Patiala

在市販されているインドの旅行ガイドブックにはパンジャーブ州の情報が少ない。せいぜい州都チャンディーガル(Chandigarh)1 と黄金寺院で有名なアムリトサル(Amritsar)が載っているくらいで、その他の都市については、たとえ書かれていたとしても、オマケ程度だ。しかし、決してパンジャーブ州に見所が少ない訳ではなく、調べてみると結構観光資源は多い。

Punjab

パンジャーブの田舎

 

 それではなぜパンジャーブ州の観光情報が少ないかと言うと、それはおそらく、カーリスターン運動のせいであろう。カーリスターン運動とはパンジャーブ地方にスィク教徒の独立国カーリスターンの建国を求める運動で、1980年代から武装闘争化し、武装勢力の黄金寺院立てこもり、その掃討作戦であるオペレーション・ブルースター、それに対する報復であるインディラー・ガーンディー首相の暗殺、そしてそのさらなる報復である反スィク教徒暴動など、一連の事件を引き起こした。

 世界で最も売れている旅行ガイドブック「ロンリー・プラネット」のインド版は1981年に初めて出版されているが、この時期、パンジャーブ州はカーリスターン運動の影響で旅行どころではなかったと思われる。そのときにパンジャーブ州の観光情報が抜け落ちたことが、「ロンリー・プラネット」を含む現行の旅行ガイドブックにも名残として残っているのではなかろうか。

 インドに10年以上滞在する中でインドをあちこち旅行した僕にとっても、パンジャーブ州は弱い地域であった。住んでいたデリーから遠くないにも関わらず、なかなか足を伸ばすことがなかった。ただ、インド中でヘリテージ・ホテルを運営するニームラーナー・ホテルが2009年、パティヤーラー(Patiala)にフランチャイズをオープンさせたことで、興味を持つことになった。ニームラーナー系列のバーラーダリー・パレス・ホテル(Baradari Palace Hotel)はパンジャーブ州初のヘリテージ・ホテルとされている。インド滞在中はその興味を実行に移すことはなかったが、2015年12月にインドを旅行で訪れた際に宿泊してみることにした。

 パティヤーラーは1763年にアーラー・スィンによって建造された城塞キラー・ムバーラクの周辺に発展した街だ。18世紀半ばにはマラーター同盟がデリーやラホールを含む北西インドまで進出していたが、1761年の第3次パーニーパトの戦いでマラーター同盟がアフガーニスターンの支配者アハマド・シャー・ドゥッラーニーに敗れると、パンジャーブ地方に権力の空白ができ、ドゥッラーニーに協力したアーラー・スィンはパティヤーラーに独立王国を築くことになった。これがパティヤーラー藩王国の直接の起源であり、現在まで栄えるパティヤーラーの起源にもなる。

 パティヤーラーの王族は、パンジャーブ州西部に一大勢力を築き上げていたスィク王国に対抗するため、英国と手を結んだ。スィク王国はアングロ・スィク戦争の末、1849年に滅亡するが、パティヤーラー藩王国はその後も英国の協力者として英国のインド支配を助けた。これがパティヤーラーに大きな発展をもたらした。1947年にインドが独立し、各地の藩王国がインドまたはパーキスターンへの加盟に同意する加盟文書(Instrument of Accession)の調印を求められると、パティヤーラー藩王国はいち早くこれを受理した。その功績から、パティヤーラーの藩王は独立後に存在したパティヤーラー&東パンジャーブ連合州(PEPSU)の州知事(Rajpramukh)となり、パティヤーラーはPEPSUの州都となった。このように、パティヤーラーの王族は機を見るに敏で、時代の荒波の中で巧みに生き残り、勢力を拡大して来たと言える。

