旅誌

 インド滞在中、あちこちを旅した。おそらく同年代で僕ほどインドを隅々まで旅行した人はあまりいないだろう。「これでインディア」では旅行記という形で、臨場感を重視した旅先の紹介をすることを心掛けて来たが、ここでは想い出に残ったひとつひとつの町や村を題材に、もう少し落ち着いた視点で語ってみようと思う。また、日本帰国後に旅したインドの町なども、ここに追加して行きたい。ちなみに、写真はクリックすると拡大表示される。

新着記事

Samarkand (Uzbekistan)

マルカンドとデリー。前者は中央アジアの都市で後者は南アジアの都市である。一見、両者を結びつけるものはない。だが、デリーの歴史を知れば知るほど、サマルカンドは身近に感じられる。

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 アームー・ダリヤー河とスィール・ダリヤー河の間に位置し、ブハーラーと同じくザラフシャーン川の河畔に位置するサマルカンドは、ブハーラーと並んでシルクロード最古のオアシス都市のひとつであった。「サマルカンド」の意味は、ソグド語で「石の町」とされる。サマルカンドは、中国と地中海を結ぶシルクロードの交差点に位置しているだけでなく、ユーラシア大陸の中心部であり、東西南北の交易の要衝として、文化の衝突地として、軍事の拠点として、各時代、大いに栄え、大いに侵略を受け、破壊と復興を繰り返してきた。

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Shahrisabz (Uzbekistan)

ャフリサブズ(Shahrizabz/Shaxrisabz/Shakhrisabz)はティームール帝国の祖ティームール(1336-1405年、在位1370-1405年)の生まれ故郷としてもっともよく知られる町である。だが、その歴史はティームールよりも遙かに古く、かつて「ケシュ」と呼ばれていたこの町には、アレクサンダー大王(紀元前4世紀)や玄奘三蔵(7世紀)が滞在した記録もある。現在では人口7万5千人ほどの小都市だが、かつてはシルクロードの中心都市のひとつであった。「緑の町」という意味の都市名も、そのオアシス都市としての性格を表しているのだろう。

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 シャフリサブズは2000年に世界遺産に登録されている。シャフリサブズの見所はとにかくティームールとその一族に尽きる。自身の立身出世の地であるシャフリサブズをティームールは重視し、発展に尽力した。一時は帝国の首都にしようとまで考えたが、冬季に交通の便が悪くなることから、サマルカンドに据えおいたといわれている。また、彼は自分の墓をこの地に造る予定でもあった。

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Bukhara (Uzbekistan)

リーのジャマー・マスジドには「シャーヒー・イマーム」と呼ばれる世襲の称号を持った宗教指導者がいる。現在のシャーヒー・イマームはサイヤド・アハマド・ブカーリーである。シャージャハーンがジャマー・マスジドを建造したとき、このモスクのイマーム(指導者)としてブハーラーから適切な人物を呼び寄せたのがこの家系の起源であるらしい。現在では、シャーヒー・イマーム(皇帝のイマーム)といっても国内の全イスラーム教徒を統括するような立場にないが、それでもかつての皇帝から最大のモスクを任された由緒ある家系として、デリーでは一目置かれる存在である。

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 サイヤド・アハマド・ブカーリー。ヒンディー語では彼のタイトルを「ブカーリー」と読むことが多いが、「ブハーリー」とカタカナ表記してもよい。どちらにしても「ブハーラーの人」という意味である。なぜシャージャハーンはわざわざブハーラーからイマームとなるべき人物を呼び寄せたのか。それは、ブハーラーがイスラーム世界における文教都市として、バグダードに次ぐ地位を確立していたからである。学者ムハンマド・アル・ブハーリー、詩人ルーダキー、学者イブン・スィーナー、詩人フィルドウスィーなど、ブハーラーは世界に名だたる偉人を輩出してきた。もちろん、ブハーラーはシルクロードのオアシスとして栄えた町のひとつでもあるのだが、イスラーム世界におけるこの圧倒的な地位こそ、ブハーラーの人々が本当に誇っていることである。

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Khiva (Uzbekistan)

ズベキスタンには4つの世界遺産があり、その内のひとつがこのヒヴァ(Khiva/Xiva)に残るイチャン・カラだ。ただ、ヒヴァは他の3つの世界遺産(ブハーラー、サマルカンド、シャフリサブズ)から離れており、日程に余裕のある観光客のみが訪れる。我々も2年前の旅程ではヒヴァを抜かしていた。だが、今回実際に訪れてみて、せっかくウズベキスタンを訪れるならば、ヒヴァを観光しない手はないと感じた。それほど魅力的な町だった。

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 ヒヴァは、ホラズム州の州都ウルゲンチ(Urgenchi)から35kmほどのところにある。隣国トルクメニスタンとの国境はすぐそこであり、ウズベキスタンの中では僻地にあたる。タシュケントからは飛行機が一番便利で、最寄りのウルゲンチ空港まで2時間かからないくらいだ。ウルゲンチからヒヴァまでは懐かしのトロリーバスが走っており、運賃が安いのでバックパッカーに人気とのこと。ただ、1~2時間かかり、停電があると止まってしまう。トロリーバスはウズベキスタンでもここしか走っていないそうだ。我々は専用車での移動だったので、3-40分でヒヴァまで着いた。

