかとも感じた。特にチュンニーラールのキャラクターにぶれがあるように感じた。一体彼が実のところ賢者なのか馬鹿なのか最後まで分からないのである。僕だったら、チュンニーラールを完全に馬鹿とする。彼が勘違いして口走ることが偶然にも正鵠を射ていて、果ては政界を動かすというコメディー色をさらに強めた演出にするところだ。どちらかというとブダーコーティー監督はチュンニーラールを「賢者」にしたと言える。「ロバ」を自称するのも、彼の受け答えも、決して偶然ではなく、緻密な計算と深謀遠慮から来るものだという印象を受ける。

 ただ、交通事故後にチュンニーラールが本当にロバの脳を移植されたのかどうかについては、今のままの曖昧さが一番いいだろう。その辺りはドキュメンタリー・タッチにした効果が出ている。人々の発言をつなぎ合わせて真実に迫って行くのだが、どこまでが真実なのかは完全に観客の判断に委ねられている。

 普段は都市にいるメディアが農村に集まって来て取材をすることで、都会と農村の格差が浮き彫りになるという構図は、「Peepli [Live]」(2010年)の影響もあるだろう。映画の出来は「Peepli [Live]」の方がいいが、風刺のセンスでは負けていない。

 総じて、3,000万ルピー以下の低予算とスター不在のキャストで作られた作品ではあるが、インドの政治に関心のある人にとってはニヤリとする場面の多い映画だ。しかもAAPがデリー政権を樹立させる前に完成した映画ながら、「Pied Piper」は現在のインド政治をかなり正確に予見しているのが興味深い。政治風刺劇として一見の価値ある映画だ。

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