 パティヤーラー王家の血統は現在まで存続している。現在の当主は国民会議派政治家のアマリンダル・スィン。2002年から2007年までパンジャーブ州の州首相も務めた。そのため、パティヤーラーは国民会議派の牙城である。長らくアマリンダル・スィンの妻で政治家のパルニート・カウルの選挙区となっていたが、モーディー旋風が吹き荒れた2014年の下院総選挙では庶民党(AAP)の候補者が勝っている。ちなみにこのとき、アマリンダル・スィンはアムリトサル選挙区から立候補し、インド人民党(BJP)の重鎮アルン・ジェートリー(現在、中央政府の財務大臣)を破ったことで話題となった。

 パティヤーラーの特産品はパグリー(ターバン)、パランダー(髪の房飾り)、サルワール(パンツ)、ジュッティー(靴)、そしてパティヤーラー・ペグ(後述)などである。また、パティヤーラーの名前は出版業や古典音楽などの分野でも存在感を示している。有名な出版社ムンシー・ナワル・キショールが創設されたのはここであるし、パティヤーラー・ガラーナーと呼ばれる古典音楽の流派も存在する。これらは、パティヤーラー王族の芸術・産業振興と無関係ではないだろう。さらにパティヤーラーは教育の街としても知られ、パンジャーブ大学、ターパル大学、ラージーヴ・ガーンディー国立法科大学、ムルターニー・マル・モーディー大学、ネータージー・スバーシュ国立スポーツ学院など、数々の教育機関がある。パティヤーラー出身の著名人としては、クリケット選手ナヴジョート・スィン・スィドゥーやモーヒンダル・アマルナート、俳優のオーム・プリーやジミー・シェールギル、歌手ハルバジャン・マン、ジェット・エアウェイズのナレーシュ・ゴーヤル会長などがいる。

 パティヤーラーはデリーから230kmほど。ジャイプルよりも近く、アーグラーよりも遠いぐらいの位置にある。デリーを起点とした観光ルートの候補としては理想的なロケーションだ。南デリーを朝8時に出発したら、途中1回の朝食休憩を挟み、午後1時半にはホテルに到着した。


 バーラーダリー・パレス・ホテルの建物は、マハーラージャー・ラジンダル・スィン(在位1876-1900年)によって1876年に建造された。設計したのはマハーラージャーの弟カウル・サーヒブ・ランビール・スィン。「バーラーダリー」とは「12の扉」という意味で、もっともシンプルな構造では、四方に3つずつのアーチを持つ、正方形プランの、風通しのいい建造物のことを言う。ただ、パティヤーラーのバーラーダリー・パレスについては、もっと複雑な構造をしており、外観からは「12の扉」と言われてもピンと来ない。ただ、レセプションの背後にバーラーダリーの様式を思わせるスペースがあり、おそらくそこからこの名前が来ているのだろう。

Baradari Palace Hotel

バーラーダリー・パレス・ホテル

 バーラーダリー・パレスの建築様式はスィク・ムガル様式とされているが、実質的にはラージプート、ムガル、コロニアルなど、様々な建築様式の折衷だ。派手好きで新しい物好きなマハーラージャーの気質をよく表している。現在、宮殿の後方に門があり、裏口から入るような形になっているが、正面にはバーラーダリー・ガーデンと呼ばれる庭園があり、元々はそれに面した建物だったことが分かる。現在、バーラーダリー・ガーデンの方は公園として無料で開放されている。庭園側からバーラーダリー・パレスには入れなくなっている。

Baradari Palace Hotel

元々の正面

 パティヤーラーにはマハーラージャーやその家族が居住していた宮殿がいくつも残っており、この建物が実際にマハーラージャーの住居となった時期があったのかどうかについてはよく分からない。ただ、ニームラーナー・ホテルによってヘリテージ・ホテルに改装される前、この建物はシャーヒー・メヘマーンダーリー(迎賓館)、パンジャーブ大学校舎、州立資料館などに使われたようである。

Baradari Palace Hotel

ホテル2階

 我々が宿泊したのはパティヤーラー王家の創始者アーラー・スィンの名前を冠した部屋。日本の一般的な一軒家ほどの広さと高さがある部屋がリビング兼寝室になっており、やはり日本の一般的なシングルルームくらいの大きさはあるバスルームの他、もう一室小部屋がある。元々何に使われていたスペースなのか分からないが、ヘリテージ・ホテルの名に恥じない豪勢な部屋だ。

