The White Tiger (USA)

インドにおいて、中産階級以上の家庭が使用人を雇用するのは普通のことである。カースト制度の影響で仕事も細分化しており、運転手、料理人、掃除人、子守など、雇うとなったら複数の人を雇うことが多い。主人と使用人の関係について描いた「Sir」(2018年/邦題:あなたの名前を呼べたなら)という映画があったが、ストーリーはどうも現実的ではなかった。だが、イラン人監督ラーミーン・ベヘラーニーによる米国映画「The White Tiger」は、かなりインドの主従関係を正確に描いた映画である。2021年1月13日に劇場公開され、同年1月22日にNetflixで配信されるという、変わったリリースのされ方をしている。原作は、インド人作家アラヴィンド・アディガの同名小説(2008年)である。




 イラン人監督による米国映画だが、キャストにはヒンディー語映画界でお馴染みの顔ぶれが揃っている。ただ、主演のアーダルシュ・ゴウラヴは抜擢と言える。彼は「My Name Is Khan」(2010年)で子役を演じたこともあったようだが、まだほとんど無名の、駆け出しの俳優である。他に、ラージクマール・ラーオ、プリヤンカー・チョープラー、マヘーシュ・マーンジュレーカルなどが出演している。言語は基本的に英語だが、部分的にヒンディー語も混じっていた。

 主人公は、ビハール州の貧しい村で生まれ育ったバルラーム・ハルワーイー(アーダルシュ・ゴウラヴ)である。バルラームは人一倍賢かったが、貧しく自由のない家庭で生まれ育ったために、なかなかチャンスを見つけられずにいた。だが、地主の次男アショーク(ラージクマール・ラーオ)の専属運転手となったことで運が開けて来る。バルラームは米国帰りで、彼の妻ピンキー(プリヤンカー・チョープラー)は米国育ちのモダンな女性だった。アショークはアウトソーシング・ビジネスを始めることを望んでいた。バルラームはアショークと共にデリーに移り住む。だが、デリーで酔っ払ったピンキーはバルラームに代わって運転しているときに子どもをひき殺してしまう。バルラームは自分が一人で運転していたと自白書を書かされる。それがきっかけでピンキーは米国に帰り、アショークは酒に溺れるようになった。バルラームはある日、アショークを殺し、400万ルピーを奪って逃走する。彼はバンガロールに移り住み、アショークを名乗って起業家となる。このような物語である。

 原作は読んでいないのえ、原作と映画でどれだけ違いがあるのか分からない。よって、映画のみの評価をしたい。この映画で優れていたのは、使用人が使用人に安住しようとする欲求を正直に描いていたことだ。誰もが金持ちになって贅沢をしたいと思っている。だが、一度使用人になってしまうと、そこから抜け出す気力がなくなってしまう。ここで言う使用人とは、単なる使用人ではない。カースト制度のおいて下位に置かれ、抑圧されることに慣れてしまった人々全般を指す。バルラームも、チャンスを掴むためにアショークの運転手となったが、そこから上を目指すためには、運転手という職を投げ捨てる覚悟が必要だった。それは単なる運転手や使用人ではなく、生まれたときから目上の人々の下働きをすることを当たり前と考える精神そのものだった。その精神は「鳥かご」と比喩されていた。映画の大半は、バルラームの内なる葛藤――鳥かごに居座るか、それとも鳥かごから飛び出すか――に費やされていた。

 抑圧されたほとんどの人々は、その鳥かごを飛び出すことはできない。飛び出す勇気もない。だが、バルラームは違った。彼は子どもの頃に「ホワイト・タイガー」と呼ばれたことがあり、それが彼の脳裏に残っていた。ホワイト・タイガーとは1万分の1の確率で生まれるとされる白地の黒の縞模様を持つ毛皮の虎で、インドでは昔から多数の目撃例があった。現在、世界中で数百頭のホワイト・タイガーが動物園などにいるとされる。バルラームは、「スラムドッグ$ミリオネア」(2008年)のジャマール・マリクのように幸運に恵まれていた訳ではなかったが、ホワイト・タイガーのように特別な存在だった。彼は、デリー動物園でホワイト・タイガーの実物と初めて対面し、遂に「決行」を決意するのだった。それができる使用人は、1万人に1人なのかもしれない。

 バルラームが主人公であるため、どうしても使用人の立場から映画の出来事を見てしまうが、アショークの立場からこの映画を観ると、インド社会への辛辣な警鐘となっているように感じる。アショークは決してバルラームに高圧的に接していた訳ではなかった。バルラームに手を上げたシーンもあったが、概ね、むしろ彼と対等に接しており、使用人にとっては「いい主人」であった。だが、彼はバルラームに殺される運命にあった。

 彼の失敗は2通りに分析できる。1つは、使用人を使用人として扱わなかったこと。バルラームはアショークの隙を直感的に感じ取っており、常にチャンスをうかがっていた。つまり、アショークに心から服従していた訳ではなかった。使用人にそのような感情を抱かせた原因は、アショークの封建領主的ではないそのヤワな態度にあったと言える。よって、主人が主人であり続けるためには、主人らしく振る舞わなければならない。なまじっか使用人に優しくしてはいけないのである。

 もう1つの分析は、インドにおいてあまりに貧富の格差が拡大し過ぎており、それが刻一刻と臨界点を迎えつつあるということだ。貧しい者、持たざる者たちの反乱を抑えるためには、今から彼らに寛大に接してももう遅い。アショークのような「いい主人」ですら、隙を見せれば使用人から殺されてしまう。既にインド社会の分断は後戻りできない状態になっている。そんな警鐘が感じられた。

 「The White Tiger」は、インド人作家の小説を原作とした、イラン人監督による英語の映画である。主演はほぼ無名の俳優であるが、脇を固めるのはお馴染みのインド人俳優たちだ。だが、作りはインド映画とはかなり違い、終わり方もあまりスッキリしたものではない。何かインドの将来に暗雲が立ちこめていることを暗示するような作品であった。

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