Queen

ンディー語映画界は伝統的にヒーロー中心主義だ。映画制作の段階から興行成績に至るまで、全てのキャストの中で主演男優(ヒーロー)が絶対無二の存在と言っていいほど重視されており、女優は主演(ヒロイン)と言えども二次的な扱いを受ける。女優が主演の映画がないことはないのだが、興行的に大きな成功を収めることは稀である。近年、その流れを変える先鋭となっている女優がヴィディヤー・バーランだ。「The Dirty Picture」(2011年)や「Kahaani」(2012年)など、ヒロイン中心の映画を背負って立ち、ヒットに導いている。「100カロール・クラブ」という専門用語が登場して久しいが、今までクラブ入りできたのは男優のみである。このクラブに最も近い女優がヴィディヤーだ。

 だが、ヴィディヤーのみが突出し、従来のヒロイン女優の枠を破る活躍をしている状況は寂しいものがあった。どうしても女優一人に映画の成功を託す勇気のあるプロデューサーがおらず、女性中心の映画はヴィディヤーにまず話が回ることが多かった。しかし、遂にヴィディヤーに続き、彼女の寡占を打ち破る動きを見せたのがカンガナー・ラーナーウトであった。元々「Ganster」(2006年)、「Fashion」(2008年)、「Tanu Weds Manu」(2011年)などで演技に定評がある女優だったが、2014年3月7日公開の「Queen」では堂々の主演を務め、高い評価を受けた。「Queen」では、カンガナー以外に名の売れた俳優が出ておらず、映画の成功の多くは彼女の演技と集客力に依存している状態だった。また、「Queen」のプロットは、結婚を破談された女性が一人でハネムーンに出掛けるという特異なもので、ヒットの方程式からも外れていた。その中でヒットを勝ち取り、カンガナーは一躍時の人となったのだった。

Queen

 

 実は「Queen」は今年僕がたまたまインドに滞在していたときに公開された映画で、観ようと思えば現地の映画館で観ることができた。だが、当時はまたレビューが出ておらず、無理して観るべき映画と判断せずに見逃してしまった。後からこの映画の高い評価を知るにつけ、あのとき無理してでも観ておけば良かったと後悔したものだった。最近やっとDVDを手に入れたので、念願の「Queen」を観ることができた。例によってDVDで観た映画については批評はしないが、解説はしたいと思う。

 「Queen」の監督はヴィカース・ベヘル。アヌラーグ・カシヤプ監督の一派で、良質の子供向け映画「Chillar Party」(2011年)で監督デビューしている。デリー生まれのデリー育ちで、僕が勝手に名付けている「デリー派」の映画監督の一角と言える。「Queen」は彼の監督第二作である。音楽はアミト・トリヴェーディー。キャストはカンガナー・ラーナーウト、ラージクマール・ラーオ、リザ・ハイドンなど。

あらすじ

 デリーのラージャウリー・ガーデンに住むパンジャービー系の純朴な女の子ラーニー・メヘラー(カンガナー・ラーナーウト)は、大学時代からの恋人ヴィジャイ・ディングラー(ラージクマール・ラーオ)との結婚を控えていた。ヴィジャイはロンドンに住み仕事をしていた。メヘンディーの儀式も済み、後は挙式のみという時になってヴィジャイに呼び出されたラーニーは、結婚のキャンセルを言い渡された。ショックを受けたラーニーは1日部屋に閉じこもっていたが、式の翌日ハネムーンとして行く予定だったパリとアムステルダムのことを思い出し、一人でハネムーンに行くことを決意する。

 パリに着いたラーニーは、宿泊したホテルで従業員のヴィジャイラクシュミー(リザ・ハイドン)と出会う。ヴィジャイラクシュミーにはインド人の血が入っており、ヒンディー語も少し理解することができた。シングルマザーの彼女は右も左も分からないラーニーの面倒を見、ショッピングやディスコに連れて行く。ラーニーは飲酒もするようになる。徐々にラーニーは女性が自由に生きる生き方を学ぶ。

 次にラーニーはアムステルダムへ向かう。ヴィジャイラクシュミーの紹介でゲストハウスに宿泊するが、3人の男性――ロシア人のオレクサンダー(ミシュ・ボイコ)、日本人のタカ(ジェフリー・ホー)、フランス人のティミー(ジョゼフ・ギトブ)――と相部屋だった。最初は拒絶反応を示すラーニーだったが、次第に彼らと友情を深めて行く。タカにとってアムステルダム旅行は、2011年の東日本大震災で両親を亡くしており、傷心を癒やす旅行中だった。それを知ったラーニーは特にタカに同情を寄せるようになる。

