Titli

ンディー語映画界でギャング・ウォーと言うとムンバイーがすぐ思い浮かぶが、最近はムンバイー以外のアンダーワールドにもスポットライトが当てられるようになった。例えば「Gangs of Wasseypur」(2012年)では、ジャールカンド州のダンバード周辺で暗躍したギャングたちの戦いが描かれていた。「Zila Ghaziabad」(2013年)は、1980年代から90年代に掛けて、デリー近郊のガーズィヤーバードを舞台に繰り広げられた実際のギャング・ウォーに基づいた映画だ。北インドの地方都市を舞台とした映画が「Dabangg」(2010年)辺りから増えて来ており、それに伴って、ギャング映画の舞台も、ムンバイーから北インドへとシフトしつつあると分析していいだろう。

 2015年10月30日に一般公開されたヒンディー語映画「Titli」は、デリーのカージャック・ギャング一家を主人公にした映画だ。2010年に、デリーで14年に渡って暗躍したカージャック・ギャングのドン、ジョーギンダル・ジョーガーが逮捕された。この事件からインスパイアされて作られた映画のようである。監督は新人のカーヌー・ベヘル。ディワーカル・バナルジー監督の「Love, Sex aur Dhokha」(2010年)の脚本や助監督を担当した経験があり、今回の映画もバナルジー監督が共同プロデューサーに名を連ねている。もう一人のプロデューサーはヤシュラージ・フィルムスのアーディティヤ・チョープラーだ。2014年のカンヌ国際映画祭でカメラ・ドール賞にノミネートされた他、世界各国の映画祭でいくつかの賞を受賞している。

Titli

 

 キャストはシャシャーンク・アローラー、シヴァーニー・ラグヴァンシー、ランヴィール・ショーリー、アミト・シヤール、ラリト・ベヘル、プラシャーント・スィンなど。シャシャーンクとシヴァーニーは新人であるし、ランヴィール・ショーリー以外はほとんど無名の俳優である。メインストリーム映画の作りではなく、低予算の写実的映画である。

あらすじ

 東デリーの低所得者層居住地域に住むティトリー(シャシャーンク・アローラー)は、カージャックを生業とする兄ヴィクラム(ランヴィール・ショーリー)らから逃げたくて、メーラトに建造中のモールの駐車場管理権を30万ルピーで購入することを夢見る。ある日、ティトリーは家から30万ルピーを盗み出すが、途中で警察に捕まって現金は押収される。ティトリーの行為に怒ったヴィクラムはティトリーを強制的に結婚させる。結婚相手はニールー(シヴァーニー・ラグヴァンシー)と言った。

 ニールーは、ヴィクラムたちの仕事を知って逃げ出そうとするが、ティトリーに止められる。また、実はニールーにはプリンス(プラシャーント・スィン)という建築業を営む恋人がいた。だが、プリンスは結婚しており、彼女がティトリーと結婚したのも、プリンスの差し金だった。そこでティトリーはニールーと取引をする。ニールーがプリンスと一緒になるのをティトリーが手助けする代わりに、それがうまく行った暁には、彼女が持つ貯金25万ルピーをティトリーが受け取るというものだった。その取引が成立して以来、ティトリーとニールーは仮面夫婦となる。

 ティトリーはニールーから、プリンスは結婚はしているものの子供はいないと聞かされていた。ところがある日、ニールーから託された誕生日プレゼントをプリンスに届けに行くと、彼に子供がいるのを見つける。今度はプリンスがティトリーに取引を持ちかける。ニールーにこの事は口外しないというものだった。口外しなければ、ニールーに言って、約束の金を渡すように指示するとのことだった。ティトリーは表向きそれを許諾する。

 ところでヴィクラムにはサンギーターという妻がいたが、二人は別居していた。あるときヴィクラムはサンギーターから離婚を突きつけられる。サンギーターに度々暴力を振るっていたヴィクラムは裁判で争うのも無益だったため、離婚届けにサインをする。そこには、50万ルピーの慰謝料を1ヶ月以内に支払う約束もあった。ヴィクラムは手っ取り早く金を作るため、悪徳警官にお願いに行く。悪徳警官は彼に殺人の指示を出す。その報酬は200万ルピーだった。他に選択肢がないヴィクラムはそれを受け容れるしかなかった。

 ヴィクラムは殺人の準備をする。ところがティトリーは別のことを考えていた。ティトリーは、プリンスと話をしたと見せ掛け、殺人のミッションが終わったら、すぐにニールーをプリンスとの待ち合わせ場所に送ると言う。そして殺人の日、ティトリーはヴィクラムを裏切って、警察に通報する。そしてニールーを偽の待ち合わせ場所へ連れて行く。ティトリーを信じたニールーは彼に約束の金を渡す。ティトリーはその金を持ってメーラトへ向かう。ティトリーはモールの駐車場管理権を買おうとするが、途中で翻心し、金を取り返す。そして翌朝その金を持ってニールーの実家へ行く。ティトリーとプリンスに同時に裏切られたニールーは大泣きしていたが、ティトリーと新たな生活を始めることを受け容れる。

解説

 デリーのアンダーワールド、と言うと聞こえはいいが、「Titli」で描かれていたのは、貧困から犯罪に手を染めた庶民の姿である。ティトリーがニールーと自動車を買いにショールームを訪れるシーンがあるが、そこでディーラーから住所を詮索され、「水路の近く?」と顔をしかめられる。つまり、自動車を買うに値するような生活レベルの人々が住む地域でないことが分かる。そういう場所で生まれ育った人々は、一生地べたを這いつくばるか、それとも犯罪に手を染め、一か八かの不安定な生活を送るしかない。そんな奈落から抜け出したくて、主人公のティトリーは、デリーから北西に70kmほどの地点にあるメーラトで駐車場管理権を購入しようとするのである。

