Shahrisabz (Uzbekistan)

ャフリサブズ(Shahrizabz/Shaxrisabz/Shakhrisabz)はティームール帝国の祖ティームール(1336-1405年、在位1370-1405年)の生まれ故郷としてもっともよく知られる町である。だが、その歴史はティームールよりも遙かに古く、かつて「ケシュ」と呼ばれていたこの町には、アレクサンダー大王(紀元前4世紀)や玄奘三蔵(7世紀)が滞在した記録もある。現在では人口7万5千人ほどの小都市だが、かつてはシルクロードの中心都市のひとつであった。「緑の町」という意味の都市名も、そのオアシス都市としての性格を表しているのだろう。

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 シャフリサブズは2000年に世界遺産に登録されている。シャフリサブズの見所はとにかくティームールとその一族に尽きる。自身の立身出世の地であるシャフリサブズをティームールは重視し、発展に尽力した。一時は帝国の首都にしようとまで考えたが、冬季に交通の便が悪くなることから、サマルカンドに据えおいたといわれている。また、彼は自分の墓をこの地に造る予定でもあった。

 

 シャフリサブズは観光地としての再開発が完了し、世界遺産に登録された遺跡が全てひとつの公園にまとめられた。再開発前の地図を見ると、遺跡は大きく北と南に分かれており、その間には住宅街があったはずだが、その住宅街を全て取り壊して公園にしてしまったようだ。かなり思い切ったことをしたものである。

 北の遺跡から観光したが、それが一般的であろう。ティームールは夏の宮殿として、また、自身の権力を誇示するために、シャフリサブズに巨大な建築物を建てた。そのほとんどは現在、消失してしまっているが、宮殿の門と考えられている建造物が残っている。それがアク・サラーイ宮殿跡であり、シャフリサブズのシンボルである。

アク・サラーイ宮殿跡

アク・サラーイ宮殿跡

 門といっても、その規模はほとんど塔に匹敵するものであり、崩壊し傾いてしまった現在の姿でも高さは38mある。かつては50m以上あったとされる。外壁は青を基調とした壮麗な幾何学模様のタイルで装飾されている。だが、サマルカンドのように過度の修復は行われておらず、ほぼありのままの姿をさらしている状態だと思われる。所々タイルがはがれており、素地が向きだしになっている。オアシス都市の宿命なのか、地面からは水分が染み出しており、さらなる崩壊は免れない状態だ。

外壁の様子

外壁の様子

 アク・サラーイ宮殿を破壊したのは、ティームール帝国を滅ぼしてトランスオクシアナ地方の支配者となったブハーラー・ハーン国である。この建物には、ティームールのメッセージ「もしも、汝我が権力に挑むならば、この建物を見よ」が記されているとされる。ティームールの権力の象徴であったアク・サラーイ宮殿は、ティームール帝国が衰退することで、破壊される運命にあったのかもしれない。

 アク・サラーイ宮殿跡と呼ばれ残存している建築物は宮殿の入り口に過ぎない。おそらく、この門を入ると広大な中庭があったのではないかと思う。その宮殿の中心部にあたる位置に現在立っているのがティームール像である。ウズベキスタンにはティームールの巨大な像が少なくとも3つ存在する。ティームール立身の地シャフリサブズのもの、ティームール帝国の首都サマルカンドのもの、そしてウズベキスタンの首都タシュケントのものである。それぞれポーズが異なり、シャフリサブズのものは立像となっている。

ティームール像

ティームール像

 アク・サラーイ宮殿跡とティームール像を結ぶ線に沿って南へ真っ直ぐな道が敷かれており、その南端にいくつかの遺跡がある。その内のひとつが、コク・グンバズ・モスク(青いドームのモスク)である。ティームールの孫ウルグベーグが1437年に完成させた。

コク・グンバズ・モスク

コク・グンバズ・モスクのドーム

 非常に美しい外観をしたモスクだが、中に入ると白を基調とした上品な装飾で内壁が埋め尽くされており、息をのんだ。所々に植物の絵が描かれているが、これはインドやイランの影響だとされる。

モスク内部

モスク内部

 このコク・グンバズ・モスクに向かい合う形で2つの廟が並んでいる。モスクから向かって左側にあるのがシャムスッディーン・クラール廟。ティームールの父親アミール・タラガイが師事していたスーフィー聖者シャムスッディーン・クラールの墓があり、アミール・タラガイもここに葬られたのではないかと考えられているが、中にはひとつしか墓石がない。建造年は1374年。モスクから向かって右側にあるのはグンバズィー・サイイダーン。ウルグベーグが自身の子孫のために1438年に建てた廟である。中には4つの墓石が並んでいる。その中でも一番奥の墓石にはくぼみがあり、そこに水がたまっている。この水には病気を治す力があると信じられている。

グンバズィー・サイイダーン内部

グンバズィー・サイイダーン内部

 以上、主に3つの建築物を総称して、ダールッティラーワト(瞑想の地)と呼ばれている。

ダールッティラーワト

ダールッティラーワト

 ダールッティラーワトの東には、またいくつかの建物が並んでいる。こちらのコンプレックスはダールッサウダート(力の地)と呼ばれている。ここは、ティームールが自身とその家族のための墓所として決めていた場所だった。だが、ここに葬られたのはティームールの子供の内、若くして亡くなった2人、ジャハーンギールとウマル・シェーフのみであり、ティームール自身と他の家族はサマルカンドに葬られた。コーン型のドームを持ったホラズム様式の細長い建物はジャハーンギールの墓である。ジャハーンギールはティームールの長子で、お気に入りだった。しかし、1376年に20歳そこそこの若さで夭折してしまう。

ダールッサウダート

ダールッサウダート

 ここには「ティームールの地下墓室」とされる地下室もある。中に入ってみると、暗い部屋の中心に一枚岩の棺が安置されている。アラビア文字が書かれているが、そこにはティームールの家系が刻まれているという。そして棺の中には2体の遺体が入っていたとされるが、誰のものかは不明である。

ティームールの地下墓室

ティームールの地下墓室

 シャフリサブズは今回のウズベキスタン観光の中でもっとも天候に恵まれず、特にアク・サラーイ宮殿跡近辺を観光していたときは小雨がぱらついていた。世界遺産といえども、他の3都市(サマルカンド、ブハーラー、ヒヴァ)に比べると、遺跡の数も少ないし、美麗さも見劣りする。それでも、ティームールに憧れを感じる人にとっては巡礼の地ともいえる重要な場所であり、また、過度の修復がされていない点を好意的に捉えることもできるだろう。シャフリサブズとサマルカンドの間の所要時間は2-3時間ほど。通常は標高1798mのタフタカラチャ峠を越えていくのだが、天候が悪かったため、回り道をしてサマルカンドに向かった。この峠道の光景は素晴らしいと聞くが、回り道の方にもなだらかな丘陵地帯があり、牧畜・農業生活を送る村人たちの生活が垣間見られて面白かった。

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