Baradari Palace Hotel

「ラージャー・バーバー・アーラー・スィン」

 ホテルに併設されているレストランは、元々ボールルームとして使われていた部屋であろう。建物の中心部に位置した馬蹄型の細長い部屋で、2階まで吹き抜けの高い天井を擁している。2階から部屋を覗けるようになっているが、これは後宮の女性たちがボールルームで催される宴の様子を覗き見するための窓であろう。斜めに設置されたパンカー(扇風機)が良い味を出している。

Baradari Palace Hotel

レストラン

 パティヤーラーの特産品については上述したが、その中でもインドの若者には何より「パティヤーラー・ペグ」で知られている。これは、ウィスキーなどをダブル・ペグ(2倍の量)で飲むことを言う。その裏にはこんな物語がある。

 マハーラージャー・ブーピンダル・スィンの時代、パティヤーラーをアイルランド人の代表団「Viceroy’s Pride(総督の誇り)」が訪れ、地元チームと「Tent Pegging(テントの杭打ち競争)」の親善試合を行うことになった。敗北を恐れたマハーラージャーは、試合前日の晩餐会でアイルランド人にダブル・ペグのウィスキーを飲ませた。策略通り、アイルランド人たちは酷く酔っ払って翌日の試合は惨敗だった。アイルランド人が苦情を言うと、マハーラージャーは平然として答えた。「パティヤーラーの1ペグは他と比べて多いのだ。」以後、ダブル・ペグで酒類を飲むことを「パティヤーラー・ペグ」と言うようになった。

 マハーラージャー・ブーピンダル・スィン(在位:1900-38年)は、パティヤーラーの歴代のマハーラージャーの中でももっとも豪奢な生活を送った人物として知られている。インドで初めて飛行機を所有した人物でもあるし、アドルフ・ヒトラーから特注メルセデス・マイバッハを贈られた数少ない人物でもある。スポーツも大好きで、自身がインドを代表するクリケット選手でもあった。当然のごとく大の女好きで、5人の妻と数え切れない妾を持ち、成人した子供だけでも55人を作った。彼は大食漢でもあり、朝食には24個の卵を使ったオムレツと4-5リットルの牛乳をとり、昼食には25羽のシギを料理したスープを食べ、夕食前のスナックとして40-50羽のウズラを食べたと言う。彼の宮廷には、140種類のプラーオを作れるコック、30種類のムルグ・ムサッラムを作れるコック、40種類のジャガイモ料理を作れるコックなどがいたとされる。バーラーダリー・パレス・ホテルのレストランは、そんな食通マハーラージャーに料理を提供して来た伝統を受け継いでおり、とてもおいしかった。

Baradari Palace Hotel

ホテルの食事

 ただ、バーラーダリー・パレス・ホテルは、他のニームラーナー系列のホテルに比べて、スタッフのサービスは全体的に洗練されていなかった。まだヘリテージ・ホテルとして開業してから数年しか経っていないことと、宿泊客が比較的少ないであろうことと、パンジャーブ州が観光地としてまだまだ発展途上であることなどがその要因ではなかろうか。しかしながら、レセプションに限っては非常に親切かつプロフェッショナルで、滞在中困ることはなかった。

 なお、バーラーダリー・パレス・ホテルは映画のロケ地にもなっており、最近ではサルマーン・カーン主演の「Bodyguard」(2011年)で使われた。


 パティヤーラーの見所は、歴代のマハーラージャーが建造した城塞や宮殿などに集中している。パティヤーラーの市街地中心部には前述のキラー・ムバーラクという巨大な城塞がある。パティヤーラーはこの城塞を中心に発展した。現在でも周囲は活気あるバーザールになっている。キラー・ムバーラクからバーザールや住宅地を通り抜けて南に向かうとシャーヒー・サマーダーンという王族の墓地がある。さらにそこから南へ進み、郊外へ抜けると、シーシュ・マハルという宮殿がある。どれも壮麗な建築物だ。

