Prem Ratan Dhan Payo

ンドでは年に何回かお祭りシーズンがあり、それに合わせて大予算型映画が投じられることが多い。ヒンドゥー教の祭りとしては、10月頃のダシャハラー、11月頃のディーワーリー、3月頃のホーリーが最も重要であり、これらの祭日を含む週は映画プロデューサーの間で封切り日として争奪戦となる。イスラーム教の祭りはイードゥル・フィトル(断食月明け)やイードゥル・ズハー(犠牲祭)などが重要だが、こちらは太陰暦に従うために年々ずれて行く。それら宗教的な祭日に加えて、1月26日の共和国記念日と8月15日の独立記念日が国民の休日となっており、やはりこれらに合わせて話題作が公開される傾向にある。

 近年はすっかりイードはサルマーン・カーン映画の公開日として定着しており、2015年もイードゥル・フィトル週公開の「Bajrangi Bhaijaan」(2015年)を大ヒットさせた。サルマーンのイード映画と言えばアクション映画が主だったが、ドラマ映画である「Bajrangi Bhaijaan」でも30億ルピー以上のコレクション(国内興行収入)をあげた。その余勢を駆って、同年のディーワーリー週に公開されたのがロマンス映画「Prem Ratan Dhan Payo」である。「Bajrangi Bhaijaan」ほどの成功は収められなかったが、それでも20億ルピー以上のヒットとなった。サルマーンの人気と高いヒット率は依然健在である。

Prem Ratan Dhan Payo

 

 ただ、「Prem Ratan Dhan Payo」を観て驚いたのは、意外に古風な映画だったことだ。これは、監督が90年代に活躍したスーラジ・バルジャーティヤーだったからであろう。バルジャーティヤー監督は過去にサルマーン主演の映画を何本も撮っており、彼の初期のスターダムを作り上げた恩人とも言える。バルジャーティヤー監督、サルマーン主演の映画と言えば、「Maine Pyar Kiya」(1989年)、「Hum Aapke Hain Koun…!」(1994年)、「Hum Saath-Saath Hain」(1999年)と、正に90年代を代表するヒット作ばかりだ。ただ、「Hum Saath-Saath Hain」以降、二人はタッグを組んでおらず、この「Prem Ratan Dhan Payo」で16年振りに一緒に仕事をしたことになる。よって、観客はそもそもこの新作からなまじっか新しさを求めておらず、90年代のヒンディー語映画を懐かしむために映画館に足を運んだのだと言える。その証拠に、今回サルマーン・カーンが演じる役の名前はプレーム。この役名は、「Maine Pyar Kiya」、「Hum Aapke Hain Koun…!」、「Hum Saath-Saath Hain」でも共通しており、かつてはサルマーンの代名詞であった。

 「Prem Ratan Dhan Payo」の主演は言わずもがなのサルマーン・カーン。今回、一人二役を演じた。ヒロインはソーナム・カプール。他に、ニール・ニティン・ムケーシュ、ディーパク・ドーブリヤール、アヌパム・ケール、アルマーン・コーリー、スワラー・バースカル、アーシカー・バーティヤー、ディープラージ・ラーナー、サマイラー・ラーオ、サンジャイ・ミシュラー、マノージ・ジョーシー、スハースィニー・ムレーなどである。作曲はヒメーシュ・レーシャミヤー、作詞はイルシャード・カーミル。

 題名の意味は、「愛と宝石と富を得た」。何か謎かけのようだが、特に深い意味はないようである。

あらすじ

 アヨーディヤーに住む劇団員のプレーム・ディルワーレー(サルマーン・カーン)は、寄付金を集めてはNGOウプハール基金に寄付していた。その理由は、NGOの運営者であるマイティリー・デーヴィー姫(ソーナム・カプール)にあった。プレームはボランティア活動中にマイティリーの姿を見て一目惚れし、以来彼女のNGOにせっせと寄付するようになったのである。プレームは、もうすぐ近くのピータムプラーにマイティリーが来ると聞き、親友のカナイヤー(ディーパク・ドーブリヤール)と共にピータムプラーを目指した。