 また、ラーニーはイタリア料理店の店主マルセロ(カナディア・ロペス・マルコ)と料理に関して喧嘩をし、それがきっかけでアムステルダムでゴールガッパーの出店を出すことになる。ラーニーは密かにマルセロを格好いいと思って居た。この店は大ヒットとなり、マルセロはラーニーを褒める。ラーニーは思い切ってマルセロに口づけをする。

 その頃、ヴィジャイはラーニーと結婚しなかったことを後悔するようになり、彼女を追い掛けていた。ラーニーが電話に出なかったため、ヴィジャイはアムステルダムを彷徨い、ようやく彼女に出会うことができた。ラーニーは、ヴィジャイとゆっくり話をせず、デリーで会うように言って立ち去る。その夜、ラーニーはゲストハウスで仲良くなった3人とロックショーを楽しんだ。

 デリーに帰って来たラーニーは空港で家族の出迎えを受ける。その足でラーニーはヴィジャイの家を訪れ、彼に婚約指輪を返す。そして彼に「ありがとう」と言う。彼が結婚を断ってくれたおかげでラーニーは新しい自分に会えたのだから。呆然とするヴィジャイを後に、ラーニーは意気揚々と立ち去る。

解説

 2012年のデリー集団強姦事件は、おそらく現代インド史においてひとつの分水嶺として記憶されることになるだろう。この事件をきっかけに女性の安全問題、司法の不備、行政の強圧的な態度などが一気に表面化し、特にインドにおいて女性が置かれた劣悪な状況に対する意識が顕著に高まった。今まで沈黙が美徳だった女性たちが声を上げて立ち上がる大きなきっかけとなったのがこの事件であった。

 「Queen」は、そんな社会の気運が映画という形で具現化したひとつの例だと言える。「English Vinglish」(2012年; 邦題は「マダム・イン・ニューヨーク」)でも主婦の尊厳の問題が扱われていたが、それよりもさらにラディカルに、インド人女性の自立を促す強いメッセージがこのカンガナー・ラーナーウト主演の映画からは感じられた。

 主人公ラーニーは、両親の言いつけを守る「良い子」だった。彼女のファッションも、インドで言うところの典型的な「ベヘンジー」であり、何のセクシーさもなかった。中流階級が住むラージャウリー・ガーデンの平均的な女性である。両親は心配性で、彼女が行くところには必ず弟のチントゥーが付いて来た。大学も、女の子らしく家政科に通っており、料理など花嫁修業をしていた。彼女は、「女の子はほどほどに勉強して結婚して主婦になる」という親の価値観を疑わず生きていた。だが、結婚直前に許嫁のヴィジャイから「お前は俺のタイプじゃない」と言われて破談にされたことで、彼女は自信を喪失する。

 普通の女の子だったら、そこで立ち直れないところだ。しかし、ラーニーは、ハネムーンでかねてから行きたかったパリとアムステルダムへ行くことになっていたことを思い出し、一念発起してハネムーンを一人で決行することを決める。当然、両親は心配するのだが、破談のショックから早く立ち直らせたかったのであろう、気分転換のため両親も特別に彼女の一人旅を認める。もちろん、ラーニーは今まで一人で旅行したことなどない。初めての一人旅がヨーロッパであった。

 劇中にヨーロッパ旅行が挿入されるヒンディー語映画が星の数ほどあるが、これほどリアルに、一般的なインド人が初めて海外を旅行した際に直面する問題を正直に映像化した映画はなかったのではないかと思う。特に男性旅行者とドミトリーを共有しなければならなくなった場面などは秀逸だ。しかし、彼女はひとつひとつのカルチャーショックとトラブルを乗り越え、成長して行く。そして彼女の手からメヘンディーの色が消える頃、彼女は自立した女性としての第一歩を踏み出すことになる。

 「English Vinglish」も「Queen」も、家庭的なインド人女性が海外に行き自己に目覚めるという点では共通しているが、前者では既婚女性ということもあり、結婚という制度が維持される方向で話がまとまっており、保守的であった。一方、「Queen」では結婚は必ずしも肯定されていなかった。結婚後、家庭に入って主婦に専念するという女性の人生は完全に否定されていた。シングルマザーのヴィジャイラクシュミーが、ひとつの生き方としてやや肯定的に描写されていたし、売春婦(アムステルダムでは売春は合法である)すらもひとつの選択として提示されていた。ラーニーは、結婚を人生のゴールであり尊厳の源と考えていた節があるが、ヨーロッパ旅行を経てその考えは大きく変わり、最後には破談したヴィジャイに感謝するほど心の余裕を持つに至った。その後の彼女の生き様については観客が想像するしかないが、きっと就職したり事業を立ち上げたりして、独立独歩の女性となったであろうことが十分示唆されている。