Qila Mubarak

キラー・ムバーラク入り口

 ところが、現在パンジャーブ州の歴史的建造物は軒並み修復作業中で、しかも敷地内ではカメラによる写真撮影が禁止されていた。修復作業が終わると写真撮影が許可されるのかもしれないが、現時点ではチャンディーガルの州考古局から写真撮影の許可を入手して来なければ写真は撮れないことになっているようである。インドの遺跡では時々そういうことがある。また、修復作業のせいで入場が制限されているところもあった。

Shahi Samadhan

シャーヒー・サマーダーン

 キラー・ムバーラクについては、ゲートを抜けてすぐの広場までと、ダルバール・ホール(謁見室)を利用した博物館(入場料10ルピー)までは入ることができるが、その他の建物には行くことができなかった。おそらく通常時でも全てを見て回ることはできないはずだ。キラー・ムバーラクはアジアでもっとも巨大な宮殿コンプレックスとされているが、残念ながらその全貌を実際に目で確かめることは難しい。王族墓地シャーヒー・サマーダーンについては、特に修復作業も行われておらず、無料で自由に見学することができた。中心となっているのは1766年に建造されたアーラー・スィンの墓廟で、1階部分は赤砂岩、2階以上は白大理石造り。典型的なムガル様式の建築物だが、デリーやアーグラーなどで見られるムガル様式建築群に比べるとバランスを欠く印象を受ける。階段が開放されており、上まで上って行けたのは良かった。1847年に建造された3階建てのシーシュ・マハルは修復作業の真っ只中だった。本当は内装が見物のようで、建物自体がメダル博物館になっているのだが、現在は閉館中で中を見て回れなかった。ただ、敷地内は公園のようになっており、リシケーシュのラクシュマン・ジューラーを模倣して造ったという吊り橋が、干上がった人工池の上に架かっていて、面白味はあった。

 他にも、ネータージー・スバーシュ国立スポーツ学院博物館、ニュー・モーティー・バーグ・パレス、カーリー寺院、グルドワーラー・ドゥクニワーラン・サーヒブ、ダルガー・ピール・バーバー・ローデー・アリー・シャーなど、パティヤーラーにはいくつか見所があるが、今回の旅行では訪れなかった。また、地元の人々にとっては、バーラーダリー・パレス・ホテルからすぐ近くにあるオマックス・モールというマルチプレックス兼ショッピング・モールが町の自慢のようであった。


 今回、パティヤーラーのみならず、遠出もしてみた。目的地はルディヤーナー県に位置するサラーイ・ラシュカリー・カーン。「サラーイ」とは正方形の壁で囲まれた宿のことで、インドの古い街道沿いに点在している。主に隊商たちが宿泊し、交易なども行った。シェール・シャー・スーリーの時代(在位:1540-45年)に着手され、ムガル朝時代にアフガーニスターンからベンガルまでを結ぶまでに延長された北インドの大街道グランド・トランク・ロード沿いには、特に多くのサラーイが残っている。

 サラーイ・ラシュカリー・カーンはグランド・トランク・ロード沿いに残るサラーイのひとつだ。このサラーイを造ったラシュカリー・カーンはアウラングゼーブの時代の将軍で、サラーイは1667年に建造された。

Sarai Lashkari Khan

サラーイ・ラシュカリー・カーン

 なぜ特にこのサラーイを訪れたかというと、ここが有名なヒンディー語映画「Rang De Basanti」(2006年)のロケ地となったことが分かっていたからだ。マーダヴァン演じるアジャイがソーハー・アリー・カーン演じるソニアにプロポーズをした場所であり、挿入歌「Tu Bin Bataye」の舞台でもあり、またエンディングでも印象的な使われ方をしている。そのおかげでこのサラーイは「RDBフォート」の異名でも知られるようになったと言う。ただ、劇中では空軍基地のすぐそばに位置していることになっているが、それは合成であり、実際には周囲に基地や空港は存在しない。