 マイティリーは、ピータムプラー王家のヴィジャイ・スィン王子(サルマーン・カーン)と婚約しており、彼の戴冠式に出席しにピータムプラーを訪問予定だった。ところが、王家内部では不穏な動きがあった。弟のアジャイ・スィン王子(ニール・ニティン・ムケーシュ)は兄から自立できないことに不満を抱いており、彼を殺して自分が王になろうとしていた。また、王家が経営するピータムプラー・エンパイア社のCEOチラーグ・スィン(アルマーン・コーリー)は、アジャイの謀反に荷担するように見せ掛けて王族の共倒れを画策していた。ヴィジャイの忠実な部下は、大臣ディーワーン(アヌパム・ケール)と警備長サンジャイ(ディープラージ・ラーナー)ぐらいだった。

 また、ヴィジャイは2人の妹、チャンドリカー姫(スワラー・バースカル)とラーディカー姫(アーシカー・バーティヤー)と不仲だった。ヴィジャイとアジャイは正妻の子だったが、チャンドリカーとラーディカーは妾の子で、幼年時代の事件をきっかけにチャンドリカーとラーディカーはヴィジャイとアジャイを恨んでいた。また、マイティリーとチャンドリカーは幼馴染みだったが、マイティリーがヴィジャイと婚約したことで、この二人の仲も険悪なものとなっていた。

 戴冠式の4日前、ヴィジャイは郊外を馬車で走行中、事故に遭って崖から落下する。ところがヴィジャイは一命を取り留めた。ディーワーンとサンジャイはヴィジャイを古城に密かに連れて行き、治療をさせる。だが、ヴィジャイの意識は戻らなかった。そこへ現れたのがプレームであった。なんとプレームはヴィジャイと瓜二つだったのである。ディーワーンとサンジャイは、プレームをヴィジャイの代わりにして戴冠式を行うことを決める。

 まずプレームは、マイティリーを出迎える。しかし、ヴィジャイとマイティリーは喧嘩をしており、マイティリーは機嫌が悪かった。天性の人垂らしであるプレームは、あの手この手でマイティリーの機嫌を取る。いつしかマイティリーも機嫌を直す。また、チャンドリカーとラーディカーにも接近し、二人を懐柔しようとする。チャンドリカーは仲直りの条件として、宮殿を明け渡すことを要求する。プレームは簡単にそれに同意する。さらに、戴冠式の日。プレームは小難しいスピーチを割愛して、突如、参列者全員のサッカー大会プレーボールを宣言する。プレームのすることはハチャメチャだったが、それらが全てうまくつながり、王家内の人間関係が徐々に改善されて行く。

 一方、アジャイとチラーグは、殺したはずのヴィジャイがまだ生きていることに驚き、密かに調査をする。すぐにそれがプレーム・ディルワーレーという別人であることを突き止める。二人はヴィジャイが隠されている場所を特定し、誘拐する。その後、チラーグはアジャイをも罠にはめるため、プレームにヴィジャイの居場所を教える。プレームはヴィジャイを救出しに行く。そこではヴィジャイは、プレームがマイティリーを横取りしようとしていると吹き込まれていた。それでもプレームはヴィジャイを助け出す。ヴィジャイはアジャイと決闘をし、プレームはチラーグの放った刺客と戦う。その中でヴィジャイとアジャイは絆を取り戻し、チラーグも自滅する。こうして王家の危機は去った。

 プレームはピータムプラーを去って行った。マイティリーは、今まで会っていた人物がヴィジャイでなくプレームだと知り、ショックを受ける。彼女の心はヴィジャイよりもプレームに傾いていた。ヴィジャイもそれを認める。マイティリーはアヨーディヤーまでプレームを追い掛けて来る。こうして二人は結婚することになった。