 婚約破棄をエンディングに持って来た点では、「Zindagi Na Milegi Dobara」(2011年)と比較することも可能であろう。ただし、こちらはエンディングで男性側が女性側に婚約破棄を突き付けている。また、最近では「Shuddh Desi Romance」(2013年)で、結婚を伴わない男女の同棲関係が肯定的に提示されていた。かつては結婚をエンディングに持って来ることはロマンス映画の定番であったが、最近は結婚の意義を疑う映画も登場して来ており、価値観の多様化を感じる。

 様々な国籍の人との出会いが人生を変えるという構造も「English Vinglish」と似ている。「English Vinglish」では、米国人の他、メキシコ人、フランス人、パーキスターン人、インド人、韓国人、アフリカ人が登場したが、「Queen」では、ロシア人、日本人、フランス人、イタリア人などが登場し、ラーニーの良き友人となる。特に日本人のタカが重要な役割を果たしており、日本人としては興味深い。残念ながらタカを演じていたのは日本人ではなく、中国系マレーシア人である。名前はジェフリー・ホーと言う。日本語を少し話していたので、どこかで日本語を学んだのだと思われる。背が低い俳優だが、これは、インド人が一般に日本人に対して抱くイメージに合っていたからであろうか。言ってみれば道化役で、複雑な気分なのだが、ジェフリーの表情や動作がコミカルで、惹き付けるものがあった。さらに人物設定の中で、タカの両親は2011年の東日本大震災で亡くなたことになっており、より日本人には興味深いキャラとなっている。

 これら多国籍の登場人物が、それぞれの言語を話す。「Queen」において、言語はひとつのテーマだ。インド人はヒンディー語とパンジャービー語、フランス人はフランス語、日本人は日本語、イタリア人はイタリア語など。パリに着いたばかりのラーニーは、フランス語を正確に発音できず、タクシーの運転手とも意思疎通がままならない。だが、旅をする中で彼女は言語のバリアを越えて、他国の人々と自然にコミュニケーションできるようになる。時にラーニーはヒンディー語でインド人以外の人にも話し掛けるのだが、不思議と会話が成立する。そんな瞬間が何度も用意されていた。確かに英語が共通語として重要な役割を果たしていたが、コミュニケーションは英語だけではないことが暗示されていたと言っていい。

 それとは相反することになるかもしれないが、一言で人に勇気を与える言葉もあるということも「Queen」は提示していた。最近のヒンディー語映画において、女性同士の関係に注目しているのだが、「Queen」においては祖母とラーニーの関係が面白かった。「Vicky Donor」(2012年)でも印象的な祖母が出て来たが、それに匹敵するような祖母が「Queen」でも登場し、ラーニーに的確なアドバイスを与える。婚約破棄されて落ち込んでいたラーニーに、祖母は「私にも昔は恋人がいたが、分離独立のときに離れ離れになってしまった。でも、難民キャンプでお前のお祖父さんと会ったんだよ。恋人と別れて良かったと思った」と、おそらく今まで家族の他の人には語っていなかったであろう昔話をし、ラーニーを勇気付ける。パンジャービー語訛りの優しい語りかけで、それがラーニーにヨーロッパ一人旅を決意させたと言っても過言ではないだろう。もちろん、ラーニーとヴィジャイラクシュミーの友情も忘れてはならない。

 もはや劇中にFacebookが使われるのは珍しいことではない。すっかりヒンディー語映画に定着したコミュニケーション・ツールだ。今回は旅行中のラーニーがデリーにいる家族と連絡をする際に大活躍する。ビデオチャットが一種のギミックとなっており、ヴィジャイラクシュミーのおっぱいにラーニーの父親と弟が釘付けになったり、男性と部屋をシェアしていることを家族に知られまいとラーニーが苦労したりと、便利な世の中になった分、新たなハプニングをもたらしていた。インド人は本当に貪欲に新たなコミュニケーション・ツールを映画に活用する。

 「Queen」は、興行的に成功したこともあるが、ヒンディー語映画における女性像や結婚観の変化を捉える上で非常に重要な映画である。また、この映画をもって、ヒロイン中心映画を担える女優としてヴィディヤー・バーランに続きカンガナー・ラーナーウトが台頭したことも特筆すべきだ。2014年の必見映画の一本と言える。できればインドの映画館でこの映画を観たかったと今でも悔やまれる。

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