 駐車場管理権というのは聞き慣れない話題であった。この映画によると、インドではそういうものが売られているようだ。モールなど、新たに需要のありそうな駐車場が建設されるとき、そこで駐車料金を集金する権利が売りに出されるのだろう。1日に最低1,000-1,200ルピーの収入があると言う。どこからどういう経緯でティトリーがそのような権利に興味を持ち、購入を考えたかは明らかではない。しかも、その権利は30万ルピーもすると言う。もちろん、ティトリーが簡単に払えるような金額ではない。仲介者となった友人から吹き込まれたのであろうか。とにかく、その後、ティトリーは何とかして30万ルピーを手に入れようと躍起になる。

 その試みは失敗し、流れから、ヴィクラムは結婚することになる。結婚相手のニールーは、一見純朴そうな女性だったが、蓋を開けてみれば一筋縄ではいかない厄介者だった。プリンスという既婚者の愛人となっており、ティトリーと結婚したのもプリンスの手引きだったのである。だが、ティトリーにとってニールーは、再び駐車場の管理者となる夢の実現を試せるチャンスであった。ニールーとプリンスをくっつけることで、彼はニールーが婚資として得た貯金25万ルピーを手にする予定となったのである。しかし、後で分かったことだが、プリンスがそう簡単にニールーと結婚するとは思えない。そればかりか、ニールーの25万ルピーが、兄のヴィクラムが別れた妻に支払わなければならない慰謝料に消えそうになる。ティトリーは事故を装ってニールーの手を怪我させ、サインをできなくする。そして最後に彼は、兄弟やニールーを裏切って25万ルピーを手にするのだった。

 この映画には何人かの登場人物が現れる。プリンスのみ、中流以上の生活をしていることがはっきりとうかがわれるが、その他の人々は、おそらく中流以下の一般庶民であろう。そして、プリンスを含め、全ての登場人物が、エゴを持ったハラームザーダー(ろくでなし)である。誰一人として正義はいない。単純な勧善懲悪の対局にある。これは決して誇張ではなく、デリーの現実、インドの現実そのものだ。油断をすればケツの毛まで抜かれる、そんな社会である。そして、インドで生まれ育つということは、こういう人々に囲まれてサバイバルしなければならないということだ。警察の実態も、かなりサラリとした形ではあるが、鋭く切り込まれていた。ティトリーがバッグに入れていた30万ルピーがどうなったかは不明であるが、普通に考えたら警察がネコババしたのだろう。しかも、警察が犯罪者を使って殺人をさせ、大金を手にしようとするところまで、淡々と描写されている。映画の9割は、ほとんど救いの望みもないような展開だ。

 通常のインド映画ならば手放しで礼賛される「家族」も、「Titli」では何の価値も与えられていない。「Titli」の登場人物が皆、悪人だとしたら、「Titli」で描写される家族もひとつとして成功しているものがない。ヴィクラム、ティトリー、プリンスなど、皆、問題を抱えている。そして、因襲と化した家族というシステムから逃げ出そうとするのがティトリーなのである。

 しかし、最後の最後でようやく希望の光が見える。家族を裏切ってまで、エゴとも言える夢の実現する寸前まで行ったティトリーは、ギリギリのところで思い直し、ニールーから騙し取った金を彼女に返しに行く。ニールーはニールーで、プリンスと一緒になるという勝手な夢を性急に追うあまり、プリンスにもティトリーにも裏切られ、全てを失っていた。全てを失い、空っぽになった二人は、ようやく素直になり、真の夫婦として新たな道を歩み出そうとする。エンドクレジットで、スクーターに乗って道路を走る二人の姿が映し出されるが、そこに映された二人の表情から、今よりは明るい未来がほんのりと見えて来る。

 もちろん、インド人の全てが、「Titli」の登場人物のように、勝手なエゴを持ち、酷い生活を送っていると書いたら怒られてしまう。しかし、映画の中で彼らが抱える悩みは、飾り気のないカメラワークのおかげか、インドの庶民が直面しているむき出しの現実のように思えた。母国にいながら、二等市民、三等市民として過ごさなければならず、しかも逃げ場がないという苦悩は、大半の日本人には想像すらできないだろう。

 言葉も写実的で、デリーの人々のしゃべり方がよく再現されていた。特に罵詈雑言の類いはそのまんまだ。これらの台詞は標準ヒンディー語から離れており、しかもベラベラッと吐き出すようにしゃべるしゃべり方をするので、聴き取りは難しい部類に入る。

 ちなみに、題名の「Titli」とは「蝶」という意味だ。主人公の名前だが、普通、これは女性名である。ティトリーの母親は女の子を望んでおり、生まれる前から「ティトリー」という名前まで考えていた。男の子が生まれたが、彼女はその名前を付けたと言う。「蝶」は、薄暗い犯罪者の世界からの自由を求めるティトリーの心のメタファーと考えることができるだろう。

 「Titli」は、カージャック一家に育ち、どうにかしてこの奈落から抜け出そうともがく若者の物語である。写実的な映像と台詞、それぞれのエゴを持ってぶつかり合う登場人物、そして最後の最後でようやく見える一筋の光、その辺りに魅力のある映画だった。メインストリームの娯楽映画ではないが、デリーの埃っぽい現実がよく見えた佳作であった。

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