トロリーバス

トロリーバス

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Uzbekistan 2016-17

ズベキスタン旅行は短く見積もって2年越しの夢であった。短く、というのは、ちょうど2年前、旅行を計画し、ヴィザまで取得して出発の日を待ち望んでいたものの、出発の2週間ほど前に、予約していたウズベキスタン航空成田~タシュケント直行便が1ヶ月間の欠航となり、土壇場で旅先をミャンマーに切り替えたことがあったからだ。長く見積もれば、インドの首都デリーに住んでいたとき(2001-13年)から、いつかウズベキスタンを旅行したいと思っていた。デリーからウズベキスタンはそんなに遠くないので、そのときに行ければ一番安上がりだったのだが、当時はインド国内旅行を優先していたので、ウズベキスタンは後回しになっていた。

 以前からウズベキスタンに惹かれてきたのは、ウズベキスタンには申し訳ないが、純粋にウズベキスタンという国に憧れを感じていたからではない。やはり、インドへの愛情の延長線上にウズベキスタンへの憧れが位置している。

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Patiala

在市販されているインドの旅行ガイドブックにはパンジャーブ州の情報が少ない。せいぜい州都チャンディーガル(Chandigarh)1 と黄金寺院で有名なアムリトサル(Amritsar)が載っているくらいで、その他の都市については、たとえ書かれていたとしても、オマケ程度だ。しかし、決してパンジャーブ州に見所が少ない訳ではなく、調べてみると結構観光資源は多い。

Punjab

パンジャーブの田舎

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  1. ハリヤーナー州と共用の州都であり、連邦直轄地でもある []

Yangon (Myanmar)

2014年の年末に、ミャンマー(旧名ビルマ)の最大都市ヤンゴン(旧名ラングーン)を訪れた。

Yangon

アジア・プラザ・ホテル14階から眺めたヤンゴン市街地

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Turtuk

する人はとかく「最○端」が好きで、インドでも最南端のカンニャークマーリーは人気の観光地だ。僕も2001-02年には、初日の出をカンニャークマーリーで拝むという、非常にベタな旅をしたことがある。カンニャークマーリーは、逆三角形をしているインド亜大陸の、インド洋に突き出した頂点に当たり、岬になっているので、最南端という地理的な特徴が誰にでも分かりやすい。だが、インド亜大陸の最西端、最北端、最東端は地続きなので、特定するのは難しいし、それを気にする旅人もほとんどいないだろう。

 「インド亜大陸」を持ち出すと曖昧になってしまうが、インド共和国ということにすれば、地図や経緯度でもってそれらの「最○端」を導き出すことは可能だ。国境線の問題はあるのだが、現状の支配域を基準とするならば、最西端はグジャラート州のサー・クリーク辺り、最北端はジャンムー&カシュミール州のシアチン氷河辺り、最東端はアルナーチャル・プラデーシュ州のミャンマー国境辺りになるだろう。どれも非常にセンシティブな地域であり、外国人は普通には入域できない。

 そうなると外国人が行ける「最○端」はどこかということになるが、その内で最北端ははっきりしている。ジャンムー&カシュミール州シャヨク谷奥地にあるトゥルトゥクだ。

Turtuk

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Khimsar

で知ったのか覚えていないが、ラージャスターン州ジョードプルの近くに、「オアシス」と聞いて万人が思い浮かべるイメージをそのまま体現したようなリゾートがあることを前々から知っており、一度宿泊してみたいと思っていた。残念ながらインド在住時にはそれを実現させることが出来なかったが、2014年3月の訪印時にやっとその場所へ行くことが出来た。

Khimsar

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Keylong

く滞在した町というのは、どうしても深く記憶に残るものだ。バックパッカー用語では、居心地のいい町に長期に渡ってズルズルと留まってしまうことを「沈没」と呼ぶ。おそらく旅行作家の蔵前仁一氏辺りが広めた言葉であろう。ただ、僕はバックパッカー的な旅行をしていたものの、沈没は滅多にしたことがなかった。常に目的意識を持って旅行をしているため、旅行中、特に何もせずに1日が過ぎて行くのが我慢ならないタイプである。常に自分をトラベル・ハイ状態に置き、日中は最大限に動き回って、夜は宿で旅行記を書く、というのが、いつしか身に付いた旅行日課・旅行哲学であった。よって、旅行記に書くことがなくなる沈没などもってのほかであるし、リゾート逗留型のバカンス旅行なども大の苦手だ。

 そんな忙しい旅行者である僕が、旅先で最も長く一ヶ所に留まったのは、おそらくヒマーチャル・プラデーシュ州ケーロンである。マナーリー~レー・ロードの途上にあり、バーガー川を見下ろす切り立った山の中腹、標高3,000mほどの高さにある、人口2,000人ほどの小さな町だ。ヒマーチャル・プラデーシュ州最北部に位置し、ロータン峠(標高3,978m)、クンザム峠(標高4,590m)、バララチャ峠(標高4,890m)に囲まれた地域はラーハウル地方と呼ばれており、仏教とヒンドゥー教が混淆している他、言語もチベット語系の言語とヒンディー語が混ざり合っていて、興味深い。11月頃から5月頃まではこれらの峠が積雪で閉ざされるために外界から遮断されてしまうが、インド最高品質のジャガイモやグリーンピースを産出しており、僻地ながらも経済的には潤っている地域である。ケーロンは、そんなラーハウル地方の中心都市だ。

Keylong

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