解説

 一般庶民の主人公、それと瓜二つの王子、そして美しい姫。王子の命を狙う身内、瀕死の王子、そして王子を助けようとする忠臣たち。

 これらの要素だけ決めれば自然と物語ができてしまいそうだ。「Prem Ratan Dhan Payo」の大筋は、かつてどこかで見たこと聞いたことがあるような展開の連続である。台詞回しも一昔前のヒンディー語映画から脱却できておらず、聴き取りやすいが写実性は少ない。定型通りの歌と踊り、予想通りの結末。このように書くとけなしているように思われるが、そうではない。当初こそ、こんな古めかしい映画をよく今頃作ったな、と感心しつつ、退屈な思いで映画の進展を眺めていたが、徐々に徐々に物語に引き込まれて行った。現代のヒンディー語映画界では絶滅危惧種の定型インド娯楽映画だが、たまに観ると、これがまた良い。それには当然、主演サルマーン・カーンのカリスマ性も寄与していたことだろう。

 まずはダメだった点から書く。それはソーナム・カプールである。彼女の演技にはムラがあり、ものすごくいい時もあれば、全然ダメな時もある。今回は全然ダメだった。まるで演技になっていない。役に入り切れていない。監督は大して撮り直しもせずに彼女の演技にゴーサインを出し続けてしまったのではなかろうか。特に台詞のしゃべり方がフワフワしていて聞いていて不快になる。彼女の演技力は昔から疑問視しているのだが、この作品は彼女のキャリアの中でもワーストだと感じる。

 ダメだったのはそこだけだ。ソーナムの戦犯的やる気のなさを除けば、「Prem Ratan Dhan Payo」は普通に楽しめる映画だった。人間関係が絡まり合った王家の中にひょんなことから飛び込んだ人情男のプレームが、その絡みを見事に解いて行くのを見るのは痛快だった。特に腹違いの妹との確執が解け、抱き合うシーンは感動的である。サルマーンはいつものサルマーンだが、そこはいつも通りなので特に問題ない。脇を固める俳優陣はそつのない演技だった。それに加えてセットにも金が掛かっているし、踊りも昔ながらの人海戦術の賜物である群舞である。ヒメーシュ・レーシャミヤーの音楽は、もっと現代風に振っても良かったと思うが、バルジャーティヤー監督に合わせ、敢えて90年代風の音作りをしたのだろう。

 「Prem Ratan Dhan Payo」を観ると、インド映画の基本にあるのは、やはり家族なのだと実感させられる。インド映画が一貫して主張しているのは、家族こそが人生の根幹にあり、幸せの源泉なのだということだ。特に90年代のヒンディー語映画は、テレビやビデオに取られた観客を再び映画館に呼び戻すために、家族の価値に重点を置いた映画作りに腐心した。その流れを作り出した張本人の一人であるスーラジ・バルジャーティヤー監督が、現代においても全く同じ価値観を提示しているのは興味深い。家族だからいざこざもある。だが、いざこざがあるから家族がバラバラになる訳ではない。いざとなったら助け合う。なぜならそれが家族だから。もちろん、劇中ではプレームという外部の人間が触媒となって家族の仲直りが実現していく訳だが、最後の最後、ヴィジャイとアジャイの確執を解消したのは、ヴィジャイとアジャイ自身の愛情であった。

 「Prem Ratan Dhan Payo」は、90年代のヒンディー語映画を形成した一人、スーラジ・バルジャーティヤー監督が、16年振りにサルマーン・カーンと組んで作った90年代風ロマンス映画。当時のヒンディー語映画を楽しんだ層なら、懐かしい気持ちになるだろう。ただ、古めかしさは弱点になっておらず、現代の観客にも訴えるものがある。それは、インド映画が一貫して主張する家族の大切さを、ぶれずに主張し続けているからであろう。

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