Sarai Lashkari Khan

サラーイ内部

 サラーイ・ラシュカリー・カーンは、国道1号線(NH1)からすぐ近くにある。デリー方面から行くと、カンナー(Khanna)からルディヤーナー(Ludhiana)方面に12kmほど行ったところの左側にマンジー・サーヒブ(Manji Sahib)というグルドワーラーが見える。サラーイはそのすぐ裏に位置しており、NH1からも見渡せる。特に迷わずに辿り着けるだろう。

Sarai Lashkari Khan

サラーイの門

 ただ、ここもやはり修復作業が進んでおり、警察が常駐していて、写真撮影が基本的に禁止だった(数枚だけなら撮っていいと言われた)。修復の方法も好ましいものでなく、映画で見られた朽ち果てた廃墟らしさがなくなり、現代に立てられた昔風の建物のように味気なく様変わりしつつあった。これはデリーの多くの遺跡にも言える残念な修復だ。あと数年早く来ていれば、「Rang De Basanti」に映っているのと同じ姿を目の当たりにすることができただろう。

 実は「Rang De Basanti」の上記のシーンでは、このサラーイ・ラシュカリー・カーン以外に別のサラーイも使って撮影が行われている。事前に収拾した情報では、このサラーイ・ラシュカリー・カーンからさらにルディヤーナー方面に進んだところにあるドーラーハー(Doraha)のサラーイだと聞いていた。実際にこちらにも行ってみたが、どうも違った。しかも、こちらのサラーイも修復作業中で、入り口に警察が居座っており、写真は1枚もダメだった。


 パティヤーラーには2泊した。あまり観光情報のない街であったが、「ロンリー・プラネット」が「パンジャーブの穴場(best kept secret)」と評するだけあり、見所に事欠かず、ポテンシャルは高い。まだあと数日は探検してみる価値のある街だと感じた。ニームラーナー系列のヘリテージ・ホテルがあるおかげで、ミドル~ハイエンド層の観光客にも対応できる。

 残念なのはパティヤーラー市内および周辺の歴史的建造物が目下修復作業中であることと、パンジャーブ州の観光業がまだまだ発展途上にあって観光客に優しくないことだ。カメラを持ち込めない、もしくは撮影禁止の場所が多すぎるのは観光業にとって大きなマイナスだ。遺跡を整備中なのはいいが、これは観光客を呼び込むためにやっているのではないか。ならばカメラや写真を禁止することは完全に矛盾している。もしかしたらあと数年後くらいにはそれらも自然に解決しているかもしれないが、今はまだパンジャーブ州は行き時ではないと言わざるを得ない。

 将来的にはパンジャーブ州はデリー発の玄人向け観光ルートとして有望な存在に浮上するかもしれない。今回はほとんどデリーからパティヤーラーを往復しただけだったが、アムリトサルやチャンディーガルをセットにしてもいいし、デリー~パティヤーラー間にはパーニーパト(Panipat)やクルクシェートラ(Kurukshetra)など、観光資源のある街も点在している。今のところ、ほとんどの観光客はデリー~ジャイプル~アーグラーの方面へ行ってしまうが、デリーの北西も探検してみる価値がある。

 ところで、我々が訪れたのは12月26日~28日だったが、このときちょうど、シャーヒディー・ジョール・メーラーというパンジャーブ州を中心とした大きな祭りが催されていた。スィク教の第10代グル、ゴービンド・スィンの2人の息子が殉死したことを記念する祭りで、パティヤーラーからほど近いファテーガル・サーヒブが本拠地となる。これを機にパンジャーブ州各地ではランガル(無料の炊き出し)が行われており、無理に自動車を停めて食事を振る舞おうとして来るため、あちこちで渋滞が発生していた。最終日の28日には大物政治家たちがファテーガル・サーヒブに集合するとのことで、セキュリティー上の理由から道が封鎖される恐れもあった。よって、28日は朝一番でパティヤーラーを出てデリーに発った。おかげでスムーズに帰ることができたが、これがなければもう半日パティヤーラーを楽しめた。

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  1. ハリヤーナー州と共用の州都であり、連邦直轄地でもある []

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